第13話 “せっかくだから”は免責にならない——佐伯、善意を止める


オフィス・午後

午後15時。

フロアに、わずかな緩みが出る時間帯。

空調の風が少し強くなる。

集中力が、いちばん落ちる頃。

田中の席

田中は、

モニターを見ながら首を回していた。

田中・心の声

(……目、疲れた)

(ちょっと

 休憩したいな……)

佐藤課長、立ち上がる

佐藤課長

「よし」

佐藤課長

「ちょっと一息つこうか」

数人が顔を上げる。

佐藤課長

「コーヒー淹れたから」

佐藤課長

「せっかくだから、

 みんなで飲もう」

微妙な空気

誰も、

「いらない」とは言わない。

言えない。

田中・心の声

(……飲みたくないけど)

(断るの、

 空気悪いよな……)

佐伯ミナの席

佐伯は、

キーボードから手を離さない。

視線も、上げない。

佐藤課長、近づく

佐藤課長

「佐伯さんも」

佐藤課長

「せっかくだから」

一拍。

佐伯

「結構です」

空気が止まる

誰かの咳払い。

カップを置く音。

佐藤課長

「え?」

佐伯

「必要ありません」

佐藤課長

「いやいや」

佐藤課長

「善意だから」

佐伯、ゆっくり顔を上げる

佐伯

「確認させてください」

佐藤課長

「……何を?」

佐伯

「これは、

 業務命令ですか」

佐藤課長

「いや」

佐伯

「評価に影響しますか」

佐藤課長

「いやいや」

佐伯

「断った場合、

 不利益はありますか」

佐藤課長

「……ないけど」

佐伯、淡々

佐伯

「では、

 拒否しても問題ありません」

田中・心の声

(……正論)

(でも、

 言い方が……)

佐藤課長、苦笑い

佐藤課長

「ちょっと冷たくない?」

佐伯

「冷たさは、

 論点ではありません」

佐伯

「“せっかくだから”は、

 理由ではなく圧力です」

ざわめき

数人が、

無意識にカップを置く。

佐藤課長

「いや、

 親切心だろ」

佐伯

「親切は、

 受け取る側が

 選択できて初めて成立します」

決定的な一言

佐伯

「断りにくい善意は、

 強制と区別がつきません」

静寂

空調音が、

やけに大きく聞こえる。

田中、思わず口を開く

田中

「……正直」

田中

「俺も、

 いらなかったです」

数人が、目を伏せる。

佐藤課長

「……そうか」

佐藤課長

「悪かった」

佐藤課長

「俺が飲みたかっただけだな」

佐伯、頷く

佐伯

「それなら、

 問題ありません」

佐藤課長

佐藤課長

「……佐伯さん」

佐藤課長

「生きづらくない?」

一拍。

佐伯

「いいえ」

佐伯

「“断っていい”世界は、

 静かです」


田中・ナレーション

この日、

僕は学んだ。

優しさは、

配るものじゃない。

選ばせるものだ。 


ナレーション

――ここは、コミュニケーション許可局。

「せっかくだから」は、

拒否を想定しない言葉だ。

悪意はない。

損もない。

善意しか、含まれていない。

だからこそ、

断る側が悪者になる。

いらないと言えば、空気を壊す。

必要ないと言えば、冷たいと言われる。

黙って受け取れば、

それが“普通”として記録される。

善意は、

疑われない。

だが、

疑われないものほど、

人の選択肢を奪う。

佐伯ミナは、

コーヒーを拒否した。

味を否定したわけでも、

気持ちを否定したわけでもない。

ただ、

「断っても問題がないか」を

一つずつ確認した。

業務命令ではない。

評価にも影響しない。

不利益も発生しない。

ならば、

拒否は成立する。

善意は、

受け取られて初めて完成する。

受け取る自由がなければ、

それは親切ではなく、

沈黙を強いる圧力だ。

ここは、コミュニケーション許可局。

佐伯ミナは今日、

誰かの優しさを裁いたわけではない。

「善意は義務ではない」と、

静かに線を引いただけだった。

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