第11話 “空気を読む”は義務か——佐伯、雑談会を拒否する
オフィス・夕方
午後六時前。
業務はほぼ終わっている。
だが、誰も席を立たない。
理由は明白だった。
佐藤課長
「じゃあさ、
軽く雑談でもしようか」
軽い声。
悪気のない提案。
佐藤課長
「最近、
部内の空気ちょっと固いし」
佐藤課長
「仕事の話はナシで。
リラックスしよう」
フロアの反応
笑顔が、
少しずつ広がる。
誰かが言う。
部内メンバーA
「いいですね」
部内メンバーB
「たまには、
こういうのも大事ですよね」
雑談会は、
“決定事項”になりつつあった。
田中・心の声
(……あ)
(これ、
断れないやつだ)
(帰りたいけど……
空気的に……)
佐藤課長
「じゃ、
佐伯さんも」
自然な流れ。
名指し。
佐藤課長
「参加、
大丈夫だよね?」
佐伯ミナ
佐伯ミナは、
椅子に座ったまま、
静かに答えた。
佐伯
「参加しません」
フロア
一瞬、
時間が止まる。
誰かが、
咳払いをする。
佐藤課長
「……え?」
佐伯
「参加しません」
繰り返し。
田中・心の声
(言った……)
(言っちゃった……)
佐藤課長
「いやいや、
堅い話じゃなくてさ」
佐藤課長
「ただの雑談。
業務外だし」
佐伯
「業務外であれば、
参加は任意です」
佐藤課長
「……まあ、
そうだけど」
佐藤課長
「でもさ、
空気ってあるじゃん?」
佐伯、整理に入る
佐伯
「確認します」
佐藤課長
「……はい?」
佐伯
「この雑談会は、
評価に影響しますか」
佐藤課長
「……しない」
佐伯
「不参加による
不利益はありますか」
佐藤課長
「……ない」
佐伯
「では、
参加は義務ではありません」
ざわめき
部内メンバーC
「でも……
チームワークとか……」
佐伯
「チームワークは、
業務遂行によって
評価されるべきです」
佐伯
「私生活の共有は、
必須条件ではありません」
田中・心の声
(……正論)
(でも……
それ言うと
“ノリ悪い人”になるやつ……)
佐藤課長(少し強めに)
佐藤課長
「佐伯さん」
佐藤課長
「別に、
誰も強制してない」
佐伯
「はい」
佐伯
「ですが、
名指しされた時点で」
佐伯
「心理的強制が
発生しています」
フロア、静寂
佐藤課長
「……そこまで言う?」
佐伯
「言語化しないと、
“任意”は機能しません」
田中・心の声
(……雑談って、
こんなに
重い話だったのか……)
佐藤課長、譲る
佐藤課長
「……わかった」
佐藤課長
「佐伯さんは、
参加しなくていい」
佐藤課長
「他の人は、
どうする?」
数名が、
目を見合わせる。
部内メンバーA
「……今日は、
帰ります」
部内メンバーB
「……自分も」
雑談会は、
自然消滅した。
廊下
退社の流れ。
田中は、
佐伯の横を歩きながら、
小さく言った。
田中
「……正直、
羨ましいです」
佐伯
「何がですか」
田中
「断れるの」
佐伯
「誰でも、
断れます」
佐伯
「断らないだけです」
田中
「……嫌われません?」
佐伯
「嫌われる可能性はあります」
即答。
田中
「……それでも?」
佐伯
「“空気を読む”ことが
義務になると」
佐伯
「最初に壊れるのは、
業務です」
田中・ナレーション
この日、
僕は知った。
空気を読むことは、
美徳かもしれない。
でも、
読まなかった責任を
引き受ける人がいなければ、
その空気は、
いつか誰かを
窒息させる。
ナレーション
――ここは、コミュニケーション許可局。
雑談は、
本来、自由なものだ。
話したい人が話し、
聞きたい人が聞く。
そこに義務も、
評価も、
序列も存在しない。
だが一度、
「空気を読め」
という言葉が重なると、
雑談は選択ではなくなる。
断らないことが前提になり、
参加しない理由を
説明する側が
責任を負わされる。
それは、
自由な会話ではない。
佐伯ミナは、
雑談を否定しなかった。
和やかさも、
場の緩みも、
必要なものだと理解している。
ただ、
“参加しない”という選択が
許されない状態を、
そのままにしなかった。
任意とは、
断れることを含んでいる。
断れない任意は、
すでに義務だ。
空気は、
読むものではなく、
選べるものでなければならない。
ここは、コミュニケーション許可局。
佐伯ミナは今日、
場を壊したのではない。
誰もが
参加しない自由を持っていることを、
静かに可視化しただけだった。
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