第10話 沈黙は同意か——佐伯、会議を止める
会議室・午前
午前十時。
ガラス張りの会議室。
ブラインド越しの光が、机の上に線を落とす。
参加者は七名。
第一企画部の定例ミーティング。
議題は、
来月実施予定の社内プロジェクト。
佐藤課長
「じゃあ、この方向で進めるってことで」
言い切り。
誰も、すぐには口を開かない。
資料をめくる音。
ペンが転がる音。
沈黙が、
“了承”の形を取り始める。
田中・心の声
(……あれ?)
(これ、
本当に決まった感じ?)
(なんとなく、
誰も反対してないだけじゃ……)
佐藤課長
「異論、ないよね?」
“ない”という前提で、
視線が一周する。
誰も、目を合わせない。
沈黙の連鎖。
若手は、黙る。
中堅は、様子を見る。
上の人間は、
「反対がない」と解釈する。
会議室は、
同意したことになりつつあった。
佐伯ミナは、
資料から目を離さない。
メモも取らない。
ただ、
沈黙を“事実”として見ている。
佐藤課長
「じゃあ、決定で——」
佐伯
「止めてください」
会議室。
一瞬で、空気が変わる。
誰かが、
小さく息を吸う。
佐藤課長
「……佐伯さん?」
佐伯
「今の進行では、
合意が成立していません」
佐藤課長
「……いや、
誰も反対してないけど?」
佐伯
「反対がないことと、
同意があることは別です」
田中・心の声
(……来た)
(会議室で、
それ言うの……?)
佐伯の整理
佐伯
「確認します」
佐伯
「今の議題について、
明確に“賛成”と発言した方はいますか」
沈黙。
誰も、手を挙げない。
佐伯
「では、
合意は成立していません」
ざわめき。
部内メンバーA
「いや……
空気的にOKっていうか……」
部内メンバーB
「今さら止める話でも……」
佐伯
「“空気”は、
意思表示ではありません」
佐伯
「沈黙は、
確認不能です」
佐藤課長(少し苛立ち)
「じゃあさ、
いちいち全員に
確認取れってこと?」
佐伯
「はい」
即答。
会議室・再静寂。
佐伯
「このプロジェクトは、
業務負荷が増加します」
佐伯
「業務負荷の増加は、
労務管理上の論点を含みます」
佐伯
「その状態で
“異論がないから決定”は、
適切ではありません」
田中・心の声
(……これ、
怒られるやつじゃ……)
佐藤課長
「……佐伯さん」
一拍。
「新人の立場で、
そこまで言う?」
佐伯
「立場は関係ありません」
佐伯
「合意形成の手続きの問題です」
佐藤課長・心の声
(……正論だ)
(正論だけど……
場が、重い……)
佐伯、線を引く
佐伯
「提案します」
佐伯
「賛成・条件付き賛成・保留・反対」
佐伯
「この四択で、
一人ずつ意思表示をしてください」
一人ずつ。
部内メンバーA
「……条件付き賛成です」
部内メンバーB
「……保留で」
部内メンバーC
「……反対です。
正直、リソース足りません」
空気が、
目に見えて変わる。
田中
「……僕も、
保留です」
声は小さいが、
確かだった。
佐藤課長
「……」
深く息を吐く。
「……わかった」
「今日は決定しない」
「条件整理して、
もう一度やろう」
会議後・廊下
会議室を出たあと、
何人かが、
気まずそうに歩いていく。
田中は、
佐伯の横を歩きながら、
小声で言った。
田中
「……正直、
助かりました」
佐伯
「何がですか」
田中
「……あのまま、
“同意したこと”に
なってた気がして」
佐伯
「はい」
佐伯
「それが、
一番危険です」
田中
「……でも」
田中
「嫌われませんか、
ああいうの」
佐伯
「嫌われる可能性はあります」
即答。
田中
「……それでも?」
佐伯
「沈黙を同意と誤認する方が、
長期的には
より多くの人を壊します」
田中・ナレーション
この日、
僕は知った。
黙ることは、
安全ではない。
言わなかった責任は、
あとから
必ず返ってくる。
そして、
それを止める人間は——
だいたい、
嫌われ役になる。
ナレーション
――ここは、コミュニケーション許可局。
沈黙は、
同意ではない。
だが多くの場で、
沈黙は
「反対しなかった」
「波風を立てなかった」
という理由だけで、
賛成として処理される。
それは意思表示ではなく、
回避だ。
賢さを装った逃避であり、
責任を先送りするための沈黙だ。
佐伯ミナは、
意見を押し通したわけではない。
反対を扇動したわけでもない。
ただ、
「誰も同意していない」
という事実を
そのまま置いただけだった。
合意とは、
確認できるものだけを指す。
空気でも、
雰囲気でも、
沈黙でもない。
沈黙は、
肯定でも否定でもない。
だからこそ、
制度は沈黙を
信用してはいけない。
ここは、コミュニケーション許可局。
佐伯ミナは今日、
誰かの意見を勝たせたのではない。
ただ、
黙ったまま決めるという
最も無責任な進行を、
止めただけだった。
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