第2話 佐伯ミナは、告白を許可しない


田中・ナレーション

僕の名前は田中正広、22歳。

頑張って勉強して、

一流大学を出て、

いい会社に就職して、

かっこよく仕事をこなし、

ドラマのような恋愛をする。

それだけが、夢だった。

その環境は、整った。

──でも僕は知らなかった。

令和の会社には、

笑顔の奥に見えない地雷が、

当たり前のように敷き詰められていることを。

そして僕の隣には、

コミュニケーションを

“許可制”にする番人が

座っていたのだ。

入社式会場・春の朝

柔らかな照明。

ざわめく新入社員たち。

田中は、資料を揃えながら深呼吸した。

(今日から社会人。

 人生、ここからだ)

スマホが震える。

「無理しすぎないでね。楽しんできなさい😊」

(……よし)

まずは、いい仲間を。

できれば、話しやすい人を。

そのとき。

視界の端を、

“何か”が掠めた。

黒髪。

静謐。

背筋は、一切の迷いなく伸びている。

田中は、思わず二度見した。

(……え)

空気の密度が、変わった気がした。

名札。

佐伯 ミナ

配属:本社/第一企画部

(同じ部署……?

 同じ、企画部……?)

脳内で、ファンファーレ。

(勝った。

 社会人ガチャ、SSR)

講師の声が響く。

「新入社員代表、佐伯さん」

佐伯ミナが立つ。

所作に、無駄がない。

視線は定まり、

呼吸まで、均一だった。

それは自信ではない。

警戒の姿勢だった。

佐伯

「価値観を相互尊重し、

 比較・依存・評価を回避し、

 心理的安全性を担保した上で──」

会場が、ざわ……と静まり返る。

田中(心)

(……固い)

でも、真面目だ。

ちゃんとしてる。

(最高じゃん)

だが、その言葉は

理想論ではなかった。

彼女にとっては、

必要条件だった。

線を引かなければ、

人は踏み越えてくる。

そう知っている者の口調だった。

席に戻る佐伯を見て、

田中は小さくガッツポーズをした。

その瞬間。

佐伯(横目で)

「……コンフィデンス・ハラスメント、確認」

田中

「……はい?」

(自信……の……ハラスメント?)

ガッツポーズで、罪状確定?

田中は、まだ気づいていない。

今、

人事より厳しい存在を

隣席に引き当てたことを。

本社・休憩スペース

時計の針が、静かに進む。

田中は、意を決して立ち上がった。

(まずは好意を伝える)

(相手に“意識”させる)

(そこから距離を縮める)

脳内で組み立てられるのは、

雑誌、先輩の武勇伝、

ドラマで見た“王道ルート”。

(初手告白)

(逃げない男は、誠実)

(それが、正解)

※なお、実地経験はほぼない。

田中

「もし良かったら、今度……

 ご飯……その……」

言葉を選んでいるつもりだった。

慎重で、丁寧で、

相手を尊重しているつもりだった。

一息。

「好きです。

 お付き合いを──」

それは彼なりの、

長期戦の布石だった。

佐伯ミナは、即座に顔を上げた。

ためらいはない。

感情も、ない。

佐伯

「はい。アウトです」

田中

「……え?」

佐伯

「それは、

 コクハラに該当します」

田中

「……こ、コク……?」

佐伯

「告白ハラスメント」

佐伯

「相手の意思確認なく

 恋愛感情を提示し、

 精神的負担を与える行為です」

田中

「好きって言うの、

 犯罪なんですか……?」

佐伯

「犯罪ではありません」

一拍。

佐伯

「ただし、

 合法なのは、

 双方に恋愛意思が確認できている場合のみです」

田中

「……気持ちを告げて、

 確かめるのは……?」

佐伯

「不可です」

田中

「……」

佐伯

「私は、

 あなたに好意を示したことは一度もありません」

佐伯

「会話すら、ありません」

田中

「……じゃあ、俺は……

 どうやって……」

佐伯

「事前リサーチを行い、

 相手があなたに

 恋愛感情を抱いているという

 合理的根拠を提示してください」

田中

「……恋じゃなくて……

 監査……」

佐伯は、ほんの一瞬だけ目を細めた。

佐伯

「恋愛感情の押し付けは、

 時代遅れです」

佐伯

「人の心に触れるなら、

 許可を取る」

佐伯

「それが、今の常識です」

田中

「……そんなの、

 愛じゃ……」

佐伯

「ええ」

一拍。

佐伯

「だからこそ、

 “愛”だけでは

 人は守れないんです」

ふっと、視線を伏せる。

ほんの一瞬。

冷たさではない。

痛みの影が、走る。

佐伯(低く、独り言のように)

「……許される恋を、

 私はまだ知りません」

時計の針が、ひとつ進む。 


田中・ナレーション

こうして僕は、知ってしまった。

職場とは、

言葉より先に

意図が裁かれる法廷だということを。

そして僕は今日、

人生で一番重たい

“隣席ガチャ”を引いた。

彼女は、怒鳴らなかった。

笑いもしなかった。

ただ、

線を引いただけだった。

それだけで、

心は、完敗だった。 


ナレーション

――ここは、コミュニケーション許可局。

好意は、免罪符ではない。

誠実さも、勇気も、

相手の許可を代行しない。

言葉は自由だ。

だが、

向ける相手の心は自由ではない。

同意のない感情提示は、

たとえ善意でも、

たとえ恋でも、

侵入になる。

この場所では、

「好き」という言葉は

優先権を持たない。

気持ちは尊重される。

だが、

処理される順番は守られる。

佐伯ミナは、

誰かを拒絶したわけではない。

誰かを裁いたわけでもない。

ただ、

許可のない感情が

通行しようとしたため、

規程どおりに止めただけだ。

ここは、コミュニケーション許可局。

恋は否定されない。

だが、

許可なく触れた瞬間、

それは恋ではなくなる。

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