第2話 ハナレ村の救世主と屋根裏の居候
「ここが、私たちの村……ハナレ村です」
アルトに案内され、鬱蒼とした森を抜けた先に広がっていたのは、どこか懐かしさを覚えるのどかな農村だった。緩やかな丘に沿って木造の家々が並び、村の中央を流れる小川が陽光を反射してキラキラと輝いている。
だが、第1話で目覚めた瞬間に感じた、あの暴力的なまでに鮮やかな自然の輝きに比べると、村の空気はどこかどんよりと沈んでいた。行き交う人々は皆、何かに怯えるように肩をすぼめ、うつむきがちに歩いている。
「あ……アルト! 無事だったのかい!?」
村の入り口で野良仕事をしていた初老の男性が、こちらに気づいて駆け寄ってきた。その後ろから、異変を察した村人たちが次々と家から顔を出す。
「はい、村長さん! 森で徴収官の兵士に襲われたのですが、この方に助けていただいたんです」
アルトが誇らしげに俺を指差すと、村の中をざわめきが駆け抜けた。
「兵士を……一人で? まさか、そんな」 「見てごらんなさい、あの不思議な格好。それに、あの凛々しい佇まい……」
村人たちの瞳に、絶望の淵で、もはや物理法則すら無視した何かに縋りつこうとする、痛々しいほどの「期待」が宿るのが分かった。彼らは俺を取り囲み、拝むように手を合わせる。
「おお、救世主様……! 女神様は私たちを見捨ててはいなかったのだ!」 「どうか、私たちの村をお救いください!」
「え、あ、はい。どうも、天野カナデです。救世主っていうか、その……」
いきなりの熱烈な歓迎に俺が気圧されていると、肩にふわりと柔らかい感触が乗った。
「そうですとも! 彼こそが女神様に選ばれ、空を超えてやってきた真の賢者、カナデ様です! どんどん敬って、どんどん期待しちゃってくださいねぇ」
俺の耳元で、シズリスが朗らかに、けれどどこか煽るような声で宣言する。 村人たちが「おおおっ!」と歓声を上げ、切実な眼差しをこちらに向けるたび、俺の右手の平に、じわじわと熱い何かが溜まっていくのが分かった。
(……なんだこれ。さっきの空気砲の時よりも、もっと生々しい熱が流れ込んでくる……)
それは俺自身の空想から生まれたものではない。外側から、他人の意志が俺という器に無理やり注ぎ込まれているような感覚。 俺の戸惑いを察したのか、シズリスが唇を耳に寄せて囁く。
「いい傾向ですぅ。カナデさんのMP(精神エネルギー)は、あなた自身の煩悩だけじゃありません。あなたを介して、周囲の人が抱く『強い想い』もエネルギーに変換されるんですよ」
「周りの想いが……俺のエネルギーに?」
「ええ。女神様は、あなたをこの世界の『アンテナ』として設定しました。人々の希望も、そして――『助けて』という悲鳴に近い絶望も、すべてがあなたという端末を通れば、世界を動かす燃料になる。魔王軍が暴れて人々を追い詰めれば追い詰めるほど、救いを求める彼らの祈りは純度を増し、あなたのパワーは底上げされる……。皮肉にも、魔王軍こそがあなたの最高のサポーターってわけです。面白い仕掛けでしょう?」
シズリスは楽しげに笑うが、俺の背筋には冷たいものが走った。 俺が「強い救世主」でいるためには、この村の人々が常に恐怖に震え、俺に救いを求めていなければならないということか。 マッチポンプのような、歪な仕組み。俺は女神が用意した、効率の良すぎる「発電機」に過ぎないのではないか。そんな疑念が胸にチクリと刺さった。
村長への挨拶と、熱狂的な村人たちへの対応を終える頃には、日はすっかり西に傾いていた。 当面の住まいとして、俺はアルトの家にしばらくお世話になることになった。
「狭い屋根裏部屋ですけど……ここを自由に使ってください。今日から、よろしくお願いします、カナデ様」
アルトが案内してくれたのは、彼女の部屋の真上にある小さな隠れ家のような空間だった。窓からは村を一望でき、古びてはいるが手入れの行き届いたベッドと机が置かれている。
「ありがとう、アルト。見ず知らずの俺を泊めてくれるなんて、本当に助かるよ」
「そんな、お礼なんて……! 私の方こそ、命を救っていただいたんです。それに、カナデ様がこの村にいてくださると思うだけで、みんなの心に灯がともったみたいで……」
アルトは少し照れくさそうに微笑むと、そそくさと階下へ降りていった。
一人残された部屋で、俺は古びて硬いベッドに身を投じる。木の軋む音が、ここが現実であることを改めて教えてくれる。
「……なぁ、シズリス。さっきの話だけど、女神様は最初から俺を『アンテナ』にするつもりで呼んだのか?」
宙に浮きながら、俺の耳元で銀色の髪を弄んでいたシズリスが、退屈そうに唇を尖らせた。
「女神様の真意なんて、私のような端末には分かりませんよぉ。ただ、カナデさんの脳内にある『ドラ●もん』の知識……あれは、この世界の住人にはない『最強の空想』なんです。それを燃料にして、村人たちの切実な祈りを火種にする。これ以上の発電効率はありません。納得いかない顔をしてますけど、結果的にあなたが彼らを救えば、誰も文句は言いませんよぉ?」
「……結果が良ければそれでいい、か」
俺は右手を強く握りしめた。女神と魔王、そのどちらもが人々の感情を燃料にしている。 俺が振るう『ひみつ道具』は、本当に俺の意思で出ているのか。それとも、女神が最も効率よくエネルギーを搾り取るために、俺を踊らせているだけなのか。
夕食の時間は、驚くほど穏やかだった。 アルトが作ってくれたのは、村で採れた野菜のスープと、少し硬めの黒パン。
「質素な食事でごめんなさい。徴収官が来始めてから、なかなか贅沢ができなくて……」
「いや、すごく美味しいよ。温かい飯が食えるだけで幸せだ」
本当の気持ちだった。現代日本でコンビニ弁当ばかり食べていた俺にとって、誰かが作ってくれた手料理は何よりも贅沢に感じられた。 食後、屋根裏に戻った俺を待っていたのは、夜の静寂だった。窓の外には、偽物のように美しい星空が広がっている。
「……はぁ」
ようやく訪れた、一人の時間。 得体の知れない女神の声、空想を食べる妖精、命を狙ってくる兵士たち、そして救いを求めてくる村人たち。 「賢者」だの「救世主」だのと祭り上げられてはいるが、本当の俺はただのドラ●もんオタクでしかない。もし次に、あの空気砲で倒せないようなバケモノが現れたら? もし、村人たちの期待に応えられなかったら?
知らない世界、知らない法則への根源的な不安が、じわじわと背中を這い上がってくる。
「……あら。何、震えてるんですかぁ?」
シズリスが、背後から音もなく俺の背中に抱きついてきた。 ピタリと重なる、驚くほど柔らかい肌の感触。 現代日本の衣服ではあり得ない、薄いドレス越しに伝わる体温。
「っ……! 近いって、お前」 「ふふ。不安な時は、こうしてると落ち着くって、カナデさんの脳内アーカイブに書いてありましたよ? 緊張しすぎて心拍数が上がってますねぇ……これもまた、良いエネルギーですぅ」
緊張で全身が強張る。同時に、その柔らかさにどこか救われている自分もいた。 アルトが見せてくれた無垢な笑顔への感謝と、彼女を守らなければならないという微かな、けれど確かな使命感。 そして、腕の中に収まりそうな妖精がもたらす、暴力的なまでの異性の存在感への戸惑い。
「……よし、寝る。寝て、明日考える」
「そうですね。おやすみなさい、救世主様。明日もたっぷり働いてもらいますからね?」
俺の異世界生活二日目は、ようやく手に入れた屋根裏の安心感と、拭いきれない未来への不安、そして背中に感じるシズリスの体温への猛烈な緊張と共に、更けていった。
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