第15話
水深2000メートル。 太陽の光など届かない、永遠の闇と沈黙の世界。
「……快適だな」
俺は海底神殿の回廊を歩きながら、独りごちた。 かつての人間の体なら、水圧で空き缶のように潰れていただろう。 だが、今の俺(龍の心臓と鱗を持つ化け物)にとって、この重圧は心地よい毛布のようなものだった。
『アルヴィン、暗いよぉ……』 『俺は泳ぐの苦手なんだよな……』 ミナとガルドの亡霊が、俺の周りを漂っている。 深海でも彼らはついてくる。いや、光がない分、彼らの姿が青白く発光して、以前よりも鮮明に見える。
神殿の最深部。 そこに鎮座していたのは、巨大なクジラの骨格を纏ったような、不定形の精霊だった。 第6の秘宝『蒼海(そうかい)の涙』の守護者、『深淵の賢者』だ。
『――来タカ。哀レナ、デモ強キ者ヨ』
声ではない。脳に直接響く思念波だ。 賢者は俺を攻撃する素振りも見せず、ただ巨大な虚ろな瞳で俺を見下ろした。
『龍ノ心臓ヲ埋メ込ミ、人ヲ捨テテマデココニ来タカ。……ソレほどマデニ、世界ヲ救イタイト願ウカ』
「世界なんてどうでもいい」 俺は泡とともに言葉を吐き出す。水流魔法で声を届ける。 「俺が欲しいのは『結果』だけだ。そこにある秘宝を渡してもらおう」
賢者は悲しげに揺れた。
『渡スノハ造作モナイ。ダガ、知ッテイルカ? お主ガ呼ボウトシテイル「勇者」ノ正体ヲ』
俺は眉をひそめた。 「……正体?」
『勇者トハ、異界カラ招カレル魂。ダガ、強大ナ魂ヲ定着サセルニハ、莫大ナエネルギーガ必要トナル』 賢者の思念が、俺の脳内に映像を流し込む。 それは過去に行われた召喚の儀式。 光の中で、召喚士の体が分解され、魂が引き剥がされ、勇者を形作る「器」として融合していく光景。
『秘宝ハ鍵ニ過ギナイ。扉ヲ開ケタ後、勇者ヲ現世ニ留メルタメノ「燃料」トナルノハ――召喚者、オ前自身ダ』
『オ前ハ英雄ニナレナイ。救世主ニモナレナイ。ただ燃エ尽キテ、勇者ノ一部トナッテ消滅スルダケダ。……ソレデモ、進ムカ?』
沈黙。 深海の静けさが、より一層重くのしかかる。
これが真実だ。 勇者召喚とは、召喚士の命を代償にした「人柱システム」だったのだ。 エリスが信じていた「勇者が生き返らせてくれる」なんて奇跡は起きない。 俺が死んで、勇者が来る。ただそれだけ。
普通なら絶望する。 騙されていたと怒り狂うか、死にたくないと逃げ出す場面だ。
しかし。
「……く、ククッ……」
俺の口から漏れたのは、笑い声だった。 肩が震える。笑いが止まらない。
「ははははは! なぁんだ! そういうことかよ!」
『? 何ガオカシイ』
「いや、安心したんだよ」 俺は歪んだ鉤爪の手で顔を覆い、恍惚とした表情で賢者を見上げた。
「俺はてっきり、俺だけが生き残って、罪を背負って生きていかなきゃならないと思っていた」 「でも、違うんだな? 俺も死ねるんだな?」 「俺が燃料になって、エリスたちの願い(勇者)になる……。つまり、俺たちは一つになれるってことじゃないか」
それは、究極の救いだった。 俺の汚れた魂も、罪も、全てが勇者という光の燃料になって浄化される。 そして、その光の中で、俺は再び彼らに会える(かもしれない)。
「最高じゃないか。……ありがとうよ、賢者様。モチベーションが上がった」
俺は杖を構え、龍の魔力を全開にする。 背中のエラが激しく開閉し、海水が沸騰する。
『……狂ッテイル。魂マデ壊レテイルカ』 賢者が嘆くように首を振る。 『ナラバ、慈悲ヲ与エヨウ。ココデ眠ルガ良イ』
「断る! 俺が眠るのはここじゃない!」 俺は海水を蹴り、弾丸のように突っ込んだ。
「俺が死ぬ場所は! 彼女(エリス)との約束の場所だぁぁぁっ!!」
激突。 深海の水圧さえ置き去りにするスピードで、俺は賢者の核へと爪を突き立てた。
数分後。 崩壊する神殿の中で、俺は青く輝く『蒼海の涙』を握りしめていた。 賢者は消滅し、静寂だけが戻っていた。
俺は秘宝を掲げ、光に透かして見る。 その光の中に、エリスの笑顔が見えた気がした。
『アルヴィン……貴方、本当に死ぬ気なの?』 エリスの幻覚が、悲しそうに問いかける。
「ああ。これでお前と一緒だ」 俺は満足げに頷いた。 「俺が死んで、勇者が生まれる。……俺たちの子供みたいなもんだな」
『……馬鹿』 エリスが泣き笑いのような顔をする。
俺は手帳を取り出し、海水に濡れない特殊なインクで記述する。
『業務報告』 『第六秘宝「蒼海の涙」、回収完了』 『特記事項:プロジェクトの最終工程(俺の死)を確認。問題なし』
恐怖はない。あるのは「早くゴールテープを切りたい」という焦燥感だけ。 俺は鱗に覆われた体で、暗い海を浮上していく。
あと2つ。 天空の『雷霆の翼』。 そして、始まりの地にある最後の秘宝。
俺の命というロウソクは、残りわずか。 だが、その炎は今、かつてないほど激しく燃え盛っていた。
次の更新予定
2025年12月30日 10:00
英雄製造業務報告書 ~世界を救うため、本日は「仲間」を3名消費しました。壊れた召喚士の勇者育成ログ~ @gamakoyarima
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