第14話

港町『セイレーン』の安宿。 俺はベッドの上で、自分の身体を見下ろしていた。


「……酷いな、こりゃ」


鏡に映っているのは、骸骨のように痩せこけた男だった。 皮膚は土気色に変色し、所々が壊死して剥がれ落ちている。 呼吸をするたびに肺からヒューヒューと音が鳴り、心臓は不整脈を打っている。


限界だ。 気力だけで動かしてきたが、この肉体(ハードウェア)はもう寿命を迎えている。 次の秘宝は、水深2000メートルの海底神殿にある『蒼海の涙』。 今の俺が潜れば、水圧で潰れる以前に、心臓が停止するだろう。


『アルヴィン……』 枕元に立つエリスの幻覚が、泣きそうな顔で俺を見ている。 ここ数日、彼女の姿が薄い。ノイズが走ったように霞んで見える。 俺の脳の処理能力(生命力)が落ちている証拠だ。


『もう、いいじゃない。十分頑張ったわ』 エリスが俺の頬に触れようとするが、その手はすり抜けた。 『これ以上は無理よ。……ねえ、もう休もう? 私たちと一緒に、向こうへ行きましょう?』


甘い誘惑だ。 死ねば楽になれる。エリスたちとも(本当の意味で)再会できるかもしれない。 だが、俺は首を横に振った。


「断る」 俺はベッドから這い出し、鞄を引き寄せた。 中から取り出したのは、前回手に入れた第5の秘宝『紅蓮の心臓』。 ドクン、ドクンと力強く脈打つ、龍の心臓だ。


「俺の心臓が弱いなら、強いものと取り替えればいい」 「肺が持たないなら、エラを作ればいい」 「皮膚が脆いなら、鱗を植えればいい」


『何を……何を言ってるの!?』 エリスが悲鳴を上げる。 『そんなことをしたら、貴方はもう人間じゃなくなるわ! 魔物になっちゃうのよ!?』


「人間?」 俺はメスを手に取り、自嘲した。 「そんな機能(スペック)、今の業務には不要だ」


俺は躊躇なく、自分の胸にメスを突き立てた。




そこからは、地獄のような作業だった。 麻酔はない。痛覚を遮断する薬草も切れている。 だが、俺は止まらなかった。


自分の胸を切り開き、肋骨をこじ開ける。 弱々しく動く自分の心臓を鷲掴みにし、引きちぎる。 本来ならそこで死ぬはずだ。 だが、即座に『紅蓮の心臓』を胸腔に押し込み、血管を魔力で無理やり接続する。


「ガアアアアアアッ!!!!」


全身を業火で焼かれるような激痛。 龍の魔力が血管を駆け巡り、人間の細胞を侵食していく。 遺伝子が書き換わる音がする。 皮膚が硬化し、赤黒い鱗が浮き出る。 指先が伸び、鋭い鉤爪へと変貌する。 首筋が裂け、エラのような呼吸器官が形成される。


「ハァッ……ハァッ……ガァッ……!」


俺は床でのた打ち回りながら、それでも意識を保ち続けた。 死んでたまるか。 こんなところで終わってたまるか。 俺はまだ、勇者を呼んでいない。


『やめて……アルヴィン、お願い……!』 エリスが泣き叫んでいる。 『そんな姿にならないで! 私の好きなアルヴィンに戻って!』


「うるさい……!」 俺は血反吐を吐きながら、幻覚に向かって吼えた。 「お前の好きなアルヴィンなんて、とっくに死んだんだよ!」 「俺は、お前たちを生き返らせるための装置だ! システムだ! バケモノでいいんだよ!」


ドクンッ!! 龍の心臓が、俺の体と完全に適合した。 莫大な魔力が溢れ出し、部屋の窓ガラスが衝撃で割れる。


痛みは消えた。 代わりに、全身に力が漲(みなぎ)っている。 鋼鉄さえ引き裂ける腕。深海の水圧にも耐えうる甲殻。 そして何より、尽きることのないスタミナ。


俺はふらつきながら立ち上がり、鏡を見た。 そこには、赤黒い鱗に覆われ、眼球が金色に変色した「異形」が立っていた。 人間としての面影は、もうどこにもない。


「……起動(ブート)、完了」


俺は自分の新しい手を見つめ、握りしめた。 素晴らしい。これなら戦える。これなら潜れる。


ふと見ると、部屋の隅でエリスたちが呆然と立ち尽くしていた。 ガルドもミナも、俺の姿に言葉を失っている。 エリスだけが、両手で顔を覆って泣いていた。


『……どうして』 彼女の声が震える。 『どうして、そこまで……』


俺は鏡の中の化け物に、無理やり笑顔を作らせた。 ギザギザの歯が覗く、凶悪な笑みだった。


「愛しているからさ、エリス」 「この身が朽ち果てても、魂が消滅しても。……俺は絶対に、約束を果たす」


俺はマントを羽織り、異形の体を隠した。 重かった体が、羽のように軽い。 龍の心臓が、早く次の戦場へ行けと急かしている。


「行くぞ。海が呼んでいる」


俺はエリスの涙に触れることなく(今の爪では彼女を傷つけてしまう気がして)、部屋を出た。 夜の港町。 雨が降っていたが、今の俺には冷たさなど感じなかった。 ただ、心臓の音だけが、時計の針のように正確に、俺の寿命を刻んでいた。

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