第11話
毒の沼地を抜け、廃墟となった教会で雨宿りをする。 安全確保。結界設置。 一通りのルーチンを終えた瞬間、俺は糸が切れたように床へ崩れ落ちた。
「ガハッ……! うぇ……ッ」
口から吐き出したのは、胃液と、どす黒い血の塊だった。 視界が霞む。指先が震えて止まらない。 体温は異常に低いのに、体の中だけが焼けるように熱い。
(……限界が近いな)
俺は冷静に診断する。 ここ数週間、まともな休息をとっていない。 それに加えて、回収した4つの秘宝――特に『嘆きの聖杯』と『氷結の鏡』が放つ呪いが、持ち主である俺の生命力を蝕んでいる。
「……くそ、痛むな」
俺は右腕の包帯を解いた。 そこには、見るも無惨な光景があった。 かつて魔女の氷槍を受けた傷跡が壊死し、黒く変色している。腐敗臭が鼻を突く。 本来なら切断しなければならないレベルだ。
『あらあら、酷い色。まるで熟れすぎた果実ね』 ミナが興味津々に覗き込んでくる。 『なぁリーダー、俺の唾でもつけときゃ治るんじゃねぇか?』 ガルドが無茶苦茶なことを言う。
「……エリスがいれば、こんな傷、『ヒール』一発なのに」
俺は無意識に呟いた。 その瞬間、隣にいたエリスの幻覚が、悲しげに眉を寄せた。 『ごめんね、アルヴィン。私がもう、魔法を使えないから……』 「いや、違う。お前は悪くない」
俺は慌てて否定し、鞄から小瓶を取り出した。 中に入っているのは、赤黒い乾燥した葉。 闇市で手に入れた『夢見の草』だ。強力な鎮痛作用がある代わりに、依存性と幻覚作用が強い違法薬物。
今の俺には、これしか選択肢がない。 俺は葉を口に放り込み、水なしで噛み砕いた。 強烈な苦味が広がる。
「……よし」
数分後。 脳髄が痺れるような感覚と共に、右腕の激痛が嘘のように引いていく。 そして、世界の色が鮮やかに変わる。
『あ、顔色が良くなったわね!』 エリスの声が、さっきよりもクリアに聞こえる。 それだけじゃない。 彼女が俺の頬に触れる感触――冷たくて柔らかい、あの感触までもが、リアルに感じられるようになった。
「ああ……エリス……」
俺は夢遊病者のように手を伸ばし、虚空を撫でた。 端から見れば、薄暗い教会で腐った腕の男が一人、何もない空間を愛おしげに抱きしめている狂気的な光景だろう。 だが、薬でブーストされた俺の脳内では、確かに彼女を抱きしめていた。
「痛くないよ。お前がいるから、全然平気だ」 『ふふ、甘えん坊さんね。……でも、無理しちゃダメよ? 私たちの英雄なんだから』
彼女が俺の腐った右腕にキスをする(ような幻覚を見る)。 すると不思議なことに、壊死した皮膚が愛おしい勲章のように思えてくる。
俺は鞄から、裁縫セットとナイフを取り出した。 痛みが消えている今なら、できる。
「……修理(メンテナンス)を開始する」
俺はナイフを火で炙り、躊躇なく自分の右腕の腐った肉を削ぎ落とし始めた。 ジュッ、と肉が焦げる音と匂いがするが、痛みはない。 まるで壊れた人形を修理するように、俺は自分自身の体を切り刻み、膿を出し、消毒用の強い酒をぶっかけ、太い針と糸で傷口を縫い合わせていく。
『うわー、器用だなぁリーダー』 『私の服を直してくれた時みたいね』
仲間たちの称賛をBGMに、俺は血まみれの手術を終えた。 継ぎ接ぎだらけの右腕。 もはや人間の腕というより、ツギハギの肉塊だ。 だが、指は動く。杖も握れる。なら問題ない。
「動作確認、良好」
俺は新しい包帯を巻き、立ち上がった。 薬の副作用で足元がふらつくが、気分は高揚している。 今の俺は無敵だ。痛みも恐怖もない。
「行こう、みんな。……次は西の火山だ」
教会のステンドグラス越しに、月光が差し込む。 俺の影が床に伸びる。 その影は、片腕が奇妙に肥大化し、まるで魔物のようだった。
俺は笑う。 魔物でいい。化け物で上等だ。 人間ごときが世界を救えるわけがない。 化け物にならなければ、この理不尽なデスマーチは完遂できないのだから。
俺は薬草の残りをポケットにねじ込み、雨の上がった夜道へと歩き出した。
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