第10話

南の密林にある集落、リル村。 そこは、外界から隔絶された平和な楽園だった。


「わあ、旅のお兄ちゃん、すごい! 魔物をやっつけたの?」 「ああ。……通り道だったからな」


俺は広場のベンチで、村の子供たちに囲まれていた。 この村へ来る途中、襲ってきたジャイアントスパイダーを撃退したことで、俺はすっかり「村の英雄」扱いされていた。


「ありがとう、お兄ちゃん! これ、お礼の花飾り!」 少女のエミが、シロツメクサで編んだ冠を俺の頭に乗せる。 くすぐったい感覚。子供たちの無垢な笑顔。 それはかつて、俺たちが守りたかった「世界の美しさ」そのものだった。


『……懐かしいな。俺の故郷もこんな感じだったぜ』 幻覚のガルドが、目を細めて村の景色を見ている。 『可愛いわねー。ねえアルヴィン、少しだけゆっくりしていかない?』 ミナも楽しそうだ。


だが、俺はエミの頭を撫でながら、心の中で彼らに答えた。 (無理だ。……ここにあるんだよ。第4の秘宝が)


俺の視線の先。 村の中央に祀られている巨大な『翡翠の石碑』。 あれこそが、俺が探している第4の秘宝『森護(もり)りの宝珠』だ。




その夜。俺は村長に呼び出された。 「旅の方。貴方には感謝してもしきれません」 年老いた村長は、深々と頭を下げた。 「この村は、あの石碑の結界によって、周囲の毒の沼地から守られているのです。ですが最近、魔物の動きが活発で……貴方のような強い方が来てくれて助かりました」


村長の話を聞きながら、俺は冷たい水を飲み干した。 なるほど。 あの石碑(秘宝)が結界を作り、毒の沼を堰き止めているわけか。


つまり、秘宝を持ち出せばどうなるか。 答えは明白だ。


「……村長。もし、あの石碑がなくなったら?」 俺が尋ねると、村長は青ざめて首を振った。 「とんでもない! あれがなければ、数時間でこの村は毒の沼に沈みます。我々は全滅でしょう」


「そうか」 俺は立ち上がった。 「なら、急いで逃げる準備をした方がいい」


「え?」


俺は杖を抜き放ち、迷うことなく窓ガラスを叩き割った。 「緊急事態だ!!」 俺は大声で嘘を叫び、混乱に乗じて広場へ走る。


目指すは中央の石碑。


「お、お兄ちゃん? 何してるの?」 広場で遊んでいたエミが、きょとんとした顔で俺を見る。 俺は彼女を見ず、石碑に杖を突き立てた。


「『ブレイク(破壊)』!」


バリィィン!! 石碑の台座が砕け、中から緑色に輝く『森護りの宝珠』が転がり落ちる。 それを拾い上げた瞬間、村を包んでいた柔らかな光の膜が――消滅した。


ゴゴゴゴ……。 地鳴りと共に、村の外周からどす黒い水が溢れ出してくる。 毒の沼だ。結界が消えたことで、一気に村へ流れ込んできたのだ。


「きゃあああああ!!」 「な、なんだ!? 毒沼が!?」 「結界が消えたぞ! なぜだ!?」


悲鳴。怒号。泣き声。 平穏だった村は、一瞬で阿鼻叫喚の地獄と化した。


俺は宝珠を鞄にしまい、混乱する人混みをかき分けて出口へ走る。 「どいてくれ。通る」 「お、お前! まさか石碑を壊したのか!?」 村の男が俺の胸倉を掴む。 俺は無言で彼の鳩尾(みぞおち)を殴り、蹴り飛ばした。 今は一刻を争う。弁解している暇はない。


「待って! お兄ちゃん!」


背後から、エミの声がした。 振り返ると、彼女は毒の泥に足を取られ、泣きながら俺に手を伸ばしていた。 「なんで!? 助けてくれたんじゃないの!? なんでこんなことするの!?」


その瞳にあるのは、さっきまでの憧れではない。 裏切られた絶望と、理解不能な「悪」を見る目だ。


俺は立ち止まり、彼女を見下ろした。 助けることはできる。彼女一人くらいなら、抱えて逃げられるかもしれない。


だが、俺の隣で、幻覚のエリスが首を振った。 『ダメよ、アルヴィン。荷物になるわ』 『ここで人助けをしてたら、追っ手に捕まるぜ』 ガルドも冷淡だ。


そうだな。 俺の目的は人助けじゃない。世界救済だ。 世界を救うためにこの秘宝が必要なら、一つの村(100人の命)など、誤差の範囲でしかない。 これを「非道」と言うなら言えばいい。 勇者が来れば、どうせ全て元通りになるのだから。


「……恨むなら、俺じゃなく世界を恨め」


俺はエミに背を向け、毒の霧が充満し始めた村から走り去った。 「お兄ちゃん! お兄ちゃぁぁぁん!!」 少女の絶叫が、沼の泡立つ音にかき消されていく。




安全圏まで離れた丘の上。 見下ろせば、リル村はすでに毒の沼に沈み、緑色の光も人の声も消えていた。 ただ、ドロドロとした黒い泥だけが広がっている。


俺は手帳を開く。手が震えているのは、全速力で走ったせいだ。そうに決まっている。


『業務報告』 『第四秘宝「森護りの宝珠」、回収完了』 『犠牲者:リル村住民(約120名)』 『備考:現地住民の協力を得られず、強制徴収を実行』


「……120名、か」 俺は呟く。 バグズ一人の時とは桁が違う。 だが、不思議と涙は出なかった。 心が麻痺しているのか、それとも本当に壊れてしまったのか。


『アルヴィン、元気出して』 エリスが俺の背中を抱きしめる(感触はないが)。 『貴方は正しいわ。だって、魔王に世界が滅ぼされたら、あの子たちも結局死ぬんだもの。なら、未来のために役立てたほうがいいでしょう?』


「……ああ。そうだな、エリス」 俺は彼女の幻覚に同意する。 その論理は破綻している。だが、そう思わなければ、俺の心が持たない。


「これは『トリアージ(選別)』だ」 自分に言い聞かせるように、俺は繰り返した。 「重症患者(世界)を救うために、軽傷者(村)を切り捨てた。……医療行為と同じだ。俺は悪くない」


俺は真っ暗な森の中へ歩き出した。 耳の奥で、まだ少女の泣き声が聞こえる気がしたが、俺は耳を塞ぐ代わりに、次の秘宝の場所を地図で確認することに集中した。


あと半分。 残り4つ。 どんなに血が流れようと、もう止まるわけにはいかない。

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