第9話

東の砂漠都市『ザンド』。 灼熱の太陽が照りつけるこの街は、欲望と砂塵にまみれていた。


「暑いなぁ……。なぁアルヴィン、水くれよ水」 『死人に水はいらねえだろ』 俺の隣で、幻覚のガルドが舌を出してへばっている。 ミナも空中に浮きながら、団扇で仰ぐ真似をしている。 『日焼けしちゃうー。あ、私もう死んでるから肌焼けないのか。ラッキー』


そんな軽口を聞き流しながら、俺は酒場の奥の席で地図を広げていた。 第3の秘宝『黄金の砂時計』。 眠るのは流砂の海の底にある、蟻地獄の迷宮だ。


「――よう、兄ちゃん。さっきから熱心だな」


声をかけてきたのは、人の良さそうな笑顔を張り付けた男だった。 だが、その目は笑っていない。 後ろには、いかにも柄の悪い男たちが3人控えている。


「俺はジャッカル。この辺りの『ガイド』をしてるもんだ。……お兄さん、迷宮に行きたいんだろ? 俺たちが案内してやるよ。格安でな」


典型的な「カモ探し」だ。 迷宮へ案内すると言って旅人を誘い出し、人気のない砂漠で殺して身包み剥ぐ。 こいつらの手口は、一目で分かった。


(アルヴィン、こいつら臭うわね。血と嘘の匂いよ) ミナが鼻をつまむ。 (ああ。分かりやすいハイエナだ)


本来なら無視するか、衛兵に通報案件だ。 だが、俺は手帳を開き、ジャッカルたちの人数を確認した。 4名。 ……蟻地獄の迷宮には、踏むと作動する「感知式トラップ」が多いと聞く。 解除には手間がかかるが、「誰か」が踏んで作動させてしまえば、その間は安全に通れる。


俺はゆっくりと顔を上げ、ジャッカルに向かって微笑んだ。 おそらく、エリスが死んでから初めての「笑顔」だったと思う。


「……ちょうど探していたんだ。腕のいい『先導役』を」


「へっ? あ、ああ! 任せとけ! 俺たちは超一流だぜ!」 ジャッカルたちは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。 間抜けなカモがかかった、と思ったのだろう。


俺もまた、心の中でニヤリと笑った。 ああ、助かるよ。 お前たちのようなクズなら、使い潰しても心が痛まないからな。




流砂の迷宮。 薄暗い通路を、ジャッカルたちが先行する。


「おい兄ちゃん、本当に金貨持ってるんだろうな?」 「ああ。最深部に着いたら払う約束だろ」 「へへっ、違いねえ」


ジャッカルが目配せをする。 (やるなら次の広間だ)という合図だろう。 彼らは俺を囲むように隊列を変え、いつでも背後から刺せる位置についた。


だが、俺の視界には「別のもの」が見えている。 通路の床、その石畳のわずかな色の違い。 そして、幻覚のミナが指差す先。 『あ、そこ罠だよー』


「……おい、ジャッカル」 俺は足を止めた。 「なんだ?」 「その先の床、何かが落ちていないか?」 「ああん? 金貨でも落ちてんのか?」


欲に目が眩んだジャッカルの部下が、確認もせずに踏み出した。


カチリ。


「え?」


ドシュッ!! 壁の隙間から、無数の毒矢が発射された。 「ぎゃあああああ!?」 部下の一人がハリネズミになって絶命する。


「なっ!? 罠か!? おい兄ちゃん、話が違――」


「進め」 俺は剣を抜き、冷たく言い放った。 「止まるな。死体(そいつ)を踏み台にして先へ行け」


「は、はぁ!? テメェ何言って……!」 ジャッカルたちが激昂し、俺に襲いかかろうとする。 だが、俺は杖を掲げた。


「『ウィンド・ブラスト(突風)』」


「うわぁっ!?」 狭い通路で放たれた衝撃波が、彼らを吹き飛ばす。 彼らが転がった先は――次の罠の起動エリアだった。


ガコン。 床が開き、底なしの穴が出現する。 「た、助けろぉぉぉ!!」 部下二人が悲鳴を上げて落ちていく。下からは、肉を噛み砕く鈍い音が響いてきた。


残ったのは、リーダーのジャッカルだけ。 彼は腰を抜かし、ガタガタと震えながら俺を見上げていた。 「て、テメェ……! 罠があるって知ってて……!」


「当たり前だ。俺には『優秀な盗賊(ミナ)』がついているんでな」 俺はジャッカルの襟首を掴み、引きずり起こした。 「さあ、案内してもらおうか。『ガイド』なんだろ?」


「ひ、ひぃぃっ! 許してくれ! 金なら払う! だから……!」 「金はいらない」 俺はジャッカルを、次の通路へと突き飛ばした。


「俺が欲しいのは、『安全な道』だけだ」




三十分後。 最深部の祭壇。 そこには、ボロボロになったジャッカルが転がっていた。 全身傷だらけで、毒を受け、息も絶え絶えだ。 彼のおかげで、俺は無傷で第3の秘宝『黄金の砂時計』に辿り着いた。


「た……すけ……」 ジャッカルが血まみれの手を伸ばしてくる。 「約……束……金貨……」


俺は秘宝を回収し、冷めた目で見下ろした。 「ああ、そうだったな」 俺は懐から、金貨を一枚取り出し、彼の目の前に落とした。


チャリン。


「今日の仕事の対価だ。……三途の川の渡し賃くらいにはなるだろ」


「あ……が……」 ジャッカルは金貨を掴もうとして、そのまま事切れた。


俺は手帳を開く。


『業務報告』 『第三秘宝「黄金の砂時計」、回収完了』 『経費:金貨1枚(トラップ解除用・現地調達資材)』


『わーお、安上がり!』 ミナが手を叩いて喜ぶ。 『悪党掃除もできて一石二鳥だな。さすがリーダー、効率厨だぜ』 ガルドも満足げだ。


罪悪感? 微塵もない。 むしろ、清々しいくらいだ。 世界を救うためには、綺麗な手ではいられない。 なら、汚れた雑巾を使って床を拭くのは、理にかなっている。


「……次は、南の密林か」


俺は死体の山になった迷宮を背に、足早に立ち去った。 俺の影が、砂漠に長く伸びていた。 その影は、まるで死神の鎌のように歪んで見えた。

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