第7話
北の雪山は、呼吸をするだけで肺が凍りつくような極寒の地だった。
「寒(さぶ)っ……! おいおい、冗談じゃねえぞ。こんな吹雪の中を進むのかよ」 傭兵のバグズが、ガタガタと歯を鳴らしながら悪態をつく。 薄汚れた革鎧一枚の彼は、見るからに寒そうだ。
「文句を言うな。前金は払ったはずだ」 俺は防寒マントの襟を立て、淡々と雪を踏みしめる。 俺の周りには、幻覚の仲間たちが楽しそうに浮遊している。 『うわー、寒そう! 私たち死んでてよかったねー』 ミナが雪の上を滑る真似をして笑う。 『アルヴィン、風邪ひくなよ。トマト食うか?』 ガルドが幻のトマトを差し出してくる。
(ああ、大丈夫だ。問題ない) 俺が心の中で答えていると、バグズが怪訝な顔で俺を覗き込んできた。 「……おい坊ちゃん。さっきから誰と喋ってんだ?」 「独り言だ。気にするな」 「へっ、気味の悪い野郎だぜ。ま、金さえくれりゃ何でもいいがな」
バグズは鼻を鳴らし、再び雪道を歩き出した。 剣の腕は二流だが、体力のタフさだけは一流だ。荷物持ちとしては悪くない。
日が暮れ、吹雪が強まったため、岩陰で野営をすることになった。 魔除けの香を焚き、小さな火を起こす。
「ふぅ……生き返るぜ」 バグズが火に手をかざし、懐から安酒の瓶を取り出して煽る。 「ほら、坊ちゃんも飲むか? 体が温まるぞ」 「いらない。酒は判断を鈍らせる」 「堅いねぇ。これだからエリート様は」
バグズは卑屈な笑みを浮かべながら、チビリチビリと酒を飲む。 炎に照らされたその顔は、昼間の悪党面とは少し違い、どこか疲れ切った父親の顔に見えた。
「……なぁ、坊ちゃん」 沈黙に耐えかねたのか、バグズが口を開く。 「今回の報酬、本当に弾んでくれるんだろうな?」 「約束する。成功報酬は金貨50枚だ」 「へへっ、50枚か。デケェな。……それがありゃ、娘の薬が買える」
俺の手が止まる。 「娘?」 「ああ。王都のスラムにいるんだ。生まれつき体が弱くてな。高い薬がないと、この冬を越せねえんだよ」 バグズは自嘲気味に笑った。 「俺みたいなゴミ親父でもよ、娘は可愛いんだわ。……今回のヤマで稼いだら、田舎に引っ込んで、娘と静かに暮らすつもりだ」
(……既視感) 俺の脳裏に、ガルドの顔が浮かんだ。 『実家の畑を継ぐんだ』 『平和に暮らすのが夢なのよ』
バグズの語る夢は、あの日、俺たちが語り合っていた未来と同じだ。 誰もが幸福を願い、誰かのために生きようとしている。 この薄汚れた傭兵にも、守りたいものがあるのだ。
『……ねえ、アルヴィン』 幻覚のエリスが、悲しげな顔でバグズを見つめている。 『この人、いい人かもね。娘さんのために頑張ってるんだ』 『だな。殺すのは可哀想じゃねえか?』 ガルドも腕を組んでいる。
俺は焚き火を見つめ、静かにバグズに問いかけた。 「……そうか。娘のために、命を懸けているのか」 「おうよ。だからよ、俺は死ねねえんだ。坊ちゃんもしっかり守ってやるから、安心してな」 バグズはニカっと笑い、汚れた歯を見せた。
俺は、ゆっくりと頷いた。 「いい心がけだ。その『執着』……役に立つ」
「あ?」
「いや、なんでもない。寝ずの番は俺がする。お前は寝ておけ」 「お、いいのか? さすがリーダー、話が分かるねぇ!」
バグズは横になり、すぐに高いびきをかき始めた。 無防備な寝顔だ。夢の中で、娘と会っているのかもしれない。
俺は手帳を開き、ペンを走らせる。
【資材No.4(バグズ):品質チェック完了】 【特性:家族への執着。生存本能が高い】 【用途:『氷の魔女』の誘引剤として最適】
俺は冷めた目で、眠るバグズを見下ろした。 可哀想? 違うな。 彼には娘がいる。だからこそ、死に物狂いで足掻くだろう。 その「生への執着」こそが、魔女の注意を引くための最高のスパイスになる。
「……良かったな、バグズ」 俺は誰にも聞こえない声で呟く。 「お前の命は、世界を救うための礎(いしずえ)になる。娘もきっと誇りに思うだろうよ」
俺の隣で、首の折れたミナがケラケラと笑った。 『アルヴィンったら、本当に壊れちゃったね』 『褒め言葉として受け取っておくよ』
吹雪が強くなる。 明日は、第2の秘宝『氷結の鏡』が眠る魔女の館だ。 俺はバグズの背中に、見えない「使用期限」のタグを貼り付けた。
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