第5話
「ガアアァァァッ!!」
咆哮と共に、漆黒の大鎌が横薙ぎに閃いた。 それは戦闘ですらなかった。ただの「掃除」だった。
「ガルドォッ!!」 俺の目の前で、巨漢の戦士が、自慢の鎧ごと紙屑のように弾け飛んだ。 壁に叩きつけられた彼が、ドサリと崩れ落ちる。 その胸板は陥没し、口からは大量の血と、内臓の破片が溢れ出していた。
「……あ、が……ト、マ……ト……」 ガルドは虚空を掴もうとして、ガククリと腕を落とした。 動かない。二度と、彼は動かない。
「嘘……ガルド? 起きてよ、ねえ!」 ミナが半狂乱で短剣を投げる。 だが、死神はそれを指先一つで弾くと、まるで鬱陶しい羽虫を払うかのように裏拳を放った。 「ギャッ――」 ミナの体が独楽(こま)のように回転しながら吹き飛び、柱に激突する。 鈍い音がして、彼女の首がありえない方向に曲がった。 即死だ。
ほんの十秒。 たった十秒で、王国最強のパーティが半壊した。
「次は、お前たちだ」 死神がゆっくりと歩み寄ってくる。 俺は腰が抜け、後ずさることしかできない。隣のエリスも、杖を握りしめてガタガタと震えている。
背中が、冷たい祭壇に触れた。 もう逃げ場はない。
「あ……あ……」 俺は剣を構えることさえ忘れ、死神を見上げた。 殺される。俺も、エリスも。 ここで終わる。世界も、未来も、結婚の約束も。
その時だった。 祭壇が、ブゥン……と低い唸り声を上げ、青白い光を放ち始めた。 俺たちの背後で、台座に刻まれた文字が赤く発光する。
『渇望せよ。嘆きの聖杯は、愛する者の鮮血を以て満たされる』
その文字を読んだ瞬間、俺の思考が凍りついた。 愛する者の、鮮血。 つまり、この秘宝を手に入れる条件は――。
「……なぁんだ」 隣で、鈴が鳴るような声がした。 「そういう、ことだったのね」
「エリス?」 振り返ると、彼女は泣いていなかった。 死神の鎌が振り上げられるのを目の前にして、彼女はどこか憑き物が落ちたような、透明な笑みを浮かべていた。
「アルヴィン。私の短剣、貸して」 「え? 何を……」 「時間がないの。……ねえ、思い出して。私たちの任務は?」 「任務? 世界を救う……」 「そう。そのためには、この聖杯が必要なの」
エリスは俺の腰から短剣を引き抜くと、切っ先を自分の喉元に突きつけた。
「やめろッ!!」 俺は叫び、彼女の手を止めようとした。 だが、エリスの瞳があまりにも真っ直ぐで、俺は動けなかった。
「聞いて、アルヴィン。怖がらないで」 彼女は早口で、しかし優しく語りかける。 「ガルドもミナも死んじゃった。でも、勇者様なら? 神の使いである勇者様なら、きっと生き返らせてくれるわ」 「そ、それは……」 「だから、これは『終わり』じゃないの。私が聖杯になって、貴方が勇者様を呼ぶ。そうすれば、またみんなでキャンプができる。……そうでしょう?」
それは、あまりにも都合の良い妄想だった。 勇者に死者蘇生ができる保証なんてどこにもない。 だが、彼女の瞳には、狂信にも似た希望の光が宿っていた。
「待て、エリス! 頼む、死ぬな! お前がいなきゃ俺は……!」 「愛してるわ、アルヴィン」
死神の鎌が振り下ろされるのと、彼女が腕を動かしたのは同時だった。
ザシュッ。 鮮烈な赤が、視界を埋め尽くした。 エリスの喉から噴き出した血が、背後の祭壇へとかかる。 同時に、俺の体を聖なる光のドームが包み込み、死神の鎌を弾き返した。
「……ッ!?」 死神が初めて驚愕の声を上げ、後退る。 『条件』が満たされたのだ。
光の中で、エリスが崩れ落ちる。 俺は彼女を抱きとめた。白い僧服が、瞬く間に赤く染まっていく。 「ぁ……ぐ……」 喉を潰され、声が出ない彼女が、最期に口パクで何かを伝えた。
(任せたわ、私の英雄)
彼女の手から力が抜け、ドサリと落ちる。 瞳孔が開いていく。その瞳には、まだ見ぬ勇者の姿が映っているようだった。
「……エリス? おい、嘘だろ」 俺は彼女の頬を叩いた。冷たい。 「起きろよ。……なぁ、指輪、買いに行くんだろ?」 返事はない。 ただ、祭壇の上で、彼女の血を吸って赤く変色した『嘆きの聖杯』が、コロンと俺の足元に転がってきた。
静寂。 死神は光に焼かれ、霧となって消滅していた。 残されたのは、肉塊になった親友と、首の折れた仲間と、自ら命を絶った恋人。 そして、ただ生き残ってしまった俺。
「あ……あああァァァァッ!!!!」
慟哭が遺跡に響く。 俺は喉が裂けるほど叫んだ。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、床を拳で叩きつけた。 無理だ。耐えられない。こんなの、あんまりだ。 死にたい。今すぐ舌を噛んで、みんなの所へ行きたい。
そうして、どれくらい泣いただろうか。 一時間か、永遠か。 不意に、俺の視界に『聖杯』が入った。
それを見た瞬間。 カチリ、と。 脳の奥で、何かのスイッチが切り替わる音がした。
(――泣いている場合か?)
ふと、冷静な声が脳内に響いた。 これは悲劇ではない。任務だ。 エリスは言った。「勇者なら生き返らせてくれる」と。 それが事実かどうかは関係ない。 今の俺に必要なのは、「そう信じて、このプロジェクトを完遂する」ことだけだ。
もしここで俺が死ねば、彼らの死は「無駄死に」になる。 それは最大の背信行為だ。 ならば、俺がすべきことは泣くことではない。 彼らの死体を「資源」として計上し、勇者召喚というゴールへ進むことだ。
「……ふッ」 俺の口から、乾いた息が漏れた。 涙はもう止まっていた。 表情筋が死んだように動かない。
俺は立ち上がり、懐から手帳を取り出した。 震えそうになる指を無理やり押さえつけ、ペンを走らせる。
『業務報告』
文字を書くたびに、人間としての俺が削げ落ちていく気がした。 でも、それでいい。感情なんてバグだ。 今の俺は、ただの「代行者」だ。
俺はエリスの遺体に自分のマントを被せると、足元に転がる聖杯を拾い上げた。 生温かい。彼女の血の温度だ。 それを乱暴に鞄に放り込む。
「……行くぞ」
誰にともなく呟く。 部屋の隅で、首の折れたミナが、ニヤリと笑って手招きしているような気がした。 ガルドが「へっ、行ってこいよリーダー」と親指を立てている幻覚が見えた。
ああ、なんだ。 みんな、まだいるじゃないか。
俺は口角を歪に吊り上げ、誰もいない空間に向かって頷いた。
「次の現場へ移動する。……納期まで、あと秘宝7つだ」
俺は振り返らなかった。 かつて「アルヴィン」だった男は、その日、遺跡の闇の中に死んだのだ。
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