第2話

王都を出て三日。 俺たちの旅路は、拍子抜けするほど順調だった。


「――オラァッ!」


豪快な裂帛の気合いと共に、巨大な戦斧が旋回する。 街道を塞いでいたオークの上半身が、まるで枯れ木のように宙を舞った。 ドサリ、と重い音が響き、遅れて大量の血飛沫が緑の草原を赤く染める。


「ふぅ。……なんだ、もう終わりかよ。王都周辺の魔物は骨がねえな」 巨漢の戦士ガルドが、斧についた血を振るいながらつまらなそうにぼやいた。 その背中には、かすり傷ひとつない。


「あんたが暴れすぎなのよ、筋肉ダルマ」 影から現れたのは盗賊のミナだ。彼女の手には、すでにオークの腰袋から抜き取った硬貨が握られている。 「はい、今回の稼ぎ。……うーん、シケてるわね。やっぱり遺跡の秘宝を売っ払うのが一番か」


「おいミナ、秘宝は売るもんじゃないぞ。勇者を呼ぶための触媒だ」 俺が苦笑しながら咎めると、ミナは「ちぇっ」と舌を出した。 「冗談よ、リーダー。……でもさ、実際余裕じゃない? 私たち」


その言葉に、俺は頷くしかなかった。 『鋼の天秤』。それが俺たちのパーティ名だ。 王立学園を首席で卒業した俺とエリス。 北の傭兵団で「鬼神」と呼ばれたガルド。 裏社会でその名を知らぬ者はいない義賊のミナ。


個々の能力も高いが、何より連携が完璧だった。 「これなら、北の遺跡も一週間……いや、三日で攻略できるかもしれないな」 俺の慢心に、隣で治癒魔法の準備をしていたエリスがクスクスと笑った。 「もう、アルヴィンったら。油断は禁物よ? ……でも、ふふ。正直、私もそう思うわ」



その日の夜。 街道から少し外れた森の中で野営をすることにした。 パチパチと燃える焚き火を囲み、鍋をつつく。 この時間が、俺は好きだった。冒険者にとって唯一、鎧を脱いで「ただの若者」に戻れる時間だ。


「なぁ、この任務が終わったらさ」 ガルドが、煮込みスープを啜りながら口を開いた。 まただ。ここ数日、彼は事あるごとにこの話をしたがる。 「俺、実家の親父に手紙書いたんだよ。『王様からたっぷり褒美をもらって帰るから、隣の山を買っておけ』ってな」


「またその話? トマト農園だっけ?」 ミナが呆れ顔で干し肉を齧る。 「おうよ。俺の故郷の土はいいんだ。そこで俺が育てた『英雄トマト』を、王都に出荷する。……ミナ、お前も引退したらウチで働くか? 食うには困らせねえぞ」 「パス。泥だらけになるのは御免だわ。私は王都の一等地で、可愛いパン屋さんを開くの」


「パン屋? お前がか?」 「悪い? 泥棒稼業なんていつまでもやってられないでしょ。……美味しいパンの匂いに包まれて、平和に暮らすのが夢なのよ」 ミナは少し遠い目をして、焚き火を見つめた。 普段の小生意気な彼女からは想像できない、慎ましい夢だった。


「いいね。ガルドのトマトを使ったサンドイッチを、ミナの店で売ればいい」 俺が提案すると、二人は顔を見合わせて笑った。 「お、そいつは名案だ!」 「売り上げの配分は私が7割だけどね!」


笑い声が森に響く。 死の危険など微塵も感じさせない、幸福な光景。 俺はふと、隣に座るエリスを見た。 彼女は皆の会話を微笑ましく聞いていたが、俺の視線に気づくと、そっと身を寄せてきた。


「……アルヴィン」 小声で名前を呼ばれる。焚き火に照らされた横顔が、やけに大人びて見えた。 「みんな、いい顔してるね」 「ああ。……絶対に、叶えさせてやりたいな」 「うん。叶うよ、きっと」


エリスは俺の肩に頭を預けた。彼女の石鹸の香りが、夜風に混じって鼻をくすぐる。 「私ね、怖かったの。勇者召喚なんて大役、私たちに務まるのかなって」 「エリス……」 「でも、今は平気。貴方がいて、みんながいる。……私たちが一番強いもの」


彼女は俺の手をぎゅっと握りしめた。 「ねえ、アルヴィン。帰ったら……指輪、見に行こうね」 「! ……ああ、約束だ」


俺たちは、未来を疑わなかった。 ガルドの農園も、ミナのパン屋も、そして俺とエリスの結婚も。 明日という日が当然のように来ると信じていた。 遺跡の深淵に、どんな理不尽が口を開けて待っているかも知らずに。


「よし、そろそろ寝るか! 明日は遺跡に到着だ!」 ガルドが立ち上がり、大きく伸びをする。 「チャチャッと片付けて、凱旋パレードと洒落込みましょ!」


焚き火が消え、静寂が訪れる。 暗闇の向こう側で、何かが嗤う気配がしたような気がしたが――俺はそれを、風の音だと自分に言い聞かせた。

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