番外編 私はずっと、彼に恋をしていた
久しぶりにあった彼は、新しいジャケットを着ていた。
ツイードの、チェック柄。青なのか緑なのかはっきりしない色合い。
絶妙に似合っていない。
けど、当人は普通にしているし、気にしているこっちがおかしいのか?って気になってくる。いやでも、せめてその色はなかったと思う。できればチェックもない方が。
「どうかしたの?」
不意に声を掛けられてはっとする。心配そうな眼差しが私を見ていた。
「あ、ごめん、なんでもない」
「そう? なら良かった」
ふわ、と彼が……今川が笑う。眉を下げて笑うその表情は、どこか子犬を彷彿とさせた。
「それで、昨日呼び出されたんだって? モテモテですなぁ」
直前に今川が話していたことを繰り返して茶化す。肘でダサいジャケット越しに小突けば、へへと笑い声が返ってきた。
いつもなら、困ったように笑って、悪いことしちゃったなぁと言ってくる。モテる男は罪ですなぁ、なんて返すのが鉄板。だった、けど。
「付き合うことにしたんだ」
「――」
声にならない声が漏れた。もはや声として、音として形になってすらなかった。
愕然とした。
そんな感情に、こんな反応をしてしまった、自分に。
照れくさそうに前を向いたままの今川は、私の様子に気が付かない。人に敏感な彼にしては、珍しく。
「前からよく話してた人なんだけどね」
ふふ、と笑う。聞いたことのない、優しい音をしていた。
す、と息を吸う。
「――そっか、良かったじゃん!」
ばん、と背中を叩いた。いてて、と呟くのを横目に、適当に昨晩のテレビの話に変える。
自分のバイト先までの道のり。変わらない様子で話し続ける今川。穏やかな目元に長いまつげの影が落ちている――。
私はそっと、道の先を眺めた。
◆ ◇ ◆
今日も着てるなぁ……あのジャケット……。
と、ソーダ割りの梅酒を手に、ぼんやりとそんなことを思った。
バイト先のメンバー数人と、それぞれの知り合いたちが集まって、総勢十人ほど。初対面の人もちらほらいる。友達の友達はみんな友達、みたいな感じだ。
今川と数人の男子がバカ騒ぎをしている。どっと笑いが起きて、今川が子どもみたいに笑っている。
こんな光景を見るのも、一年ぶりか……。
そういえば、どうして一年もいなくなったのか聞いていない。別に、戻ってきたんだし聞く必要性を感じなかっただけで、深い意味はないけれど……。
今川が何を思ったか、ジャケットの前ボタンを全て留め始めた。
……やっぱり、似合わないな……。
「ここ、いいですか?」
不意に声を掛けられて見上げれば、女の子が一人居た。
最近グループに加わった子だ。私はほとんど話したことがない。
さらさらなストレートのボブヘア。華奢だけど適度に肉付きがあって女の子らしい。微笑む表情は優しげで、可愛いけど綺麗な雰囲気があった。
「ああ、どうぞどうぞ」
少し横にズレてスペースを作る。彼女はありがとうございます、と言って腰を下ろした。
グラスを差し出されたので、梅酒をかちんと当てる。向こうのグラスには赤いカクテルが入っていた。
「初めまして、ですよね?」
「うん、そう。私は山吹麗」
「あっ、貴女が山吹さんでしたか……! 今川くんからよく聞いてます」
ニコニコと彼女が笑う。屈託なく笑う姿は無垢だった。
「相沢璃奈です。よろしくお願いします」
口元でグラスを傾けていた手が止まる。
――今川の彼女だ。
「うん……よろしく。――ところで、よく聞いてるって、あいつなんて言ってんの?」
ちび、と梅酒に口を付ける。
相沢さんはテーブルに置いたグラスを両手で包み込む。
「よく話を聞いてくれるって。明るくて、元気で、素敵な人だって言ってましたよ」
「へぇ」
素敵、ねぇ。
今川らしい。
時々私も、あの人は素敵なんだって話を聞くことがある。けど、ちょくちょくそこも「素敵」とするのはどうかと思うってツッコむことが多い。今川の「素敵」判定はちょっと心配になる。
「落ち込んだりしても、笑い飛ばしてくれるから助かるって言ってました」
「ははっ、だってあいつ、結構変なところで悩むんだよ? この間なんて、遊びに行くのにお菓子はどれくらい用意すればいいんだろうって。もうめちゃくちゃ真剣……っていうか、深刻に。ここをミスれば死ぬみたいなさ」
梅酒のグラスを揺らす。カラカラと音がした。
ふふ、と相沢さんが笑う。
「確かに、ちょっと『気にしい』ですよね」
「ね。大変じゃない? 付き合ってるんでしょ? 今川と」
一瞬不思議そうな顔をした相沢さんだけど、付き合ってると言われて頬を緩める。思わずどきりとするくらい、可愛らしい笑みだった。
「全然大変じゃないですよ」
目を細めて私じゃない誰かを見ている。追いかければ、やはり、今川がいた。酔っ払ってじゃれ合っている男子二人を見て、楽しげに笑っている。
「素敵な人ですよ、今川くんは」
素敵な人……。
店員が大盛りの唐揚げを持ってやってきて、男子たちが歓声を上げた。今川も酒で赤らんだ顔をほころばせている。いつもは犬みたいな笑みも、今は男の子のように見えた。
梅酒のグラスを両手で持って、口元に持ってくる。
「でもさ、あのジャケットはないと思うんだよねぇ……」
「そうかもしれないですけど、でも……可愛いですよね」
「可愛いって?」
からん、とカクテルの氷が鳴る。相沢さんはグラスを抱き寄せるみたいに、胸元まで持ち上げていた。
「きっと頑張って選んだんだろうなって。勇気を出して選んだ一枚なんだと思うんです」
あまりのも愛しそうに言う。なんだか、付き合ってると言われた日の今川を思い出した。
「だって、ああいう服って着てたことないじゃないですか。いつもカジュアルな、部屋着みたいな服ばかりで。でも、着てみたいって、思っていたんだと思うんです。だから……アレは、今川くんの勲章なんです」
勲章――。
「そう思ったら可愛くないですか?」
相沢さんがこっちを見た。けど、私を見てハッとした顔をする。
「あっ! ご、ごめんなさい。あの、長々と語ってしまって……!」
「ううん。……今川が選んだ人だなって思ったよ」
私は笑う。
相沢さんが微かに目を見開いた。けど、すぐに、
「ありがとうございます」
と、ふわりと微笑んだ。
◆ ◇ ◆
居酒屋の前でお開きになった。
足元の覚束ない人を背負ったり、上機嫌にスキップで帰ったり、各々が帰路についた。
残ったのは、私だけ。
今川は去り際に、今日はありがとうと言い残して、相沢さんと帰って行った。酔っぱらいたちが付き合い始めたばかりの二人を冷やかし茶化し、じゃれ合って夜の街に消えていった。
ぼちぼち歩き始める。
キラキラと光る街頭や店の明かりがイルミネーションみたいだ。それがぼやけて滲んで、輪郭を失う。
は、と笑う。
「……好きだな……」
ぐし、と顔を拭う。
隣の車道を車が勢いよく通り過ぎていく。人とすれ違う。談笑が聞こえてきた。
「……好き、うん。好き、だった。よ……」
言えば言うほどに、胸の奥がつかえる。
「勲章」を身に纏って、相沢さんと帰って行く今川は、とても輝いていた。見たことのないくらい。
相沢さんもまたすごく幸せそうで。彼女が笑えば、ここにいていいんだって許されるみたいな空気がして。だからこそ、今川は――。
「幸せになりやがれ。バカ……」
ぐし、と頬を拭って、ポケットに両手を突っ込んだ。頬も首も濡れていくけど、もう構いやしなかった。
行方不明の今川 春野訪花 @harunohouka
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