第9話

 元恋人……というかなんというか……の花屋敷幸とは、彼女の最寄り駅の喫茶店で会う約束をした。家に来いという要望はなんとか回避した。

 別れ話は、人目があるほうが良いに決まっている。

「……サチさん、久しぶり」

 先についていた彼女に声をかける。

 考えてみたら、自分はずっとこの人のことをさん付けで呼んでいる。つまり、それだけの関係だ。

 だったら、やっぱり家で片付けしているべきだったのでは……?

「ミノルくん……」

「……うっ」

 そんな甘い考えは、彼女の顔を見た瞬間に吹っ飛んだ。

 いつもどおりにゆるく巻いた髪の毛に、明るい色合いの服装。いつもの彼女だと思ったが、顔つきが違った。

 目が、赤い。泣きはらしたというより……血走っている。鬼気迫っているというのが正しいのかもしれない。

 自他害の可能性あり、そう判断した昨夜の自分は間違っていなかった。

「ごめん、待たせた」

 動揺を押し殺し、席につく。

「ううん、来てくれてありがとう」

「あー……えっと、なんか食べる?」

 彼女の前にはアイスコーヒーがおかれているだけだ。

「ううん、食欲ないから……」

「……そっか」

 それを遠回しの傷心アピールと受け取りながら、店員を呼ぶ。

「ホット……いや、やっぱりアイスコーヒーで」

 かけられる危険性を考慮して、日和った。

 彼女はその間うつむいている。

 アイスコーヒーが運ばれてくるまで、そのままだった。

 正直、呼び出したのも、別れ話を切り出したのもそっちじゃねーかよという気持ちもあるが……。

「あー、あの」

 仕方なくミノルの方から口を開く。

「ごめん。その、サチさんをないがしろにしたつもりとかは全然ないんだけど……顔を見ないで話を終わらせたのはよくなかったよね」

 サチの反応を伺いたくても、うつむいたままでよくわからない。

「あのほら……ちょっと軽くいったけど……俺、異動になって。それがなんていうか窓際っていうか……資料室的な……もう完全に左遷で。俺もう出世の見込みもないしさー、そんなのと付き合ってても時間の無駄じゃないかなーって」

 はははとわざとらしく笑うが、サチは答えない。

「……あの、サチさん?」

 俯いたまま、指先で髪の毛をいじっている。少し傷んだ、明るい毛先。

 もっと明るいさっぱりした性格だと思っていた。いや、実際付き合っている期間はそうだったのだが。ここまで落ち込まれるなんて。自分の人間審美眼を疑う。

「何か、言ってもらえると……」

「……本当に?」

 サチが急に顔をあげた。血走った目が真正面から見つめてきて、一瞬びくっと震えてしまった。

「真実を述べている? 誓える……?」

「いや、うん、まあ」

「……嘘つき」

 サチの唇がゆがむ。笑みの形に。

「嘘じゃ、ないって」

 まあ窓際部署的な話は嘘だが。出世の見込みがなさそうとかは本当だし。

「わかるのに、私には」

「何が」

「わかるよわかる……嘘をついている」

 なんか、様子が変だ。身にまとっている空気も、変わった気がする。

 一体何が……と悩んでいると、自分のスマホがぴろんっと音を立てた。時間を置いて、二回。

「ごめん、確認だけしていい? 仕事の呼び出しかも」

 呼び出しなら多分電話だろうけど……一応断るとサチは小さく頷いた。

 こんなことでも意思の疎通がとれたことにちょっとだけ安心しながら開く。

 係長からのメッセージだった。例の売人のスマホからわかったことを送ってきてくれていた。

 仕事が早い。そして休んでくれ。

 あとでじっくり見るとして、添付されていたPDFをちらっと開く。

 さすがに本名は書いていなかった。まあ、これから調べられるのだろうが。

 イニシャルでやりとりしていた履歴があって、あとでじっくり見よう。と結論付けるとスマホをポケットに戻し……

「ん?」

 何かが今、ひっかかった。

 S.Hがあった。

 サチ、ハナヤシキ。目の前の、女性の名前。

 いや、イニシャルが被ることはある。だけど、ひっかかる。

 サチを見る。

 首元にチェーンが見える。チャーム部分は服の中に入っていて見えないが、ネックレスをつけている。

 ああ、思い、出した。

 あのキーホルダーのマークを、どこで見たのか。

「サチさん、ごめん。一つ、聞いていい?」

 彼女が何度かつけていた、ネックレスだ。小さいから柄がよく見えていなかった。でも、きっとそう。

 お気に入りなの? と聞いたら、お守りだと答えられた。

 あれの、ことだ。

「……スペクターを、知っているね?」

 問いかけた声は、我ながらもう……警察官のものになっていた。

「……ふはっ」

 うつむいたまま、サチが吹き出すかのように笑った。

「あははははは」

 口元を両手で覆い、笑い出す。さっきまで黙っていたのが嘘のような、大声で。

 店内の視線が集まる。困惑したような、視線。

 だが、今はそれを気にしている場合じゃない。

「九龍様が言ってたのっ」

「ちう、ろん?」

 顔をあげる。血走った目。そうかこれは、薬の影響か?

「ミノルくんは異教徒だってっ! 害をなす存在だってっ! だから、もう一回会えって言われたのっ」

 あはっ、と楽しそうな笑みを浮かべる。

「やっぱりそうなんだね、お告げの通り、異教徒だから! だからねっ」

 警戒を怠っていたつもりはない。だが、跳ねるようにサチが立ち上がり、そのままテーブルの上を飛び越えるようにして、こちら向かってきた際に避けることができなかった。

 椅子ごと背後に倒れこむ。

 店内で悲鳴が上がる。

 テーブルの上の、アイスコーヒーが倒れ、滴るのが視界の端に入る。

 伸ばされたサチの腕が、指が、ミノルの喉に触れた。

「死んでっ」

 そのままぐっと握られた。

「がっ」

 流れるように首を絞められて、慌てて手を外そうとする。

 こちらはまあまあ鍛えているはずなのに、なかなかサチの手は外れない。少し緩んだが、

「死んで死んでよぉ」

 また力を入れられるだけ。

 さっきの動きといい、サチの普段の動きの出力を超えている。多分、スペクターの力で。

 そしてそんな力を出して、この先サチの体が無事だとも思えない。

 なんとか上に乗ったサチを振り落としたいが、うまくいかない。

 本格的に遠のきかけた意識を、

「おっさんっ!」

 直近でいやというほど聞いた声が、呼び戻す。

「どけっ」

 店に飛び込んできたセイが流れるような回し蹴りでサチの肩を蹴り飛ばす。

 勢いで吹き飛ばされたサチから解放され、吸えるようになった空気に咳き込む。

「ミノルさんっ」

 クミもやってきて、ミノルの背中をさする。

「おら、とりあえずおとなしくしろ」

 セイが吹っ飛んだサチを抑え込む。

 なんでここに? と目だけで問いかけると、

「セイがおっさんは一人でも捜査するかもしれないと言い出して。念のため、式神で監視させてもらっていました」

 クミが悪びれず答える。彼女の視線を追うと、確かに昨日の鳥のようなものが喫茶店の天井付近にいた。

 信用がないのと倫理性が欠けてる点に言いたいことは多々あるが……

「今日のところは感謝……助かった」

 軽く咳き込みながら、答える。

「この女、スペクターを?」

 床に倒れこんだサチを抑え込みながらセイが訪ねてくる。

「ああ、おそらく」

「おっさん、女、見る目ねーな」

「ほっとけ」

 深呼吸して立ち上がる。クミが心配そうな顔をしているので一度頷いて見せた。

 とりあえずは、大丈夫そうだ。

「ひとまず、殺人未遂で逮捕を」

 言いながらサチに近づいたところで、

「あはっ」

 サチが笑い、自由になる上体をどうにか動かすと、ミノルの足首に噛みつこうと大きく口を開けた。

「あぶなっ」

 とっさに避けたが、普通に驚いてしまった。それなりに酔っ払いの対応などしてきたことはあるが、足首噛もうとするやつ初めて見たぞ。

「ええぇっ」

 セイがドン引きしたような声を出す。

 男二人の気がそれた一瞬に、

「うわっ」

 サチは上に乗っていたセイを振り落とすように勢いよく立ち上がり、そのまま店を走って出ていく。

「逃がしてんじゃないわよっ」

 悪態をつきながら、それをクミが追いかける。

「何、あの背筋力……」

 無様に地面に転がったセイが呻く。

「やばいよな、あの薬」

 言いながら自分も走りだそうとしたところで、周囲の惨劇が目に入る。

 自分たちがいた席はぐちゃぐちゃだし、店員も客もおびえた目でこちらを見ている。ですよねー。

「ああっとすみません。いろいろあとで」

 だが、ここのフォローに回っている時間がない。財布を取り出し、飲食代と名刺を店員に渡す。

「警視庁生活安全課特殊対応係の桑野です」

「あ、警察……」

「あとでまた、お詫びにきますんで」

 本当申し訳ありません! と頭を下げると、返事を聞かずに店を出る。

 一足先に店を出ていたセイが、

「こっち! クミの式神が案内してくれてる!」

 振り返りながら呼んでくれる。

 それを追いかけながらスマホを取り出す。

「休みの日にどうしたの?」

 と電話の向こうでのんびり声を出す上司に、

「係長っ、使用者と遭遇。逃走されたので追ってますっ、とりあえず応援を要請します!」

 二人だけの部署で応援を要請してなんか効果あるかなと思いつつ、ちゃんと連絡してしまう。存外自分はこの組織に染まってるなとかどうでもいいことが一瞬頭をよぎった。

 まあ、実家に染まるよりは、上出来だ。

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