第28話 解釈

「ここだけは、教会の連中も早口で読み飛ばす」


 該当箇所を、声に出して読む。


「灰をひとつに混ぜてからでなければ、新しい畑は耕せない」


 ルカはその一節に視線を落としたまま、低く言った。


「俺はな。この一文だけは、あいつらより真面目に読んだつもりだ」


 壇の下、少し信心深そうな青年が、おそるおそる口を挟む。

 姿勢がいい。目の奥に、教会で育った癖が残っている。


「それは……争いのあとで、皆が手を取り合う……って話じゃ……」


 ルカは遮らない。

 むしろ顎を上げて促した。


「続けろ」


 青年は唾を飲み込み、教会的な正解を口にする。


「敵も味方も、身分も忘れて……同じ畑を耕す。それが、灰の上で光を取り戻す道だ、と……」


 言い切った瞬間、青年の肩が少し落ちた。

 自分でも、その言葉がいまの現実に噛み合っていないのを知っている。

 ルカは肩をすくめる。


「ああ、その通りだ。教会の答えとしては、満点だ」


 ――そこで、声のトーンを少しだけ落とした。

 空気が変わる。ランタンの火が一度揺れ、沈む。


「だがな」


 ルカは、灰の上に三本の棒を立てるジェスチャーをした。


 帝国の旗。

 旧貴族の紋章。

 教会の十字。


 誰もが簡単に想像できる。


「焼け跡に立ってるのが、俺たちみたいな連中だけなら、それでいい。だが、実際はどうだ? 灰の上に、帝国の旗と、旧貴族の紋章と、教会の十字が、三本とも突き立ってやがる」


 低い笑いが漏れる。笑えない笑いだ。


「帝国の畑、貴族の畑、教会の畑。それぞれ自分の灰だけ耕してる。その上で、『みんな仲良く我慢しろ』と言われてるのが、俺たちだ」


 ルカは少し間を置き、ゆっくり問う。


「だったら、まず何をしなきゃならねえ?」


 何人かが息を飲む。

 ロウソクの火が、誰かの喉の動きに合わせて揺れた。

 ルカは拳で手のひらを叩くような仕草をして、答えを告げる。


「簡単だ。旗をへし折って、灰をぜんぶひとつに混ぜりゃいい」


 さっきの一文を、彼なりに言い換える。

 言い換えることで、教会の話を自分たちの武器にしてしまう。


「灰をひとつに混ぜてからでなければ、新しい畑は耕せない。だったら、帝国の灰も、王様の灰も、司祭どもの灰も、まとめてひとつにしてやる」


 いっそすべてを焼き払って、同じ高さの灰にする。

 本来の教えから外れた、危うい飛躍。

 だがこの夜のアジトでは、その危うさは「正しさ」の形をしてしまう。

 ルカは続ける。


「そのあとで土を耕すのは、俺たちだ。名前も身分も持たない、いまここにいる手だ」


 壇の下へ視線を投げる。

 促されるように、何人かが自分の手のひらを見る。

 爪の間に土が残り、指に傷がある。


 紙に名前を書かれたことのない手。

 書かれたとしても、印で済まされた手。


 ルカは壁の灰色の布を指さした。


「だから俺たちの旗は灰の色だ。誰の色でもない、全部まぜたあとに残る色だ」


 次に、ランタンの炎、ちらつくロウソクの火を指す。


「そのために、すべてを一度灰にしなければならない。灰になれば、王族の色も、貴族の色も、教会の色もない。」


 さらに続ける。


「そして、そこから立ち上がるのが光だ。俺たちの光だ」


 ここで初めて、彼は「名前」を与えた。

 寄せ集めだったものに、形を与える。


「俺たちは『灰と光』だ。まず全部を灰にして、そこから自分たちの光を上げる連中だ」


 小さな歓声が上がる。

 手を叩く音。

 拳が握られる音。


 自分たちの名前を、初めて誇らしく感じる空気が広がっていく。

 だが熱が上がりきる直前で、ルカは手を上げて静めた。


「落ち着け。今まで俺たちがやってきたことは、まだ合図だ」


 小規模な爆破。

 線路妨害。

 輸送隊の襲撃。


 それらを彼は、狼煙だと言い切る。


「旗を見せるための狼煙だ。同じ怒りを持つ奴らへの呼びかけだ。……本物は、これからだ」


 ルカの目が、炭の底みたいに沈んだ光を帯びる。


「最後に上げる火は、旗だけじゃなくて、あいつらの『聖なる火』そのものを灰で包むことになる」


 具体名は出さない。

 けれど聖火、高い塔、鐘楼という言葉だけで、誰もが同じ形を思い浮かべてしまう。攻撃対象は明らかだ。


 世界で一番高い火。

 紙の上で「秩序」と呼ばれている火。

 反応は様々だった。


 興奮して拳を突き上げる者。

 怯えを抱えたまま、それでも拍手を送る者。

 信仰と怒りの間で揺れ、視線だけを落とす者。


 その中に、小さな声が混じった。


「イルミナ書を、そんなふうに使っていいのか……?」


 誰かが言った。

 だがすぐに歓声にかき消される。


 本来、イルミナ書の灰篇は「焼け跡から秩序を再建する忍耐」を説く章だ。

 そこから「灰の完全な平準化と破壊」を正当化するのは危うい飛躍――。

 だが、この夜のアジトでは、誰もその飛躍を指摘しない。

 指摘できるだけの余裕が、ここにはもう残っていなかった。


 最後にルカは、短く締めの言葉を投げた。


「十の月までに、俺たちはもっと火を覚えなきゃならねえ」


 そして、言い切る。


「灰の上に立つ覚悟と、自分の光を信じる目をだ」


 「十の月」という具体的な時間が落ちた瞬間、空気が一段だけ現実に戻った。

 いつかではない。近い。

 その近さが、興奮の中に薄い恐怖を混ぜる。

 会合が終わると、人々はそれぞれの持ち場へ散っていった。


 廃坑の奥。

 偽装した倉庫。

 村の陰。


 地上に戻れば、彼らはまた「どこにでもいる誰か」になる。


 最後まで残ったルカは、再びイルミナ書を手に取った。

 今度は乱暴に開きもせず、そっとページを閉じる。

 ランタンの火に背を向けるように、暗がりへ視線を投げた。

 この計画には、まだ足りないものがある。

 聖なる火を灰で包むには、構造と警備と動線――紙の中に隠れた穴の位置が必要だ。


 ルカは誰にも聞こえない声で呟く。


「……最後のピースは、外から盗むより、中にいる奴から引き出した方が早い」


 名前は言わない。

 言えば、この火が別の形に変わってしまう気がした。


 古い友人。

 紙の上で橋を落とした男。

 いまは国境で、小さな生活の火を守っている男。


 雷鳴はまだ遠い。

 だが、地面の奥では確かに、次の音が育っていた。

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