第六章 神仏分離と「弁天様」の生き残り

■明治の神仏分離令


 明治元年(一八六八年)、新政府は神仏分離令を発布した。

 弁財天にとって、これは存在の根幹を揺るがす事態だった。弁財天は仏教の「天部」——仏法を守護する神々——であり、神道の神ではない。神仏を峻別する政策のもとでは、神社に弁財天を祀ることは許されなくなる。

 各地の弁財天を祀る社は、対応を迫られた。



■市杵島姫命への「復帰」


 多くの神社がとった対応は、祭神を弁財天から市杵島姫命に「戻す」ことだった。

 神仏習合の時代、弁財天と市杵島姫命は同一視されていた。その論理を逆転させ、「この社が祀っているのは、本来は市杵島姫命である。弁財天という名は、神仏習合時代の混乱による誤りである」と再解釈したのだ。

 厳島神社、江島神社をはじめ、全国の弁財天社がこの対応をとった。祭神名は市杵島姫命(または宗像三女神)に改められ、仏教色は排除された。

 一方、寺院に祀られていた弁財天は、そのまま仏教の天部として存続した。竹生島宝厳寺などがその例である。

 こうして、弁財天信仰は神社と寺院に分かれた。同じ「弁財天」でありながら、片や神道の市杵島姫命として、片や仏教の弁才天として、別々の道を歩むことになったのである。



■それでも「弁天様」は消えなかった


 しかし、民間では「弁天様」という呼び名は消えなかった。

 神社の正式な祭神名が市杵島姫命になっても、参拝者は「弁天様にお参りする」と言い続けた。「江の島弁天」「竹生島弁天」「厳島弁天」——これらの通称は、明治以降も使われ続けている。

 これは、弁財天信仰が民間に深く根付いていた証拠である。千年以上にわたって「弁天様」として親しまれてきた神を、お上の命令ひとつで別の名前に置き換えることはできなかった。

 神仏分離という国家の宗教政策と、民間の信仰心。両者が折り合った結果が、現在の弁財天信仰の姿である。正式名称は市杵島姫命、通称は弁天様——この二重構造は、日本の宗教文化の柔軟さと強靭さを物語っている。



■芸能の神として


 現代において、弁財天は芸能・芸術の神として信仰されることも多い。

 これは、弁財天の原初的な性格——サラスヴァティーが音楽・学問の女神だったこと——への回帰ともいえる。琵琶を弾く姿の弁財天は、音楽家・芸術家・芸能人の守護神として崇敬されている。

 井の頭公園の弁財天(東京都武蔵野市)、天河大弁財天社(奈良県天川村)などは、芸能関係者の参拝が多いことで知られる。

 財福の神、水の神、蛇の神、芸能の神——弁財天は、これらすべての性格を併せ持つ多面的な女神として、今も信仰され続けているのである。


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