壱 虫の里
色とりどりの華やかな庭をタクシーが駆け抜ける。
青々とした
「おぉ、ご立派な屋敷ですな。あ、ここでよろしいですか?」
「ありがとう。家の者に払わせます」
玄関のすぐ前に横に付けてドアが開く。と、同時に格子戸が音を立てて開いた。
現れたのは鬼瓦と同じ柄――揚羽紋の入った
――たった二人だけ。
少し寂しい出迎えの挨拶に、私も礼で返してバッグを預けた。
「お嬢様お帰りなさいませ」
「ただいま――澤さん」
「お嬢様、申し訳ありませんっ。私がついていれば――あんな痛ましいことには」
「澤さんっ、気に病むことじゃ――」
「いえ、私がお止めしていれば。昭雄様は目も悪くされていたのに。危険だと分かりながら何もしなかった――私がっ」
「本当にいいの。澤さんのせいじゃないわ」
「でも――でもっ」
着物の女性は澤さつき。祖母の代から仕えているこの屋敷の唯一の仲居だ。
といっても母と年があまり変わらない上、生まれた頃から世話をしてくれていた。仲居というより家族という感じだ。何しろどちらを”母”なのか迷っていたくらい。
だから澤さんの泣き崩れた表情、以前より皺の増えた顔を見ると少し胸が痛んだ。
「遠路、お疲れ様です。吾妻の使命とはいえ、半ばで学業を諦められるとは――心中察し申し上げます」
私のバッグを家の中に運び入れ黒いスーツの男が戻って来た。
「ええ、仕方ないわ。私も吾妻の家の者です。それで、ええと――貴方確か――」
「
「ああ、やっぱり西原家の方でしたね。御免なさい。久しぶりだったから」
「3年振りですものね。しょうがないですよ。お嬢様」
「3年になりますか。そういえば確かに大きくなられました」
言うほど時間のせいだろうか? と首を傾げた。
何故なら彼の見た目はかつてはこうではなかったからだ。
前から高身長であったけど、こんなに筋骨隆々でなかった。色のない普通の眼鏡を掛けていたのもあって、記憶の中の顔とすら結びつかない。
どちらかと言えば優男然としていたというのに。今は黒ずくめの服装と刈り込んだ短髪も相まって――まるで極道のようだ。
その太い腕が私の顔に伸びて来て、パンと耳元で弾ける音をさせる。
「――失礼したました。虫がおりまして」
「ありがとうござます」
「いえ、お守りいたすのが使命なれば――」
「だからですよ。しかし、やはりこっちは虫が多い」
「お嬢様は昔から苦手でしたから。お風呂場に虫が出て、泣いてせがむものですから改装しましたしねぇ」
「もう、昔の話でしょ」
「えーそうでしたか――あ」
澤さんは話の途中で顔を曇らせた。私の背後に目を向け、険しい表情だ。西原さんも何かに気付いたように目線を向けた先に私も振り向こうとする。けど――
「お嬢様っ!」
「大丈夫よ」
私の背を庇うように澤さんが前に出る。
何も見えなかったけど、ただ吹き付ける風と、地を何かが滑る音が聞こえた。
「やあやあ、早かったね。亜麻子ちゃん」
「辰巳様。危ないじゃないですか。もう少しでぶつかるところでしたよ。それにお庭をこんな。ああ、
「どうも辰巳さん。凄い車に乗ってますね」
澤さんが離れると庭には車が入って来ていた。私の背後1mくらいのところまで。
里に似つかわしくないけど、この庭には映える深い青の車。流線形の低いボディのスポーツカーだ。静かでありながら、乱暴な運転は強い風を生んで花を倒すほど。
「はは、大丈夫大丈夫。轢かないって。信頼ないな。それにこれEVだから、さっきのタクシーより花にはエコだって」
この紫の袴の人を舐めた顔をしている男は
神主でありながら白に近い金髪に銀のピアスをして、スポーツカーを乗り回す男。
三年前と同じく軽い調子でへらへらとした、しまりのない顔で挨拶をしてきた。
「あ、あの――」
「久しぶり。みこちゃん」
「い、いま、帰ったんだ。間に合って――良かった」
「うん、ただいま」
「あ、お帰り――亜麻ちゃん」
車のドアの向こうでもじもじしているのは
私を愛称で呼び、私も『みこ』と愛称で呼ぶ仲。けど、年は10は向こうが上だ。 『みこ』という愛称で、神主と一緒にいるけど巫女じゃない。ぱつんぱつんの藍色のスカートスーツを着ているように事務職だ。そう、確か病院の。
「お嬢様。つもる話もありましょう。中にお入りいただくと言うのは如何でしょう」
「ええ、そう――」
「ああ、いいよいいよ。澤さん。俺たちはすぐに帰るから。な、みこ?」
「う、うん」
「亜麻子ちゃんが帰って来たのが分かっただけで収穫さ」
「まるで帰って来ないと思っていたかのような言いぐさですね」
「ま、そりゃね。吾妻は君が最後になっちゃったしね。何せタエ様に続き相依さんも早くに亡くなったでしょ? 山で無残にね。ああ、なんて勿体ないこと。貴重な吾妻の血がねぇ。ま、それで――」
「幾人いい加減にしろ!」
声を荒らげ、黒い大きな体が割って入って来た。
続いて澤さんも私の前に入る。
二人が居なければ、固めた拳で殴りかかっていたところだ。
「これ以上話があるならやはり中でどうぞ。今日は暑うございます。水浴びでもしていらっしゃって下さい」
「おーこわこわ。戒兄も澤さんも。そんな顔引きつらせないでよ。分かったよ。明日落ち着いて話そうよ。小木坂田の乙爺も含め五家全員揃ってからね」
「乙――爺っ」
「ああ、ごめん、みこ。あんな奴の名前出すんじゃなかったな。うん、もう帰ろう。じゃあそういうことで」
俯いたみこちゃんを助手席に座らせ、辰巳は車に乗り込む。
ターンさせながら途中で窓から顔を出し、ついでのように一言告げる。
「あ! 忘れてた。明日の
「まったく、相変わらず嫌味な男ですね。塩撒きましょうか!」
「大変申し訳ありません。お嬢様。吾妻の当主となられる方に、あの態度。これ以降改めさせるように言いつけますの」
「いえ――それより西原さんにお願いがあります」
「なんなりと」
「お嬢様というのは辞めて下さい。正直貴方にそう呼ばれると――」
母譲りで私は身長が170近くある。タクシー運転手に言われるように風格もだ。
その上この極道のような男に”お嬢様”と呼ばれては筋者の娘と思われてしまう。
「そうでしたか。失礼しました。では私への”さん”も辞めて頂きたい」
「母のように呼び捨てにしろと?」
「いえ先生でお願いします」
「先生?」
「はい、二学期からは吾妻さんの担任になりますので」
「ああ、西原――先生でしたね。確かに高校で教師を――」
「生徒からは和尚先生と呼ばれております。では――おっと」
私の前に一歩出て足を強く踏む。上げた足の下に居たのは赤みの帯びた細長い虫。足が短い――
「澤さんに制服を渡しておりますので。
「はい、分かりました。西原先生」
「やはり吾妻屋敷の近くは虫が多いですね。少し清めた後、帰らせていただきます。何か要りようでしたら。暫くはおりますので」
「あ、それなら、これ――」
私はスマホを取り出し、差し出す。
「もう、用が無いので。新しいものに替えて下さい」
「分かりました。明日中にお渡しできるかと」
「ありがとう先生」
「失礼いたします」
そういうと先生は家の横、より山の近い方へと回っていった。
澤さんも「風呂は沸いておりますよ」と言って去る。
残ったのは私と、風に飛ばされた母さんのサルビア。強く踏み込まれ、ひしゃげて上手く歩けなくなった
赤みがかった甲と甲の隙間に顎を突き刺す。細く短い脚に齧りつく。
それでも抵抗するように無数の足をばたつかせる
「気持ち悪い」
肌が粟立つ、足元から痒みが登って来るようで。
私は足を軽く上げて――それらをすべて踏み抜いて玄関に向かった。
怨鎖 ~虫の怪~ 玉部×字 @tama_x
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