怨鎖 ~虫の怪~

玉部×字

序 虫の知らせ


――両親が死んだ。


 その知らせを受けたのはつい昨日。

 体育館でバスケットボールの部活動中のことだった。


 そして今朝、寮に残っていた部活の面々に見送られて私は高校を辞した。


 女子高生とはいえ寮生活に大した荷物はなく、部活用の紺とピンクのドラムバッグ一つを肩に掛けて出て行った。

 まずは電車を乗り継ぎ新宿へ。そこから西に向かう電車に乗り換え3時間半。里の最寄りの駅に到着した頃には昼を過ぎていた。

 ただ、まだ到着ではない。ここからサラにタクシーで山を3つ――2時間の道程。

 半日近く掛かる道中だったけど、体感ではすぐだった。


『亜麻子、大学で会おう!』

『吾妻キャプテン。元気出してください。私たち待ってますから』


 移動中はスマホに来る学校のみんなのメッセージを読んでいたためだ。再開を信じている元気な副キャプテンや、健気な後輩たちの言葉を噛みしめながら。

 彼女たちを思い出しては後ろ髪を引かれる思いだった――けど私は何の力もない。ただの女子高生だから、両親の援助なくして遠くの学校には通えない。それが高校を卒業まで後半年と少しだとしてもだ。


「――母さん早すぎる」


 私がスマホを凝視しながら溜息を吐きながら呟くと、目の前が暗くなった。

 トンネルだ。里に入るための最後の山にはトンネルがある。

 長い長いトンネル。車でも10分かかる長さでは電波も持たなかったようだ。


「あ――」


 驚きか焦りか後悔か苛立ちか、はたまた気が逸っているのか。手からスマホが滑り落ち、革張りのシートの上を滑っていく。幸いバッグに引っかかって止まる。

 けど、やはり苛立っていたのだろう。スマホを拾い上げると、乱雑にバッグに投げ入れた。

 そしてまた溜息を吐いた。

 長くゆっくりとだ。気分を替えたかった。

 だから目を瞑りこれからのことを考えようとした。

 ただ、得てしてこういう時は何をしても上手くいかないもので。目を瞑って思案をしようとするなり、光で現実に引き戻されてしまう。

 溜息を付いて、目を開くとトンネルは終わっていた。


虫釜むしがまの里――飛鳥馬あすまへようこそ』


 目の前に出迎えるように現れたのは三角柱の縦長の黄色い看板。山奥で誰も見ないというのに嫌に綺麗な悪趣味な色合いの看板だった。

 上には虫釜むしがまと里で呼ばれる底の深い寸胴に近い鉄の釜が乗っている。

 その名の通り虫を炒るための釜でこの里の特産品――虫も釜もだ。


――パシィッ


 破裂するような音。ドアガラスに衝撃があり、顔を左に向ける。

 そこにはこびりつくような小さな黒ずみ。

 虫の残骸――まるで痒みがでたようになり、反射的に首を抑えた。


 里らしい出迎えにまた溜息を吐いた。


 飛鳥馬あすまは人口3万を下回る小さな郡だ。

 山間の狭い土地の小さな里。見渡す限り山の代わり映えのない風景。

 国道が通って栄えている里の西側ですら、ビルは4、5本とショッピングモールが一つあるだけ。映画館だってない、コンビニもすぐ閉まり、コーヒーを飲めるカフェだって3つ全部が個人商店だ。


 国道を降りて東に抜ければもう田畑ばかり。人はまばら、人が居ても今時もんぺにほっかむりの野良仕事の人たちがいるだけ。しかも、ほぼ老人。


「それでお嬢さん、飛鳥馬あすまのどこまで?」

「ああ、ええと、里の東側へやってください」

「東――というと?」

「一番東です」


 いぶかし気に片眉を跳ね上げるのがミラー越し見えた。

 ただでさえ、制服姿の女子高生が一人だ。しかも飛鳥馬あすまの高校の物とは違う制服を着て、旅行するような大きなカバンを持つ。挙句行先が東。多少なりとも開けた西側でなく東。しかも最東端。


飛鳥馬あすま山の麓の高台の屋敷へ。庭に入って構いませんので」


 そう伝えると運転手は「ああ! 吾妻の――」と明るい声を上げる。運転手の顔はミラー越しに見る必要もなく分かるほど、声のトーンが上がった。


「お嬢様? だったりします?」

「ええ、はい、そうです。里帰りですよ」

「そりゃそうですよね。旅行客だなんて滅多なことじゃ行きませんよね。あ、こりゃ――すみません。それでは吾妻のお屋敷の前まで行かせて頂きます」


 吾妻の娘と知るや否や、顔が崩れる。

 小さい頃から見て来た、私に擦り寄る凡百の里の者のように。


 それは吾妻家が飛鳥馬あすまの支配者と呼ぶべき存在だからだ。

 遡ること戦国時代には国人こくじん領主として飛鳥馬あすまを統べていた記録が家にはある。


 だからか吾妻の当主は代々、時代錯誤な呼ばれ方をする。


「お嬢様じゃない――”お館様”でしたよね。確か今は女性だとか」

「それは母です。私は違いますよ」

「ああ、こりゃ失礼しました。なんとも風格がおありなもので――じゃあ、里帰りに――あ、そっかそっか。ああ、なんていったかな。あのお祭りの儀式。ずらっと釜を道に並べて、陰陽師も来てってHPで見たんですけどねぇ」

「ああ、釜を並べるのは”虫干し”ですね」

「ああ、それそれ! 確か今年は大きんですよね? それで?」

「ええ、12年に一度の本式の儀式をするんです――見物ですよ?」


 山と山の間の細い道をすり抜けて、目の前には断崖に思える急坂。ジグザグの道を行くと、青赤黄と咲き誇る色とりどりの花が目を奪う。

 それは我が吾妻の屋敷の庭の草木の花。

 季節ごとに種々の花咲く庭で一際目を引くのは赤。

 鮮やかで烈しく庭を彩る夏のサルビア。


 この花に負けないような派手な花柄のワンピースを着て。上からランウェイでしか映えない、いかつい肩のジャケットを羽織って。

 庭の一角の白い西洋風の東屋の下で、白いテーブルと椅子に座って紅茶を嗜む。


 私に風格があるというのなら、そんな母さんを見て育ったからだろう。

 ただ、そんな優雅な母さんの姿はもうない。


 母さんと父さんは山で死んだ。

 きっと無残に。

 山道から滑落して――言われなかったがきっと酷い状態だったろう。


 そう、身体はひしゃげ。骨は砕け、肉はこそげ落ち。

 山で死に、見つかるまでの間はどれくらいだったろう。

 夏の山中、きっとすぐ腐ったはずだ。

 橘と山椒の実の清涼な柑橘の中に、つんと鼻を刺すような甘い腐った香りが漂ったはず。腐り始めた母さんの顔はそれでも美しかったろう。


 ああ、でもきっとそうじゃない。


 うぞうぞと顔を体中をうごめく物が――

 誰よりも早く来て、何よりも早くかえうじが――

 素早く地を駆け、群れを為して母さんを覆いつくす蜚蠊ゴキブリが――

 母さんの死肉を細かくちぎり、丸め、地ちゅうに埋める死出虫シデムシが――

 それらを目掛けて、百の足で走って、猛り狂いながら喰らう百足ムカデが――

 足が千切れ飛んでも動きを止めることない、蚰蜒ゲジゲジが――


 橘の先の尖った大きな葉と、山椒の細かいぎざぎざの葉の下で。虫に集られ、肉を千切られ、喰らい付かれて――

 母さんと父さんと虫と虫と虫で――一緒に土に還っていった。


 きっとそうだ。そんな死に様だったはず。

 それがこの地で相応しい最期なのだから。

 だからこそ、それを確認するために私は帰って来たのだから。


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