第17話 窓の内側

 太陽は、私を拒絶する。

 正確には、私の身体が太陽を拒んでいる。

 ほんの少し浴びただけで、皮膚が焼けるように痛み、呼吸が乱れる。

 医者は専門用語を並べたけれど、結論は単純だった。

――外では、生きられない。

 だから私の世界は、いつも窓の内側にあった。

 厚いカーテン越しの光。

 反射して歪む街の輪郭。

 人の声は、ガラスを通すと現実味を失う。

 それでも私は、外を見るのが好きだった。

 生きている人たちが、そこにいるから。

 最初に彼を見つけたのは、偶然だった。

 スーツ姿で、少し前かがみで、

 いつも急いで歩いている男。

 夜になると、よく走っていた。

 電話をしながら頭を下げ、

 雨の日も、風の日も、

 立ち止まることなく動いていた。

 楽しそうではなかった。

 幸せそうでもなかった。

 それでも――

 確かに、生きていた。

 私は、その姿から目を離せなくなった。

 外に出られない私とは違って、

 彼は、世界の中で傷ついていた。

 拒まれ、急かされ、削られながら、

 それでも毎日、同じ道を歩いていた。

 羨ましかったのだと思う。

 同時に、怖かった。

 あの人は、いつか壊れる。

 窓の内側から見ていると、それが分かった。

 そして、その日は突然来た。

 台風の夜。

 街灯が揺れ、雨で視界が歪む中、

 彼は橋の上で立ち止まっていた。

 嫌な予感がした。

 胸の奥が、きつく締め付けられる。

 その時、私はすでに決めていた。

 もう、長くないこと。

 この身体で生き続ける未来がないこと。

 静かに終わらせるつもりだった。

 誰にも迷惑をかけずに。

 でも――

 橋の上の彼を見た瞬間、考えが変わった。

 この人は、外を生きている。

 私が一生、触れられなかった世界を。

 この人に、あげたい。

 私の人生を。

 私が歩けなかった時間を。

 太陽の下の未来を。

 夜だった。

 だから、外に出られた。

 薬を飲み、長袖を着て、

 私は家を出た。

 雨は冷たく、身体は重かった。

 足元は覚束なく、何度も転びそうになった。

 それでも走った。

 橋の下で、彼の身体が水に飲まれるのを見た瞬間、

 頭の中が真っ白になった。

 怖かった。

 寒かった。

 痛かった。

 それでも、腕を伸ばした。

 ――間に合って。

 願いながら、水に飛び込んだ。

 次に覚えているのは、

 彼の腕を必死に掴んでいたこと。

 重かった。

 それでも、離せなかった。

 この人は、生きなきゃいけない。

 それだけを、考えていた。

 屋敷で目を覚ました彼は、

 とても静かな顔をしていた。

 だから私は、少し強がった。

「あなたが捨てた命、私がもらう」

 本当は、逆だったのに。

 彼が屋敷で暮らすようになってから、

 私は毎日、窓際に立った。

 彼が外を走る代わりに、

 私は内側から、世界を生きた。

 それで、十分だった。

 もう、思い残すことはない。

 私は日記を書き終え、ペンを置く。

 最後の一文だけ、少し迷ってから、書いた。

『大好きだったオサムさんへ。

 私の代わりに、セカンドライフを歩んでください。』

 太陽は見られなかったけれど、

 私は確かに、生きた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る