第11話 窓辺の内側

 窓の外は、今日も晴れている。

 それだけで、胸の奥が少し痛んだ。

 日和はカーテンを指先でつまみ、ほんのわずかだけ開けた。

 直射日光が入らないよう、角度を計算して。

 白い庭。

 整えられた植木。

 遠くを走る車。

 そして、そのさらに向こう――

 毎日、同じ時間に通る人影。

 スーツ姿の男。

 今日も、走っている。

「……また、遅いんだ」

 思わず、声が漏れた。

 彼――オサムさんは、いつも疲れた顔をしていた。

 背中が少し丸くて、歩く速さだけが異様に早い。

 最初に気づいたのは、偶然だった。

 外に出られない日々の中で、

 世界は「窓の中」にしかなかった。

 だから、同じ道を何度も通る人の存在は、

 すぐに覚えてしまう。

 雨の日も、風の日も、

 彼は外を走っていた。

 携帯を見ながら、頭を下げながら、

 時々、立ち止まって、深く息を吐いて。

 その姿を見ていると、

 なぜか目が離せなかった。

 ――あの人も、苦しそう。

 それが、最初に抱いた感情だった。

 日和は、生まれつき太陽を浴びることができない。

 医者は難しい言葉を並べたけれど、

 要するに「普通の外」は、彼女の居場所ではなかった。

 だから、家は広かった。

 使用人もいた。

 お金には困らなかった。

 それでも――

「……外、行きたいな」

 ぽつりと呟いて、

 すぐに自分で首を振る。

 行けないものは、行けない。

 その代わりに、

 外を生きている人を見る。

 それが、日和の毎日だった。

 ある日、彼は橋の上で立ち止まった。

 台風が近づいていた夜。

 空が不気味な色をしていた。

 日和は、胸がざわついた。

 ――行かないで。

 理由も分からないまま、

 ただ、そう思った。

 彼は、いつもより長く動かなかった。

 欄干に手を置き、

 じっと川を見下ろしている。

 日和の心臓が、強く鳴った。

 あの姿は、知っている。

 鏡の中の、自分と同じだった。

 ――ああ。

 その瞬間、はっきり分かった。

 本当は、

 死のうとしていたのは、私だ。

 日和は、唇を噛んだ。

 怖かった。

 外に出るのも、夜の雨も、すべてが。

 それでも――

「……お願い」

 彼女は、初めて窓から離れた。

 この人に、

 私の人生を歩いてほしい。

 太陽の下を。

 風の中を。

 苦しくても、生きる道を。

 私が持てなかった、全部を。

 日和は、静かにコートを羽織った。

 夜なら、まだ大丈夫。

 ほんの少しなら。

 ――間に合って。

 それだけを願いながら、

 彼女は家を出た。

 窓の外の世界へ。

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