第一章 七福神以前——バラバラだった福の神たち
■伝来ルートは三つ
七福神を構成する神々は、大きく三つのルートで日本にやってきた。
第一のルート:密教とともに(インド→中国→日本)
大黒天、毘沙門天、弁財天は、いずれもインドのヒンドゥー教に起源を持つ。仏教に取り込まれて「天部」(仏法を守護する神々)となり、密教の伝来とともに日本に入った。
大黒天はシヴァ神の憤怒相マハーカーラが原型。最澄が比叡山で台所の神として祀ったのが始まりとされる。毘沙門天は財宝と北方を守護するクベーラ(ヴァイシュラヴァナ)が原型で、四天王の多聞天と同一視される。弁財天は河川の女神サラスヴァティーで、音楽・弁舌・知恵を司る。
いずれも、仏教寺院で仏法守護の役割を担う存在として伝わった。「福の神」としての性格は、日本で後から付加されたものだ。
第二のルート:禅宗・道教とともに(中国→日本)
布袋、福禄寿、寿老人は中国由来である。
布袋は唐末から五代にかけて実在した禅僧・
福禄寿と寿老人は、ともに道教の南極老人星(カノープス)の神格化である。実は同一神とする説が根強く、両者を区別する明確な基準はない。「幸福・俸禄・長寿」を三つに分けて福禄寿、長寿に特化して寿老人、という程度の違いしかない。
第三のルート:日本土着
恵比寿だけが「純国産」とされる。ただし、その正体は極めて曖昧だ。
記紀神話に「恵比寿」という神は登場しない。後世になって、イザナギ・イザナミの子である
本来の恵比寿は、海から漂着する異形のもの——クジラ、漂流物、見知らぬ遺骸——を神聖視する沿岸民の信仰に由来する。「えびす」という語自体、「夷」「戎」「蝦夷」と書いて「異邦人」を意味した。海の向こうから来る未知の存在への畏怖と期待、それが恵比寿信仰の根底にある。
■二福神から三福神へ
七福神が成立する以前、まず「恵比寿・大黒」の二神がセットで信仰されるようになった。
この組み合わせがいつ、どのように生まれたのかは、実はよくわかっていない。ただ、平安時代末期には市場の神として恵比寿が祀られ、台所の神として大黒天が祀られていた。商売と食——庶民の生活に直結する二つの領域を守る神として、両者が併せ祀られるようになったのだろう。
「大黒」と「大国」の音が通じることから、大黒天と大国主命が習合したのもこの頃である。インドの憤怒神マハーカーラが、打ち出の小槌を持ち米俵に乗る福々しい姿に変貌したのは、日本独自の展開だ。
平安末期から鎌倉初期にかけて、京都・鞍馬の毘沙門信仰が盛んになると、恵比寿・大黒に毘沙門天を加えた「三福神」が信仰されるようになった。興味深いことに、初期の恵比寿は毘沙門天を本地仏(本来の姿)とすると考えられていたという。漁業神と武神という、一見かけ離れた神格が結びつけられていたのだ。
その後、近江・竹生島の弁天信仰が盛んになると、毘沙門天に代わって弁財天が三福神に加えられるケースも増えていった。
このように、七福神の「原型」は、時代と地域によって変動する緩やかなものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます