Aヶ丘団地

みかん

第1話

「――なあ、スイはどうする?」


 僕の脇腹を小突き、クラスメイトの青山あおやまがそう聞いてきた。

 ぼぅと箒を動かしたから何も頭に入っていなかった。


「……ごめん、なんのこと?」

「ばっか! 聞いてなかったのかよ」


 青山は思い切り僕の背中を叩いた。つんのめる僕などお構いなしに、彼は一方的に話し出す。


「心霊スポット! Aヶ丘団地の一号棟にユーレイ出るから、それをみんなで見に行こうって話!」


 Aヶ丘団地。一度だけ前を通ったことがあるから知っている。

 昭和に建てられ、去年に終わりを迎えた廃墟だ。窓ガラスが割られていても、スプレーで落書きをされていても対策はされない。解体費用もかかるんだとニュースで言っていたっけ。

 今から三か月前、僕らは件の団地の前を通った。老朽化でどこもかしこもボロッボロな建物を見上げて、幼馴染は「可哀そうだな」とその辺で拾った花を添えていた。

 ――その帰りだった。

 膝が痛む感覚で、現実に戻される。

 僕は箒の持ち手を握り締めながら、後方に顔を向けた。

 放課後になって伽藍洞になった教室には、僕含め掃除当番の四人がいた。手を動かしているのは僕、青山、四島しじまさんの三人で、あと一人は自席で突っ伏している。要は、サボり。


遠野とおの、おまえは行くー?」


 青山が僕の肩越しに声をかける。

 黒い山が動いた。のそりと上半身を起こし、遠野は呑気に伸びをした。その拍子にフェイスタオルが机に落ちる。


「あんたなんでタオル被ってたわけ……?」


 眉をひそめた四島さんの至極まっとうな問いかけに、遠野は「直射日光を防ぐため」と答えた。カーテンを閉めればいいんじゃないか、それは。

 ぼさぼさになった白髪を整え終わったらしく、遠野は僕らの輪に入ってきた。


「で、で? 何、なんの話?」


 青山は「マジで寝てたのかよ」と呆れながら、Aヶ丘団地の噂をもう一度した。幼馴染は「ほー」とか「へー」とか聞いてるんだか聞いてないんだかのリアクションを返して、


「ま、いーんじゃない?」


 と軽い調子で言った。その双眸は僕の背後――青山でも四島さんでもなく、どこか遠くを見据えていた。なんというか、こういうときの遠野は、捉えている世界の次元レイヤーが違う。僕らのいるこの時この場ではない、少しピントのズレた世界を見ている。

 視線だけで僕は後ろを見る。見知ったクラスメイトの顔しかいない。でも、あいつにはあいつの世界がある。

 ――僕は、それが少し怖くて、やっぱりうらやましかった。


 1


「「「あっつい」」」

「揃いも揃ってなんで長袖なんだよ、見てるだけで暑苦しい」

「馬鹿ね、青山。廃墟探索は何があるかわからないんだから。アンタみたく考えなしに半そで半ズボンスニーカーなんてできないの」


 じろり、と四島さんは青山を睨む。


「いい? 例えば廃材で手足を切ったらどうなると思う? 傷から菌が侵入して敗血症になる恐れだってあるの。そもそもね――」


 四島さんの熱のこもった講義マシンガントークを僕ら男子三人は肩を寄せ合って聞いていた。こうなった彼女は止まらないし、誰にも止められないから。

 ……彼女はそういう面での対策なんだろう。でも、僕と遠野は違う。僕は右足に傷があるし、元々肌を露出するのが苦手だから。

 水筒でお茶を飲みながら、横目で遠野を見る。

 黒いタートルネックにUVカットのパーカー、ジーパン、登山用ブーツ。そしてリュックサック。アウトドア仕様なのかポケットがたくさんついているし、何より僕の物よりも一回り二回りほど大きかった。

 そおっと右側に体重を乗せる。いつも足の悪いほうは、遠野がいた。脳内に走る電気信号よりも、僕は彼の体調が心配だった。


「暑くない?」

「馬鹿いえ、暑いわ」


 暑くないと誤魔化せるような気温ではない。遠野はストレートにそう答えた。


「……遠野」

「うん?」


 ごめん、と喉まで出かかった言葉を飲む。代わりに、


「熱中症になるなよ」


 と笑った。遠野の目に映る僕はどういう顔をしていただろう? 彼が目を伏せたのはほんの一瞬で、次の瞬間にはいつものヘラヘラとした笑顔に戻っていた。


「あたぼーよ、おまえ、俺の用意周到さ知ってるだろ」


 二リットル持ってきてるからな、とリュックを見せつけてくる。ならいいんだと僕は言いながら遠野から離れた。

 どこかでコオロギが鳴いている。近いような遠いような絶妙な距離感で、僕らにつかず離れずついてくる。集合場所の駅では聞かなかった鳴き声も、今ではすっかり耳馴染んできていた。

「まだかな」と「そろそろ」との単調なやりとりを繰り返したり、適当な雑談をしたりしながら、僕らは歩を進めた。

 緩やかな坂道に差しかかったときだった。


「あ、これ」


 四島さんが声を上げる。彼女は指し示した方向には、朽ちた看板が草むらにひっそりと落ちていた。


『Aヶ丘団地 地図』


 かろうじて全部で六棟あることはわかったが、それ以外のことは読み取れなかった。ともかく実物を拝もうと、僕らは足早に歩みを進めた。

 看板を合図に、周囲の景色が変化していった。散乱するゴミ、ヒビの入ったアスファルト――退廃する景色の先にあったのは、予想通りの光景で。


「おおー! ここが噂のAヶ丘団地!」

「思ってた以上に廃墟ね、これは探索し甲斐がありそう」


 弾んだ声の青山と四島さんとは対照的に、僕の気分は沈んでいた。

 ベージュの塗装の禿げた壁、錆びた遊具、コンクリートの階段、伸び放題になった雑草――あのときと変わらない、Aヶ丘団地が、そこに佇んでいた。

 遠野の顔を盗み見る。暗くてよく分からないけど、なんの表情も浮かんでいない。安堵しながら、僕は言った。


「それで、一号棟ってどこなの。青山」

「え、あーっと」ぽりぽりと青山は後頭部をかく。「……一番端っこじゃね?」

「おいおいナビ、しっかりしろよ」遠野が持参したらしい懐中電灯で、眼前の棟を照らした。「ここは六号棟か。どーする、二手に別れるか?」


 遠野の提案に、僕らは頷いた。

 とりあえず一号棟を発見したらまた六号棟現在地に集合する、幽霊はみんなで見ようという約束を取り決めた。


「話し合い? じゃんけん?」

(……話し合いが左、じゃんけんが右)


 僕がそう念じると、右手に生ぬるい風が吹いた。遠野の悪戯ではない。息を吹きかけるなんてやりそうだけど、彼はこういう場所ではふざけない。

 他の誰かが意見を言う前に、僕は言った。


「じゃんけんにしよう」


 僕らは夜の中、団地の前で「じゃんけんぽん」とそれぞれ手を出し合った――結果、遠野と僕、青山と四島さんのペアになった。ほっと息をつく。分かっていたとはいえ、やっぱり緊張する。


「げ、アンタと?」

「げっ、はこっちの台詞だ。俺だって豪傑女と一緒はなぁ……」


 刹那、四島さんにぶん殴られ、青山ははるか左に吹っ飛んでいった。怒れる四島さんの背中が懐中電灯の灯りともに遠ざかっていく。


「……」僕は心の中で青山に手を合わせた。「僕らは右、かな」

「そーだな」


 頭のうしろで腕を組みながら、気の毒そうな顔で遠野は頷いた。




 青山と四島さんたちと別れ、右にまっすぐ行くと五号棟についた。この奥にも建物は見える。あれが次目指す棟だろう。

 膝まである草をかき分けながら、僕は気になっていたことを聞いた。


「ねえ、遠野」

「んー?」

「……本当に、大丈夫なの?」

「ん」組んでいた腕をほどき、僕の顔を見やる。「おまえのおふくろさんが何も言ってこないから、大丈夫だろ」


 そっか、と僕は言った。

 僕が五歳のとき、母が他界した。表向き、というより僕以外の誰もが事故で死んだと思っている。もちろんだけど事故を起こした犯人は、捕まっていない。

 どうして僕だけが知っているのかというと、遠野が教えてくれたからだった。

 遠野はいわゆる「視える人」だ。ひいばあちゃんまではシャーマンとして全国を行脚したと彼から聞いた。

 彼の話によると母は、トンネルの中で死んだ。手足も首も、無事なところを探すのが難しいぐらい折れて、複雑に曲がっていた。……寒い中、たった一人で、死んだ。

 遠野曰く、まだ母は僕のそばにいるらしい。五歳のときから今に至るまで護ってくれているのだと。相変わらず僕には見えないけど、遠野と一緒にいる時だけは気配がわかるようになった。さっきみたいに二択の問いかけにも答えてくれる。

 本当ならこういう心霊スポットにはあまり来たくなかった。でも遠野が――母が、大丈夫だと言ったのなら、まあ、ひと夏の思い出作りにはなるだろう。

 僕の不安を見透かしてか、遠野は気の抜けた笑顔を浮かべた。


「ま、やばかったら逃げりゃいいのよ、逃げれば」

「そうかなあ」


 話をしていると、次の棟にはすぐに辿り着いた。のだけれど、番号が剥がれ落ちていた。僕らはぐるぐるぐるぐると建物周辺を回り、最終的には、郵便受けに刻まれた数字でここが三号棟なのがわかった。今まで僕らが見てきたのは奇数棟なので、おそらくこのまま行けば一号棟に辿り着くだろう。


「戻って合流しようか」


 僕が声をかけると、遠野は首を横に振った。


「え、なんで?」

「いいから」


 何度聞いても「いいから」としか返ってこない。強引に押し切られ、僕はしぶしぶ了承した。

 伸びきった雑草がズボンを擦る音がする。心霊スポットになった今でも、あまり人は来ないんだろう。手前側の建物だけで満足するのもわかる気がする。

 三分ほど歩いて、遠野が言った。


「なあスイ。建物、照らせる?」


 指示通り懐中電灯で前方を照らす。その全貌を把握した瞬間、僕は息を呑んだ。

 異様だった。

 ベージュの壁塗装はほとんど剥がれ落ち、ベランダの手すりはさび付いてしまっている。形を保っているのが不思議に思えるぐらいの崩落具合だった。


「……これが、一号棟?」


 無意識に、僕はそう言っていた。

 遠野も自分のペンライトで周囲を照らしつつ、


「そーみたいだな」


 と壁を指さした。かろうじて残った様子の「1」の骨組みが、潮風に揺れていた。

 不気味だ。早く二人と合流したくて僕は遠野の袖を引っ張る。が、うんともすんとも言わない。彼は顔をしかめながらずっと、建物を見上げている。

 沈黙を埋めるようにコオロギの声が、遠くから波の音がずっとしていた。


「――……ああ、そういう」


 僕は目を見開いた。普段の遠野からは想像もできないぐらい、低い声だったから。


「とお――」

「さ、青山と四島んとこ戻ろーぜ。どやされちまう」


 なんて遠野はさっさと歩き出してしまう。茫然と立ち尽くしていたが、彼に数歩遅れてその背を追った。



 そういえば青山は「一号棟に幽霊が出る」としか言っていなかった。女性か男性か、大人か子どもか、その辺りの詳細を聞きそびれてしまった。

 同じペースで隣を歩く遠野に、僕は問いかけた。


「結局、その幽霊ってなんなんだろうね」

「――女だよ」なんてことないように彼は言った。「髪の長い女」

「女の、ひと」


 思わず眉根を寄せたのは、母の最期がよぎったからだった。遠野から話を聞いて以来、女性の死に母を重ねるようになった。


「あと赤ん坊の声がずっとしてた」

「えっ?」


 驚く僕に「やっぱり気づいてなかったか」と遠野は肩をすくめる。


「ずっとだ。俺達があの場にいた間、ずっと足元で泣いてた。……耳にこびりついてんのか、今でも聞こえるけど」

「……塩でも被る?」

「全部が終わったらな」


 大丈夫なんだろうか? いや、不安になることは母さんと遠野を疑うことになる。僕はかぶりを振って二人への疑念不安を追い払った。

 そんな僕の顔を覗き込み、遠野はへらりと笑った。


「幼馴染サマを信じろって。ほら、そろそろ六号棟につくぜ。おまえがそんな顔してたら青山と四島に質問攻めにあうぞー」


 ――まったく、そう言われたら信じるしかないじゃないか。

 僕は、冗談めかして言う遠野に微笑み「頼んだぞ」と軽く背中を叩いた。

 六号棟の前には、青山と四島さんが立っていた。僕達に気付くと、揃って手を振った。僕も手を振り返す。


「一号棟、そっちだったわね」

「先に見てきてないだろーな」


 見てきてないよ、と僕らは口を揃えた。

 二人を連れ、さっそく一号棟へ向かった。


「驚いた、他んとことレベチすぎねぇ?」

「そうね。二号棟とも寂れ具合が全然違う」


 探索気分だった二人も、さすがに一号棟の異質さには息を呑んだらしかった。

 遠野はずっと外壁を見上げていたが、僕ら一人一人の顔を見、


「んで、どーする? 中、見てく?」


 と聞いてきた。まるで昼食ランチの相談をするような、軽い調子で。


「え――?」


 だって幽霊がいるって――それに赤ちゃんの泣き声がするって、言ってたのに――?

 青山と四島さんはしばらく考えていたようだった。二人は目配せをすると、異口同音に「行く」と答えた。


(……僕は)


 どうしようか、と自分に聞くまでもない。

 この向こう見ずで、好奇心旺盛な友人達について行くことにした。






























































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