偽薬2錠め 竜の里についたなら

飛竜は森の上を飛んだ。旅客機が飛ぶような上空ではない。高層ビルくらいの高さだろう。下を見ると、森の木々が見えた。私はくらの取っ手をしっかりと掴んだ。落下防止のためのシートベルトが欲しいところだ。


かなりの速さで飛んでいるはずだが、風圧を感じず、寒くもなかった。


「怖いと思ったが、快適だな」と私は言った。

「飛竜の飛行魔法の効果です」と私の後ろに座っているキーリアが言った。

「俺は風がビュンビュンしてた方がおもしろくて好きだけどな!」と私の方を振り返って猫耳少女のアーシャが言った。


私は恐る恐る周囲を見渡した。見渡す限り森が続いていた。


後ろを向くと、私たちのいた家がはるか遠くに見えた。


「我々は、あそこで邪蛇ジャジャの洞窟を見張る役目をしていたのです」とキーリアが言った。

「あの蛇は、君たち竜の里にとって脅威なのか」

「いえ、邪蛇ジャジャはあの洞窟にある転送陣を守る存在です」

「帝国の奴らを追っ払うのも俺らの役目だぜ。あの辺をちょろちょろしてたからな」とアーシャが言った。「そういや帝国の奴と間違えて石ぶつけて悪かったな、ヤーマダ」

「これ、アーシャ、勇者様を呼び捨てなど、失礼ですよ」

「えー?いいよな、ヤーマダ。そんなことで怒らないよな」

「呼び方はどうでも構わないが……」

「我々の本来の役目は、あの洞窟から出てくる者がいないか、見張ることでした」

「そしたらおっさんが出てきたんだ」


「帝国とは……」と言いかけた時、「見えたぜ、ヤーマダ!」とアーシャが叫んだ。


森の中に丸い土地があった。野球場4つ分くらいの大きさだ。透明なドームのようなものが、光の当たり具合によって、見えたり消えたりした。


竜の里ドラーカソルプです。結界で守られています」とキーリアが言った。


「守りなる壁よ、我らを受け容れたまえ!」キーリアの杖が光り、その光が飛竜と飛竜に乗っている私たちを包んだ。


飛竜は、結界の中に飛び込んでいった。ゼリーのようなものを通り抜ける感覚があり、私たちは結界の中に入った。


飛竜は、里の真ん中の広場に着地した。その周りに、円筒に半球を乗せたような形の建物が並んでいた。


「面白い形の家に住んでいるんだな」と私は言った。

竜の塔ヴルムスタインです」とキーリアが言った。


その一つから、背の低い老婆が出てきた。後ろに二人、武装した女性が控えていた。二人とも獣人だった。


「里ババ様、ただいま戻りました」

「ただいま、ばーちゃん」

「おお、キーリア、アーシャ。ん、そちらの御仁は?……まさか」

「はい、勇者様です!」

「勇者……」

「ヤーマダっていうんだぜ」


白い眉毛で覆われた里ババの目が、一瞬見開かれ、私を見た。鋭い眼光だった。


キーリアとアーシャが現場の下っ端なら、この里ババは本社のお偉いさんというところだろう。


里ババは値踏みするような目で私を見ていたが、相好を崩すと「ヤーマダ殿、よく来なされた。ささ、こちらへ」と言って、私の手を引き、竜の塔ヴルムスタインの中に入った。キーリアとアーシャも入ってきた。


外から見るよりも中は広かった。


キーリアが里ババに耳打ちをした。里ババが驚いた顔をしてアーシャを睨んだ。

「勇者様を帝国の犬と間違えるとは、仕様のない子じゃ」

「仕方ねぇだろ」

「どれ、念のため、ワレもおぬしを診ておこうかの」と言って私の頭に触れた。

「ばーちゃんは、キーリア姉ちゃんの師匠で凄腕の治癒師なんだぜ」とアーシャが言った。

「調子の悪いところはないかの?」

「いえ、頭の傷はすっかり治りましたし、足のケガまで治してもらったのでだいじょうぶです」

「ついでじゃ、他に気になるところはないか?」

「……では、夜間頻尿は治せますか」と私は言ってみた。

「はて、ヤカンヒンニオ……。聞いたことがないの。痛みを伴う急性の病かの?」

「いや、痛みはないし、急性でもないです」

「慢性の病か……。治癒魔法では、慢性の病は治せんのじゃ」

「気の持ちようで治るとも聞いてます」

「気の持ちよう……」

「呪いのようなものではないでしょうか、里ババ様」とキーリアが言った。

「呪いか、その可能性はあるの。すまぬが解呪魔法は専門外じゃ。解呪には、魂に関する深い知識が必要じゃからの」

「そうですか」


ダメ元で聞いただけだからショックはない。しかし、


「里ババ様でも治せぬ病とは……」

「移るのか、その病気!」


キーリアとアーシャがショックを受けていた。アーシャは後ろに跳んで私から距離を取り、毛を逆立てていた。


「伝染するようなものではないから安心してくれ」と私は言った。

「ほんとかっ?」とアーシャが叫んだ。

「差し支えなければどのようなご病気か教えていただけますか?」とキーリアが言った。

「うむ」と言って私は咳ばらいをした。「ご婦人がたの前で申し上げるのは気が引けるが、夜中におしっこがしたくなり、目が覚めるという症状だ」

「……」

「はぁ?病気じゃないだろ、それ」


キーリアは絶句していた。アーシャの逆立っていた毛が元に戻った。


「ヤーマダ殿、それは老化現象じゃ」と里ババが言った。「尿瓶しびんを使うがいい。我も使っておる」

「なるほど」


サラリーマン心得その3:変化を受け容れ、柔軟に対応せよ


尿瓶という発想はなかった。この年でまだ使いたくない、という拒絶感が強い。しかし、何事も頭ごなしに否定するのもよくない。老化という変化を受け容れ、柔軟に何でも取り入れていく発想は大事だ。選択肢として覚えておこう。


「他に気になるところは?」

「薄毛、老眼、腰痛は治りますでしょうか?」

「ぜんぶ老化現象じゃな。治癒魔法の対象外じゃ」


似たようなやり取りを妻としたのは、つい数時間前のことのはずだが、ずいぶんと昔のことに思われた。


里ババは目を見開き、「おぬし、不老不死でも求めておるのか?」と言った。

「めっそうもない」

「我らのご先祖の中には、不老不死の者がおったらしいがの」

里ババは私に手を伸ばした。私のこめかみに触れ、「しばらく会わんうちに腕を上げたの、キーリア」と言った。「完璧な治療じゃ」

「おほめにあずかりうれしいです、里ババ様。しかし私はまだまだ未熟者。私がもっとしっかり者だったなら、アーシャが勇者様に石つぶてをぶつけることもなかったでしょう。これからもご指導をお願いいたします」

「これだけの腕があれば、あれを任せてもだいじょうぶじゃろ」

「里ババ様?」

「こっちの話じゃ。アーシャを連れて下がるがよい」


キーリアは眉をひそめつつ里ババと私に一礼し、アーシャの手を引いて建物から出ていった。アーシャは「じゃあな、ヤーマダ」と言って手を振った。


部屋の中、私は里ババと二人きりになった。


いよいよ本社のお偉いさんとの交渉だ。


サラリーマン心得その4:本題に入る前に世間話をせよ


これは心得というほどのものではないが、雑談をして心理的な距離を縮めることで、その後の交渉がより円滑に進むことが多い。


食べ物や天気、通勤経路などが鉄板の話題だが、ここは共通の知人の話をするのが無難だろう。


「あの二人、キーリアとアーシャは姉妹なのですか?種族が違うようですが」

「アーシャは流行り病で両親を早くにくしての。キーリアが姉代わりじゃ」

「そうでしたか」

「キーリアには邪蛇ジャジャの洞窟の見張りを任せておった。アーシャは護衛兼食料調達係じゃ。獣人は力が強く、猟もたくみじゃ」

「なるほど」

「この里の三割が竜人、残りが獣人じゃ」

「竜人とは?」

「我もキーリアも竜人じゃ。ご先祖は変化へんげできたらしいがの。我らは寿命がちいと長いのと、飛竜を使役することができるくらいで、他はヒト族と変わりがない」

は違うのですか」

「まったくの別物じゃ。竜は生き物じゃが、龍の力は世界にありようを変えるほどのものじゃ。神と呼んで差し支えないほどの力じゃ」


里ババの目が光った。


「竜の里には、なにやら言い伝えがあると聞きました」そろそろ本題に入ってもいいだろう。私は座りなおし、正座した。「私がなぜ、この地に呼ばれたのか、お聞かせ願えますでしょうか」

「うむ」


里ババは立ち上がって後ろを向き、布をめくって小さな箱を取り出した。


「永き歳月、転移の洞窟を守りし邪蛇ジャジャを討つ者、異界より現れん。それすなわち勇者なり」


キーリアから聞いたのと同じ言葉を、里ババは言った。


「私は蛇を倒したわけではありません」と私は言った。「偶然、罠が作動して、蛇がその罠にかかったのです」


サラリーマン心得その5:誤解は交渉の早期に解消せよ


後になってから「ボタンの掛け違い」がわかると、それまでの交渉が無駄になる。交渉にはブラフはったりや方便も必要だが、正直さに勝る戦術はない。


「構わん」と里ババは言った。「経緯はどうあれ、ヤーマダ殿が蛇を倒したことに変わりはない」

「そうですか。では、なぜ私なのでしょうか」と私は言った。「私は何の力も持たない一介の庶民です。勇者になる器ではありません」

サラリーマンとしては、役員になる器でもなかった。


「わからん」と里ババは言った。「ヤーマダ殿の前に、この地に勇者が現れたのはもう千年も前のことじゃ。詳しい事情は誰も知らぬ。ただ一つ言えることは──」里ババは私の顔を見て言った。


「ヤーマダ殿が選ばれし者じゃということだけじゃ」


いや、だから何で選ばれたか聞いているんだが。


私は質問を変えることにした。


「私は何をすればいいのでしょうか」

「我らのために、この里を、いや、世界を救ってほしい」


世界を救うとは、また大きく出たものだ。


サラリーマン心得その6:「次の一手」を定義せよ


大義名分はだいじだが、ふんわりとした話だけでは仕事を前に進めることができない。手を動かせるアクションにブレークダウンしなければ仕事とは言えない。


「具体的には何を?」

「受けてくださるなら、まずこれを」


里ババは、質問には答えず、小箱を開けた。中には紐が入っていた。


「龍の髭で編んだお守り紐じゃ。勇者の証となる」


里ババは私の左足に紐を結び付けた。よくサッカー選手が付けているミサンガというやつだ。これに願いをかけ、切れるまで身につけていればいいのだろうか。


「我が祖たるの神よ、彼の者にその加護を与えたまえ」


里ババがそう唱えるとミサンガが青く光った。


「まずは宴じゃ」と里ババは言った。「何をしてもらうかは、明日、伝える。準備が整うまでゆるりとしてくだされ」


里ババが手を叩くと、護衛の女性獣人の一人が部屋に入ってきた。


「ヤーマダ殿をお部屋に案内せよ」

「承知いたしました。ヤーマダ様、こちらへ」


私は獣人に案内され、少し離れた建物まで歩いた。「寝る前にトイレに行くのもお忘れなく」という妻の言葉を思い出し、途中で便所に連れていってもらった。私が連れていかれた建物も竜の塔ヴルムスタインだった。中に入るとベッドがあった。「御用があればお呼びください」と言って獣人は部屋を出ていった。


私はベッドにもぐりこんだ。いろいろあって疲れたし、今日は土曜日のはずだ。日頃の睡眠不足を解消しておこう。疲れていたので偽薬プラシーボがなくてもすぐに眠れるだろう。「今日は夜中にトイレに行きたくならない」と念じる必要もない。目を閉じると眠りはすぐにやってきた。


私は夢を見た。夢の中で、白い少女がそばにいた。偽薬プラシーボの錠剤のような、白い少女だった。


* * * * *


「宴の準備ができたぜ、ヤーマダ!」


目を開けると猫耳少女がいた。


「あれ?なんでこんな時間に寝てんだよ。行こうぜ!」


アーシャに手を引っ張られ、ベッドから出た。


里の広場に行くと、色とりどりの料理がところ狭しと並べられていた。


* * * * *


その頃。


幕屋にいた帝国軍第3部隊長、女騎士ウィトブリシア・アルドランのもとに、偵察隊からの報告が入った。


「竜の里を発見いたしました」

「そうか。迅速だな。ご苦労だった」

「しかし」

「なんだ」

「強力な結界があり、外部からの侵入を阻んでおります」

「そうか。フロドガイルを呼べ。迅速にな」

「はっ」


女騎士アルドランのもとに、年老いた魔導士がやってきた。小柄な老人だったが、上半身に比べ、明らかに下半身が短かった。移動すると、にちゃ、にちゃ、と音がして、地面になめくじの這った後のような、粘液がついた。黒いローブで見えないが、その下半身は異形のものであるに違いなかった。


「ようやく儂の出番かの。ウィトブリシア嬢」

竜の里ドラーカソルプが見つかった。結界の解除を頼む」

「お手柄じゃな」

「部隊が迅速に動いてくれたおかげだ」

「濡れ衣で処刑されたおぬしの父、故アルドラン伯爵も草葉の陰で喜んでおろうて」

「与太話をしている暇はないぞ、フロドガイル。そちのような高給取りに長い間無駄飯を食わせていたのはこの日のためだ。迅速に働いてもらうぞ」

「ひぇひぇひぇ、期待に応えて見せようぞ。腕が鳴るわい」


老魔導士フロドガイルは、ズルズルという音をさせて幕屋から出ていった。


帝国軍第3部隊長、ウィトブリシア・アルドランは付き人に命令した。


「部隊を整列させよ。迅速にな」


女騎士は兵たちの前に立った。腰まで伸びた金髪の三つ編みが風に揺れた。よく通る声でげきを飛ばした。


「我が騎士たち、我が兵士たちよ、敵の本拠地が見つかった。邪教を広める竜人たちを滅ぼせば、この森を我らが国土とし、田畑に変えることができる!そうすれば、我らが王国は、より豊かになり、民の暮らしも、より迅速しあわせなものとなるだろう。これは聖なる戦いだ、心してかかれ!」


「「「「「「「「「「はっ!」」」」」」」」」」


精鋭部隊は音もなく森の中を進んでいった。


隊列の中央を走る馬車の中で老魔導士フロドガイルは杖を磨いていた。「ようやくあやつとの因縁に決着がつけられる。楽しみにしておれよ、里ババ、ヴィルマ・ドラフォルクよ」

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