偽薬3錠め 勇者の役割がわかったなら
宴会が始まった。
主賓は私だった。広場の中央に演台が設けられ、それを見降ろす位置に主賓席がしつらえてあった。竜宮城に招かれた浦島太郎もかくや、というほどの歓待を受けた。料理はどれも、薄味ながら素材の味を生かしたものだった。
里の竜人、獣人がかわるがわるやってきては私に酒を勧めた。二、三杯飲んだところで私はやんわりと酌を断り、水を持ってきてもらった。強い酒ではなかったが、用心に越したことはない。
サラリーマン心得その7:酒は飲んでも飲まれるな
宴席は取引先との距離を縮めるために有用だが、酒で失敗するサラリーマンは多い。己の酒量を把握し、酔いすぎず、なおかつ場の雰囲気を壊さない技量が必要だ。
やがて薄物をまとった踊り子たちが舞を始めた。タイやヒラメの舞い踊りというわけだ。私の隣には乙姫ならぬ、里ババがいた。
「どうじゃ、ヤーマダ殿。
「まことにすばらしい」
キーリアが来て、私の盃に酒を注いだ。
「
「里ババ様……」キーリアは頬を染めた。
「さ、どうぞ、勇者様」キーリアはしきりに酒を勧めた。顔が近かった。うっすら化粧をしていた。聖職者のローブではなく、踊り子の着る薄物を身にまとっていた。
こ、これは!ハニートラップか。いかんぞ、未成年にこんなことをさせては。
サラリーマン心得その8:色欲に負けて退職金をふいにするな
宴席でのセクシャルハラスメントによって刑事責任を問われることが増えてきた。それがもとで懲戒免職となれば退職金ももらえずにクビになる。一時の情欲に負けて人生全体を棒に振ってはならない。……いや、違う。こんな言い方だと「じゃあ、退職金をもらえる場合だったらセクハラはしてもいいということですね?」等と言い出す輩が出てきそうだ。セクシャルハラスメントはそれ自体が悪である。悪質な人権の侵害だ。そのことを忘れてはならない。
私は深呼吸し、
私はすっと体をずらし、「無理をしているだろう?」とキーリアに言った。
「な、なんのことでしょう、勇者様」
「その格好、その化粧、そしてさっきの里ババのセリフ。何か言い含められているのではないかね?」
「いえ、そんな!」キーリアは視線を落とした。「ごめんなさい。……勇者様はすべてお見通しなのですね。私がもっと
「それは買い被りというものだ。私には何が何だかさっぱりなんだ」と私は正直に言った。
「里ババから、勇者様と親密になるように言われました」
「なんでまた」
「里ババ様は……」キーリアは周囲を見回し、小声になった。「勇者様を利用されるおつもりなのです」
「それはおだやかではないな」
「勇者様を利用するなど、あってはならないことです。でも里ババ様に逆らうこともできず……。私はいったいどうしたらいいのでしょう、勇者様」
「事情を聞かせてもらおうか」
キーリアは、
かつて
里ババは、竜人が再び力を得るための秘宝が「龍の迷宮」に眠っていると考えている。しかし力を失った竜人には、「龍の迷宮」の攻略は不可能だ。今まで何人もの竜人や獣人が迷宮に挑み、帰らぬ人になった。そこにたまたま現れたのが異界から召喚された「勇者」ヤーマダだった。勇者を利用し、「龍の迷宮」を攻略し、最奥部に眠る財宝を手に入れ、力を取り戻す。そうすれば帝国の軍勢など敵ではない。
それが里ババの考えであり、そのための策の一つが勇者と親密になり、
「そうだったのか」と私は言った。「しかし私は勇者とは名ばかりの男だ。力も知恵もない。私にあるのは薄毛、老眼、腰痛、夜間頻尿、そしてサラリーマンとしての経験だけだ。そんな私に迷宮攻略などという大それたことができるのだろうか」
「伝承によれば、前回の勇者様も、特別な力をお持ちではありませんでしたが、無事、迷宮を攻略されたそうです」
「ほう。どんな方法で?」
「それは伝わっておりません」
「そうか。記録を残しておいてほしかったが、ないなら仕方ない」
サラリーマン心得その9:後任のため、引継ぎ資料はきちんと残しておこう
「しかし迷宮攻略か。私にできるかな?」
「勇者様」と言って、キーリアはまっすぐに私を見た。「勇者様が迷宮に潜る必要はありません」
「そう言ってくれるのはありがたいが、それではキーリアが里ババを裏切ることになるのではないか?」
「いいのです。里ババ様の考えは間違っているのですから」キーリアの目には力が宿っていた。「これは
「君が次の里長なのか」
「はい、昨年成人の儀を済ませた折、そのように決まりました」
「たいへんな役目だね」
「重責ですが、私にできることはなんでもするつもりです」
「責任感が強いのはけっこうだが、だからといって色仕掛けまでするのは感心しないな」
「それは……」
「リーダーだからと言って、自分がほんとうにしたくないことはしなくてもいいんだ」
「……里長たる者、己を殺すことも肝要と考えていました」
「メンバーのために自分を犠牲にするのはほんとうのリーダーじゃない。自分も含めてみんながハッピーになれる方法を考えるのがリーダーの役目なんじゃないかな」
「勇者様……」
「なんて、私も偉そうなことは言えないが」私はそう言って盃の酒を飲みほした。「里ババには、私からオッケーの返事をもらったと伝えるがいい」
「え?」と言ってキーリアは目を丸くした。「迷宮に行くということですか?いけません、勇者様!これは
「自分で全部背負おうとしなくていいんだ、キーリア」と私は言った。「それに、これはギブ&テイクというやつだ」
「え?ギ、ギブ?」
「ギブ&テイクだ。私が迷宮に潜り、その見返りとして、里ババには私が元の世界に戻る方法を探してもらう。これなら対等な取引だ」
「対等な取引?」
「お互いに得るものがある、ということだよ」
「……勇者様は、元の世界に戻る方法があるとお考えですか?」
「もちろん。そう信じているよ」
「信じる……。勇者様はお強いかたなのですね」
「強いわけじゃない。信じることくらいだ、今の私にできるのは」
私はキーリアを立たせた。
「里ババが待っているのだろう。私の返事を伝えてくるがいい」
「……ありがとうございます、勇者様!」
キーリアは主賓席を降りて里ババの小屋に入っていった。
これでよい。
不安がないわけではないが、「普通の人間が迷宮に入り、攻略に成功した」という前例があるなら、なんとかなると思うしかない。元の世界に戻るため、私は目の前の状況に対応していくしかないのだ。
私は宴を抜け出した。護衛の獣人が音もなく側に来た。今回も便所に連れていってもらった。自分にあてがわれた
目を閉じるとすぐに眠りが訪れた。そして夢を見た。
* * * * *
「おーい、ヤーマダ」
翌朝、私を起こしに来たのは猫耳少女のアーシャだった。
「おはよう、アーシャ」
「ヤーマダはいつも寝てるな。俺といっしょに来てくれ」
私はベッドから出て、アーシャの後ろについていった。広場には演台と主賓席がそのままになっており、獣人たちが何人か演台の上に寝ていた。
「だらしがねぇなあ。飲みすぎなんだよ」
アーシャが男の獣人の尻を蹴った。蹴られた獣人はむにゃむにゃ言ってまた寝てしまった。
アーシャは里の中央の通路を歩いて行った。両側に、円筒に半球を乗せたような
通路の切れたところに、
「なんだ、これは……」
そこにあったのは、黒い渦だった。積んだ石で囲まれ、井戸のように見えたが、丸く開いた穴の中に黒い渦があった。渦は回転し、生き物のようにうねっていた。
「龍の迷宮の入り口じゃ」いつの間にか横に立っていた里ババが言った。「迷宮の攻略を引き受けてくださるそうじゃの、ヤーマダ殿」
里ババの後ろにキーリアがいた。今日は杖を持ち、きちんと聖職者の格好をしていた。キーリアは私にうなずいた。話は通した、ということなのだろう。
「ええ。その代わり、元の世界に戻れる方法を探してください」と私は言った。
「その答えもまたこの穴の中にあるじゃろうて」
そう言って。
里ババは私を黒い渦の中に突き落とした。
落ちながら体が回転した。頭上に丸い光が見えた。
「勇者様!」「ヤーマダ!」キーリアとアーシャの叫びが聞こえた。
その叫びが遠ざかっていく──
と思ったら、「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」という声が近づいてきて、気が付いたら、尻の下に地面があった。
あたりは真っ暗だった。
「
「君たちも来たのか」
「里ババ様に突き落とされました」
「聞いてないぜ」
そうか、だまし討ちに遭ったのか。
キーリアが杖の光で上を照らした。
「戻る方法はなさそうですね」
「進むしかねぇな」
「行きましょう、勇者様」
キーリアとアーシャはやる気になっていた。
「巻き込んでしまったみたいで済まないが、君らが来てくれて心強いよ」と私は正直に言った。
「それはいいっこなしです。もともと
「そうだな、ヤーマダ。俺様がいればこんな迷宮、屁でもないぜ」
「アーシャ、大言壮語するものではありませんよ。油断はケガのもとです」
「はーい」
キーリアはアーシャをたしなめつつ、杖の光で周囲の状況を調べていた。
「ここは迷宮の第一階層のようです」とキーリアが言った。「罠に注意しながら先に進みましょう」
先頭にはアーシャが立った。
「こんな小さな子を先頭に立たせるのは申し訳ないね」
「気にすんな、俺は鼻が利くからよ。お、そこに罠があるぜ」
アーシャはすたすたと進んでいった。私はアーシャの踏んだところを踏んでいった。最後尾からキーリアが道を照らした。
「魔物がいたらどうするんだい」と私は言った。
「そん時は俺がこいつで一撃だ」アーシャは腰の後ろから革紐でできた道具を出した。
「投石器か」
「おうよ。この辺は石ころがいっぱいあるから弾には困らねぇぜ」アーシャは足元の石を拾った。「丸くてすべすべした石があったらヤーマダも拾っておいてくれ」
「ほう。こんなのでいいのかい?」
私は目についた石を拾ってアーシャに渡した。
「ん?こいつは……」と言って、アーシャがキーリアに石を渡した。
「これは魔石ではありませんか!」とキーリアが言った。
「いいものなのかい?」
「希少なものです。おそらくこの後の攻略に必要になるものかと」
「それはよかった。幸先がいい」
何のとりえもない私だが、みんなの役に立てたようだ。私は魔石をパジャマのポケットにしまった。
「やるな、ヤーマダ。俺も負けちゃいられない」
そう言ってアーシャは中腰になって足元ばかり見て歩いていた。
「罠にも気をつけなさい、アーシャ」とキーリアが言った時、
カチリ。
アーシャの足が罠のスイッチを踏み、足元にあった床がなくなった。
「ふおっ?」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
本日二度目の落下だった。
* * * * *
老魔導士フロドガイルは、黒いローブから骨と皮だけになった手を伸ばし、結界にそっと触れた。
「ふむ、古代の術式か」
フロドガイルは腕を組んで結界を見上げた。透明なドームは、柔らかな膜のように震えながら、確固として侵入者を拒んでいた。
その横には帝国軍第3部隊長、女騎士ウィトブリシア・アルドランが立っていた。
「この期に及んでできない等とは申すなよ、フロドガイル」
「何、心配はいらん。大型の魔物が3体必要じゃ。生きたままでな」
「この辺りで大型の魔物となると、
「それでよい」
「迅速に運ばせる」
女騎士は伝令を走らせた。
フロドガイルは杖を使い、地面に大きな魔法陣を描き始めた。杖の尻の部分から灰色の粉のようなものが出て、土のくぼみを埋めていた。
魔法陣が完成した。
そこに口と四肢を縛られた、馬ほどもある大きな鹿の魔物が3体運び込まれた。
フロドガイルは、暴れようとする
「ひぇひぇひぇ、生きがいいのお」フロドガイルが睨むと
フロドガイルが左手に持った杖で誘導すると、手から離れた心臓が、脈打ちながら宙を浮き、魔法陣の中央まで移動した。そして静かに魔法陣の中央部にある小さな円の中に沈んでいった。灰色だった魔法陣が赤く染まり、光を放った。
フロドガイルは続けて、2体めの
フロドガイルは杖を掲げ、詠唱した。
「
始源の龍の作りし里の姿を顕せ
束縛の鎖を断ち切れ
──
魔法陣から赤い光が迸り、結界全体を覆った。
そして。
千年の長きにわたり、
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