第10話『鏡の中のノイズ、路地裏の噂話』
翌朝。
雨は上がっていたが、スラム特有の湿った空気は変わらない。
俺は洗面台の鏡の前で、自分の顔を検分していた。
「……戻ってるな」
瞳の色は黒。いつもの冴えない修理屋の顔だ。この世界に来て、およそ3年。
問題は、昨日鏡を見たときの一瞬の「青い明滅」だ。
(……使いすぎたか)
俺がこの世界に来てからの3年間で、カートリッジを使ったのはたったの4回だ。
どうしても動かせない瓦礫をどかすためにNo.1(コンドル)を1回。
そして辻褄合わせにクラン【
その後、複雑すぎる古代遺物の解析のためにNo.3(オウル)を2回。
たったそれだけだ。それだけの回数で、俺は奴らの「声」が聞こえるようになった。
2回使えば、脳内にパスが繋がる。それがこの身体のルールらしい。
だが、ここ一ヶ月の俺はどうだ?
店で、オウルとコンドルの2連続変身。
図書館で、再びオウル。
そして昨日の広場で、No.4(ダヴ)。
たった数日で4回。3年分に匹敵する負荷を、この短期間で叩き込んだことになる。 魂が悲鳴を上げ、カートリッジとの境界線が曖昧になるのも無理はない。
『おはよう、レン君。脳波が乱れているね。私が鎮静化の数式を書いてあげようか?』
脳内で、No.2 オウルの声が響く。
こいつの使用回数は、過去を含めて計4回。最も多く使っているせいか、最近では俺の思考に勝手に割り込んでくるほど馴染んでやがる。
「……うるさい。家賃払え」
俺は小声で毒づきながら、顔を洗った。
この「回数の法則」で言えば、昨日初めて使ったNo.4 ダヴの声はまだ聞こえないはずだ。実際、今の脳内はオウル以外は静かなものだ。
だが――昨日の変身中、彼女は自分の口でこう言った。
『お兄ちゃんも人使いが荒いなぁ』
俺の手が止まる。
(……お兄ちゃん?)
確かに、No.4は「妹キャラ」としてデザインした。だが、それはあくまで設定上の話だ。
俺はゲーム時代、No.5(倉庫キャラ)とNo.4(聖女)を同じパーティに入れたことはあっても、No.4がNo.5を「お兄ちゃん」と呼ぶようなテキストやボイスは実装されていない。彼女にとってNo.5は、ただのアイテム持ち係のはずだ。
それがなぜ、あんなに自然に、アドリブのように俺を呼んだ?
まだ声も聞こえない段階で、自我だけが先行して動いているのか? それとも、俺の深層心理(願望)が勝手に言わせたのか?
(……分からん)
考えても答えは出ない。今は情報が必要だ。カートリッジのこと、そして俺を狙う教会のこと。
俺はタオルを投げ置き、着替えて表に出ることにした。
* * *
スラム街の中心にある酒場『錆びた歯車亭』。
昼間から安酒をあおる労働者たちで賑わうこの店は、下層地域の情報交換所でもある。
俺はカウンターの隅に座り、一番安いエール(と言っても、薄めた泥水のような味だが)と、魚のフライを注文した。
「……おい、聞いたか? 昨日の広場の話」
「ああ、教会の『装甲蒸気車』がペシャンコにされたってやつだろ?」
案の定、話題は昨日の事件で持ちきりだった。
「なんでも、『巨大なメイスを持った金髪のシスター』が現れて、一撃で車を粉砕したらしいぜ」
「バカ言え。そんなシスターがいてたまるか。どうせ反政府組織の新型オートマトンだろ」
「いや、俺の従兄弟が見たんだよ! 怪我をした子供たちが、光に包まれて治ったって!」
噂話は尾ひれがついているが、大筋はバレている。俺は顔色一つ変えず、黙々とエールを啜った。
「……よう、修理屋の旦那」
声をかけてきたのは、情報屋の男だった。
歯が数本抜けた、ネズミのような男。俺がたまにガラクタの修理を引き受ける代わりに、情報を回してもらっている。
「景気はどうだい?」
「最悪だ。雨で店が湿気ってカビが生えそうだ」
「ハハッ、そいつは世知辛い。……ところで、面白い話があるんだが」
情報屋は声を潜めた。
「昨日の騒ぎで、教会(R.C.S.M.)の上層部がカンカンになってるらしい。 『聖女』の手配書が出るのも時間の問題だが……妙なんだよ」
「何がだ?」
「教会は、犯人の『殺害』じゃなくて、『生け捕り』を命じてるらしい。 しかも、犯人のことを『
適合者。
聞き慣れない単語に、俺の眉がピクリと動く。
「……なんだそれは」
「さあな。だが、教会は血眼になってる。スラム中の子供をさらって『検体』にしてたのも、その『適合者』を探すためだったんじゃないかって噂だ」
俺の背筋に冷たいものが走った。
教会の目的は、単なる魂のエネルギー利用だけじゃない? 「適合者」を探していた? そして昨日、俺はダヴに変身して、その「適合者」らしき力を見せつけてしまった。
(……藪蛇をつついたか)
もし、俺の「変身能力」そのものが教会の狙いだったとしたら。俺は自分から網にかかりに行ったようなものだ。
「……あと、もう一つ」
情報屋はさらに声を低くした。
「最近、スラムの地下水道で『不気味な歌』が聞こえるって話が増えてる。聞いた奴は、翌日には記憶が飛んで廃人になっちまうんだと。……アンタ、変な依頼には関わらない方がいいぜ」
地下水道の歌。廃人。
これもまた、キナ臭い話だ。だが、今の俺には「適合者」というワードの方が重くのしかかっていた。
俺は情報料として小銭を弾き、席を立った。エールは半分も残っていたが、飲む気にはなれなかった。
「……適合者、か」
店を出て、雨上がりの空を見上げる。俺の中にあるカートリッジたち。
それらは、ただのゲームデータなのか。それとも、この世界の「何か」と適合するための鍵なのか。
謎は増えるばかりだ。
だが、一つだけ確かなことがある。俺はもう、ただの「スラムの修理屋」ではいられないということだ。
俺は帽子を目深に被り、迷宮のような路地裏へと消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます