第08話『命の洗濯、物理の聖女』

 夜。

 少年が去った後、俺は店の表戸に厳重な鍵をかけ、奥の鉄扉を開いた。


 そこは俺の聖域サンクチュアリだ。

 薄暗い倉庫の片隅に鎮座するのは、真鍮の配管がタコの足のように巻き付いた、巨大な金属製のタンク。 俺が廃材を集めて作り上げた、帝都でもここだけにしかないシステム。

 名付けて『全自動濾過循環式・五右衛門風呂(改)』だ。


「……よし、沸いてるな」


 水温計は42度。

 だが、すぐに飛び込むような真似はしない。この帝都において、水は燃料オイルと同じくらい貴重だ。雨水を何層ものナノフィルターで濾過したこの湯は、数日間は使い回さなきゃならない。


 俺は服を脱ぎ捨てると、手桶に湯を汲み、頭からザブンとかぶった。


「……くぅぅ」


 熱い湯が、冷え切ったEランクの肌を赤く染めていく。

石鹸を泡立て、丁寧に体の汚れを落とす。煤と油、そしてスラムの澱んだ空気が、泡と共に排水溝へと流れていく。 日本人の魂がそうさせるのか、あるいは単なる潔癖か。

 とにかく、まずは身体を清める。それが俺の流儀だ。

 そして十分に汚れを落としてから、俺はタンクの中へと身を沈めた。


「……ふぅぅぅ」


 思わず、重たい吐息が漏れる。

 最高だ。

 狭いタンクの中で膝を抱え、天井を見上げる。チャポン、と湯が揺れる音だけが、防音室の壁に反響する。


 今日は少年を見捨てようとした。 明日は少女が教会という名の実験場に連れて行かれる。


 温かい湯船の中で、俺は自分の掌を見つめた。

 ふやけて白くなった指先。身体の汚れは落ちた。

 だが、胸の奥にこびりついた罪悪感は、どんなに擦っても落ちそうにない。


(……分かってるよ)


 俺は湯気の中で目を閉じた。

 見捨てられないことは、自分が一番よく分かっている。だからこそ、こうして身を清めているのだ。これから行うのは「人助け」なんて綺麗なものじゃない。

 教会の威光に泥を塗り、神の奇跡を偽造する、大罪人の振る舞いだ。


「……せめて、清潔な体で行かないとな」


 俺はザバリと湯から上がった。タオルで水気を拭き取りながら、鏡の中の自分を見る。

 湯上がりで少し血色が良くなった顔。だが、その瞳だけは冷たく静まり返っていた。


 俺は明日、一線を越える。その覚悟と共に、俺は寝室へと向かった。


        * * *


 翌日。

 予報通りの冷たい雨の中、スラムの広場には異様な重低音が響いていた。


 ズゥゥゥゥン……プシュァァァァ……。


 それは馬車などではない。黒光りする鋼鉄の装甲板に覆われた、巨大な『装甲蒸気車スチーム・キャリア』だった。 タイヤの代わりに無限軌道キャタピラを履き、屋根からは太い排気管が白煙を上げている。 R.C.S.M.(王立蒸気・魔導教会)が誇る、移動式の実験室兼要塞だ。


「さあ、神の愛を受け取りなさい」

「病める子羊たちに救済を」


 白衣を着た聖職者たちが、咳き込む子供たちを次々と車両の後部ハッチへ誘導していく。その中には、昨日の少年と、ぐったりとした少女リズの姿もあった。

 俺は広場の影、崩れかけたレンガ壁の裏からその様子を窺っていた。目深にフードを被り、雨に打たれながら。


(……スキル、発動)


 俺は【至高の鍛冶】で、分厚い装甲の向こう側を透視解析スキャンした。 内部には、精密な魔導機器がずらりと並んでいる。


『構造:生体エネルギー抽出炉』

『分類:軍事用・非人道的』

『用途:魂の結晶化、および廃棄処理』


(……やっぱりな)


 俺は奥歯を噛み締めた。治療じゃない。

 あれは「収穫」だ。 錆肺で弱った子供の魂を吸い出し、残った肉体はスチームの燃料として廃棄するつもりだ。

 少年とリズが、タラップを上がる。ハッチが閉まれば、二度と出てこられないだろう。


「……ふぅ」


 俺は足を踏み出そうとした。だが、車両の周囲には完全武装した「教会騎士」たちが四人。 全員、強化外骨格パワードスーツの簡易版を装着し、手には魔導警棒を持っている。

 ゲームで言えばステータスCランク以上の精鋭たちだ。 Eランク相当の俺が飛び出したところで、一秒で地面に這いつくばらされて終わりだ。


(力が必要だ。それも、圧倒的な)


 コンドルか? いや、コンドルでは暴れすぎて、子供たちごと車両を粉砕してしまう。

 オウルか? いや、数式で騎士を凍らせても、病気の少女は救えない。


 必要なのは、「癒やし」と「鉄槌」。矛盾する二つを同時に叶える、慈愛と暴力の象徴。


 俺は目を閉じ、脳裏に『思考スロット』を展開した。

 雨音が遠のく。イメージするのは、最も清らかで、最も不機嫌な、俺の可愛い「妹分」。


「……力を貸してくれ」


 俺は脳内で、真鍮と白いエナメルで飾られたカートリッジを掴み取った。

 刻印は【No.4】。


(――装填ロード


 世界が反転する。 俺の体から溢れ出した青い光の粒子が、白銀の聖なる光へと変質する。


 骨格が縮む。筋肉が削げ落ち、代わりにしなやかな肢体が形成される。 黒髪が黄金色に染まり、スラムの瘴気を払うような聖なる芳香が漂う。


 変身完了。

 フードの下から現れたのは、修理屋の男ではない。透き通るような金髪のショートヘア。 透き通るような碧眼。 10代半ばの少年のようにも、少女のようにも見える、中性的な美貌。 身に纏うのは、泥汚れ一つない純白の修道服。


 No.4『ダヴ』。


 俺――いや、「ボク」は、重厚な革表紙の聖書を片手に、ぬかるんだ地面を踏みしめた。

 そしてもう片方の手には、身の丈ほどもある巨大なメイスを引きずっている。


「……うぇ」


 ボクの口から、第一声が漏れた。鈴を転がすような、しかし心底嫌そうな声。


「最悪。なにこの空気。肺が腐りそう」


 ボクは鼻をつまみ、目の前の巨大な装甲蒸気車を睨みつけた。教会の連中はまだ気づいていない。


「お兄ちゃんも人使いが荒いなぁ。こんな汚い場所でボクを呼ぶなんて」


 ボクは巨大なメイスを軽々と――まるで小枝のように――持ち上げ、肩に担いだ。


「ま、いっか。……あの偽善者たち、ボクの『庭』で好き勝手してくれてるみたいだし」


 一歩踏み出す。


 ドォン!


 か細い足からは想像もつかない重い足音が響き、騎士たちが驚いて振り向く。


「な、なんだ貴様は!?」

「シスター……? どこの教区の者だ!」


 ボクはニッコリと、聖母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


「迷える子羊のみなさん、こんにちは」


 そして、メイスをブンと振り回し、風を切る音を響かせる。


「悔い改める時間だよ(物理)」

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