第5話 友情の構築

屋上から降りてきて、僕はまっすぐ教室に戻った。今のところ、他に行きたい場所もなかったから。


「あ、加藤さん、こんにちは」


階段の角で加藤に出会った。彼女も昼食を終えたばかりのようだ。


「はい、松本くん……こんにちは」相変わらず、加藤は少し緊張した様子で、おどおどとした子猫のようだった。


「さっき昼食を食べ終わったところですか?」


「え、ええ……そうです」


「そうですか。今日のお弁当も、加藤さんが自分で作ったんですか?」


「はい……今日も挑戦してみました」


「加藤さんの様子を見ると、今回のお弁当は成功したようですね」


「ええ……まだ味は良くないけど、昨日よりはだいぶマシになりました。松本くんが助けてくれて、励ましてくれたおかげで、ここまで進歩できました……ありがとうございます」


加藤はそう言うと、軽く頭を下げて感謝の意を示した。


「そんなことありません。全部加藤さん自身の努力です。僕はほんの少し手助けしただけです。でも、これからも頑張ってくださいね。僕、結構加藤さんの腕前を楽しみにしていますから」


加藤の調子が良さそうだったので、軽く冗談を交えてみた。


「そう……ですか……松、松本くんは今日の午後、何か予定ありますか……?」加藤は勇気を振り絞って自分の考えを口にした。


「僕は別に何も予定はないですが、加藤さんに何か用事でも?」


「あの……私、昨日料理部を見学に行って、部の先輩たちと一緒に料理を体験して学んだんです……で、もし松本くんに時間があったら……一緒に見に行ってもらえませんか……だ、だって部の先輩が、友達やクラスメイトを誘って体験してもいいって言ってたから……それで、松本くんを誘いたくて……」


加藤は一気に自分の考えをすべて吐き出し、顔を真っ赤にしていた。


「ええ、いいですよ。ちょうど僕も何の部活動にも入ってないし、加藤さんと一緒に見学してみましょう。あ、それと、誘ってくれてありがとう。嬉しいです」


調査の方向性の一つではあるが、それでも加藤の誘いに感謝していた。なんだか楽しそうだったから。


「そ、そうですか……本当にありがとうございます、松本くん!」


加藤は僕が誘いを受けてくれたことがとても嬉しいようで、何度もうなずきながら感謝した。


「いいえいいえ、ちょうど僕も料理を試してみたかったんです。誘ってくれてありがとう、加藤さん」僕は手を振って、加藤にそこまで気を使わなくていいと伝えた。


「それじゃ、今日の午後の授業が終わったら、教室の裏口で待っています」


「はい、はい!わかりました、ありがとうございます、松本くん!」


加藤はとても嬉しそうだった。


「おー、松本くん、こんにちは!」


声をかけてきたのは桜木だった。外から戻ってきたばかりのようだ。


「あ、桜木さん、こんにちは」


加藤はこの展開を予想していなかったらしく、また緊張した表情を浮かべた。


「あ……そ、それじゃ、松本くん、邪魔しちゃいました……私、用事があるのでこれで失礼します、さようなら!」


加藤は急いで別れを告げ、素早くその場を離れた。


「あ、はい、じゃあ午後に」

この状況を見て、桜木はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ええ~、さっきの子は誰?松本くんの彼女?」


「いや、つい最近知り合ったばかりの友達で、B組の加藤紗奈です」


「へえ~、そうなんだ?松本くんもてるね~、他クラスでも人気あるんだ」


桜木は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ゆっくりと僕の前に歩み寄り、目を大きく見開いて僕の反応をうかがっているようだった。


「からかっても無駄ですよ。それに、私たちはただの友達ですから」僕は平静な表情で応えた。


桜木は数秒間僕を見つめ、それから笑いながら教室へ歩き出した。


「そうかな~、松本くんってほんと面白いね……」


「多分ね」僕も彼女の後について教室に戻った。

着席すると、隣の桜木はすぐに小林と話し始めた。話の内容は、僕がギャルに対して持っていたイメージにぴったりで、服や化粧品の話ばかりだった。


「あ、そういえば……」僕は突然口を挟んだ。


「さっき二人が僕に勉強を教えてほしいって言ってたけど、本気なの?それとも冗談?」


いろいろ考えた結果、はっきりさせておいたほうがいいと思った。後で何か面倒なことにならないように。


二人は僕が話を遮るとは思っていなかったようだが、それでも笑顔で言った。


「もちろん本気だよ~。だって私たち成績よくないし、だから松本くんに助けを求めたんだもん」


「そうそう、でなきゃわざわざお願いしないよ」


二人が少し本気で少し冗談めいた様子を見て、僕はあまり深く考えず、とりあえず心の中で大まかに理解した。


「わかった。じゃあまず連絡先交換してグループ作ろうか。二人が本当に考えがまとまったら、連絡して」


直接承諾はしなかった。ギャルコンビは単に楽しみを求めているだけかもしれないからだ。だから、できるだけスマホで済ませたかった。後でどんな面倒が起こるかわからないから。


「ええ~、まだ承諾してもらってないのに早くも連絡先を聞き出すなんて、松本くんって意外と積極的だね、はは」桜木は少し大げさに僕をからかった。


桜木の言葉を聞いて、僕は一瞬たじろいだ……


〈ああ、確かにこうしたらますます誤解されそうだ……くそ!〉


それでも僕は自分の考えを貫き、ついでに彼女の言葉に乗っかって話を進めることにした。


「ダメなら結構です。後でまた勉強を教えてくれなんて言われても、今度は断りますから」


少し気まずかったが、真剣な表情でそう言い、差し出していた手をゆっくりと引っ込めた。


「あっ!ちょっと待って、別に拒否してるわけじゃないよ、そんなに焦らないで~」


小林は慌てて僕の手首をつかんだが、すぐに放し、そのまま固まってしまった。


「そうですか。じゃあ早く交換しましょう。手を挙げたままじゃ疲れます」


これは本心だった。それに、なかなか気まずい……


桜木も僕がここまできっぱりするとは思っていなかったようだが、それでも何やら意味深な笑みを浮かべ、スマホを取り出して僕と連絡先を交換した。


「それでは、小林さんは?」


僕は小林の方を見た。彼女はまだ席に座ったまま動かず、顔が少し赤くなっているだけだった。


「小林さん?」僕はもう一度彼女の名前を呼んだ。


「あっ!璃乃、松本くんが呼んでるよ。まださっきの手触りを思い出してるんじゃないの」


桜木は悪戯っぽい笑みを浮かべて小林をからかった。


「ち、違うよ!楓、何言ってるの、もう!」


小林は顔を赤くして桜木の言葉を否定した。


「はいはい、もういいから、早くしなよ。松本くん、手を挙げたまま疲れるってさ~」


また僕へのからかいだ。


「本当にやめてくれよ、なんでもかんでも冗談にしないで。小林さん、早くお願いします」


「あ、ああ、はい」小林は慌ててスマホを取り出し、僕と連絡先を交換した。


すぐに、スマホには二人の連絡先が追加された。名前とアイコンは、まさにギャルらしい感じだった。


「よし、二人で話し合って決まったら連絡してください。承諾するなら、その時に補習の時間と場所を決めますから」


そう言うと、僕は席を立ちトイレへ向かった。


「あ……はい」桜木と小林が一緒に返事をした。

正直なところ、彼女たちの補習の依頼については保留の態度だ。


だって、ギャルが普通こんなに向上心を持つとは思えない。十中八九、ただの楽しみを探しているだけだろう。


でも、調査と暇つぶしの目的から、僕は承諾した。


彼女たちが本当に補習をしたいのか、それともただの冗談なのかは、僕には関係ない。もう決定権は彼女たちに委ねたから。


……


最終授業のチャイムが鳴り、生徒たちは次々と教室を後にした。僕は教室の裏口に立ち、加藤を待っていた。


午後の授業についてはほとんど覚えていない。ほとんどがぼんやりしたり彼らを観察したりしていたから、ほとんど聞いていなかった。


あ、それと、授業が終わるとすぐにギャルコンビから補習についての連絡があった。だから、後で時間を決めて彼女たちに勉強を教えないといけない……


はあ、忙しくなりそうだ……


しばらくすると、加藤がカバンを持って出てきた。少し雑談を交わした後、二人で料理部へ向かった。


途中、僕は料理に関する様々なことや、何でもないことを加藤に興味深く尋ねた。


ただの普通の会話だったが、加藤はとても楽しそうで、この短い道のりですでに何度も彼女の笑顔を見た。


僕はこれについては触れなかった。最初に加藤と接した時と比べると、この変化は確かに著しいが、加藤本人は気づいていないようだからだ。


〈変だな、なんだか急に娘を育ててるような気分になってきた……〉


昨日知り合ったばかりなのに、どういうわけかそんな気がしてならない……


そう考えながら、僕は思わず笑い声を漏らした。


「どうしたんですか、松本くん……急に笑って……あっ、もしかして私、変なこと言っちゃいました?」


加藤の言葉は僕の笑い声で遮られ、彼女は怪訝な顔で僕を見つめた。


「ああ……いえ、別に。ただ、ちょっと嬉しいことを思い出して」僕は首を振り、適当にごまかした。


「そう……ですか……どんな嬉しいことか、聞、聞いてもいいですか?」加藤はさらに尋ねた。


「えっと……別に……えへん、加藤、ここだよね?」


少し気まずそうに加藤の質問を遮り、顔を上げると料理部の看板が見えた。


「はい、ここです」


加藤はまだとても疑問そうな様子だったが、それ以上は尋ねず、自ら調理教室のドアをノックした。


すぐに、ドアが開いた。


ドアを開けたのは、ショートヘアの女生徒で、おそらく料理部の先輩だ。


「あ、紗奈ちゃんじゃない。ようこそ!……えっと、後ろの子は……?」


「はい、橋本先輩ありがとうございます。こちらは一年A組の松本くんです。私の友達……私の……」加藤は嬉しそうに僕を紹介しようとしたが、突然言葉に詰まった。


これには僕も苦笑いし、すぐに口を開いた。


「こんにちは、橋本先輩。松本悠真です。加藤さんとつい最近知り合ったばかりの友達です」


加藤は僕がそう言うとは思っていなかったようで、顔を赤らめたが、目は少し輝いていた。


「おお~、そうなんだ。じゃあ松本くんも歓迎するよ。二人ともどうぞ入って」


橋本先輩は数歩下がり、手を差し伸べて中へ招き入れた。


「はい、ありがとうございます」僕はすぐに教室に入った。


「ええ……お邪魔します」加藤はまだ完全には元に戻っていなかったが、礼儀正しく挨拶した。


料理部には専用の部室がないので、調理教室を借りていた。


だが内部の環境は想像していたほど散らかっておらず、むしろ、使用する場所以外はほとんどピカピカに磨かれていた。


教室には私たち三人のほか、もう三人が何かを作っている最中だった。


「はいはい、みんなちょっと手を止めて。ちょっと話があるから」


橋本先輩が手を叩き、三人を料理の熱中状態から引き戻した。


「紹介するね。こちらは一年A組の松本くん。紗奈ちゃんの友達……」その言葉が終わると同時に、教室に拍手が起こった。


「こんにちは、松本悠真です。よろしくお願いします」


「それとついでに紹介しとくね。背が高くて、いかつくて優しそうな感じのこの子は、副部長の熊野平。メガネかけてて、なんだかチャラそうに見えるこの子は、部員の豊村南秀。背が小さくて、ハムスターみたいなこの子は四葉紀子。私は橋本彩愛って言う。あ、ちなみに、私たち全員二年C組だよ」


橋本先輩は一気に紹介したが、他の三人は彼女の表現にあまり納得していないようだった……


「ちょっと待ってよ、『いかつくて優しそう』って何だよ?」


「そうそう、なんでメガネかけてるだけで『チャラそう』なんだよ?」


「そうだよ!それに私だけ『背が小さい』って言うし、『ハムスターみたい』ってどういうこと?」


明らかに、三人とも非常に不満だった。


〈うん……他の二人については何とも言えないが、四葉さんがハムスターに似てるっていうのは……なかなか当たってる気がする……〉


だって、四葉さんの丸いほっぺは確かにハムスターっぽい。


「まあ~、だいたいそんなとこだよ、適当でいいじゃん~」彼らの発言に対し、橋本先輩はあまり気にしていない様子だった。


「『だいたい』じゃないよ、全然違う!」三人は同時に不満の声を上げた。


「なかなか……面白い部活ですね……」僕は思わずそう言った。


「ええ、ちょっと変だけど、みんないい人ばかりですよ」加藤がうなずいて応えた。


「はいはい、自己紹介くらいでそんなに真面目にならなくていいよ。これからやることあるんだから……」橋本先輩は相変わらずどうでもよさそうな態度だ。


〈この……なんかあの生徒会長に似てるな……〉


そう思っていると、ドアが開いた。


「おーい!彩愛、また遊びに来たよ!」


振り返ると、なんと本当に上野杏奈だった……


「また来たの?忙しいんじゃなかったの?」


どうやら橋本は上野をあまり歓迎していないようだ。


「あら、大丈夫大丈夫。もう仕事は彼女たちに任せたから……あらま、ここであんたに会えるなんて、松本くん、ほんと奇遇だね~」


上野はすぐに僕の存在に気づき、素早く近づいてきた。


「私がまだお腹空いてるの知ってて、料理部に食べ物作らせに来たんだね、ご苦労さま!」


料理部の一同は僕を驚いた目で見つめ、上野の言葉を真に受けたようで、こっそり何か話し始めた。


一方、加藤は最初驚いた様子を見せたが、すぐに慌てふためく様子になり、また元の状態に戻った。


その動作はとても小さかったが、しっかりと僕の目に捉えられた。


「いいえ、それは誤解です。ただ友達に誘われて来ただけで、先輩に会えるなんて、まったくの偶然です」僕は指をさして加藤を示した。


「おお~、そうなの?」上野はすぐに加藤に視線を移した。


上野に見つめられて、加藤の顔はまた赤くなった。


「そ、その……」加藤は何とかして上野を止めようとした。


「ん……まさか、君が彼の彼女?」上野はまたもや驚きの発言をした。


すでに上野に見られて顔を赤らめていた加藤は、この言葉を聞いてますます赤くなった。それでも彼女は自分を抑えて首を振り、その点を否定した。


「会長、加藤さんをからかうのはやめてください。私たちはつい最近知り合ったばかりの友達で、彼女なんてとんでもありません」僕はすぐに続けて話し、誤解を解いた。


「ええ~、つまんないなあ……」意外にも、上野は加藤をからかうのをやめ、代わりに橋本先輩にちょっかいを出し始めた。


「大丈夫ですか、加藤さん?」僕は加藤を見て言った。


「はい……だ、大丈夫です……ありがとうございます、松本くん」


加藤はどうやらすぐには調整しきれないようだったが、それでも僕に応えた。


〈やっぱり……この生徒会長はちょっとおかしい……〉


内心そうツッコミを入れる。


小さな出来事が終わると、私たちは本題に入り、ドラえもんが一番好きなもの——どら焼きを作り始めた。


育成と観察の必要性から、僕は自分が料理ができるという事実を露わにせず、初めて作るふりをして加藤に教えを請うた。


明らかに、この方法の効果は絶大だった。


加藤は驚くほど明るく自信に満ちた様子になり、同時に僕も欲しかった素材を手に入れることができた。


不慣れな手つきと、細部まで気を配る真剣さが、特別な雰囲気を醸し出していた。


僕は加藤の仕事を手伝い、彼女がどら焼きを一つ一つ完璧に仕上げるのを助けた。


すぐに、一つのかまどがオーブンに入れられ、美味しいお菓子になるのを静かに待った。


オーブンの前で、僕と加藤は中のどら焼きを見つめながら、何気ない会話を楽しんだ。


「そういえば、加藤さんは料理をしている時、普段と全然違いますね。すごく集中している様子は、まるでシェフの風格がありますよ」


「そ……そうですか……ありがとうございます、松本くん」


加藤はまだ頬を赤らめていたが、以前よりはだいぶましになっていた。


「そ……その……さっきは説明してくれてありがとうございました……でないと、私、どう説明したらいいかわからなくて……」


加藤は顔を赤くしながら、軽く頭を下げて感謝した。


〈説明?僕が彼女の友達だと言ったことかな?それは本当に……〉


「別に手伝ったわけじゃないですよ。今回は加藤さんが僕を誘ってくれたんですから、僕が説明するのが自然じゃないですか……でも、加藤さんが気にしないなら、僕と友達になってもらえませんか?だって、今のところ加藤さんとしかあまり親しくないんです」


加藤の心理状態はほぼ理解できたし、彼女がなかなかこの言葉を口にできないのもわかっていたので、僕から切り出した。


加藤は僕をぼんやりと見つめ、顔が一気に赤くなり、次第に緊張した表情に変わっていった……


「え……ほ、本当ですか?」加藤は自分の耳を疑っているようだった。


「嫌なら結構ですよ。無理にとは言いませんから」


「いえ……す、すごく嬉しいです、ありがとうございます、松本くん……」


加藤はとても嬉しそうに笑い、目尻に浮かんだ感動の涙を手で拭った。


「それでは、よろしくお願いします、加藤さん」

そう言って、僕は右手を差し出した。


「はい……よろしくお願いします、松本……松本……くん……松本さん……」


どう返せばいいかわからないようで、加藤はとても困惑している様子だった。


「無理しなくていいですよ、加藤さん。好きなように呼んでください」僕はそう加藤を慰めた。


「ええ……ありがとうございます、松本くん……」加藤も僕の手を握り、嬉しそうに笑った。


「あらあら~、私たち、邪魔しちゃったかしら?」


橋本先輩は私たちの様子を見て、突然からかうように声をかけた。


「いえ、別に変なことはしていませんよ。むしろ橋本先輩、どうして上野会長みたいに、人をからかうのが好きなんですか」


僕の鋭い反撃に、他の数人がうなずき、親指を立てて称賛してくれた。


「ふ~、やっぱり杏奈の言う通りだね。先輩に敬語使わないだけじゃなく、先輩に口答えするなんて、なかなか個性的だ」


「それでは、橋本先輩と上野会長のお褒めの言葉、ありがたく受け取ります」


これには橋本先輩も返す言葉がなく、仕方なく四葉先輩の胸に飛び込んで慰めを求め、「後輩にいじめられた」などと言い始めた。


他の数人は僕をますます尊敬し、何度も親指を立ててうなずいた。


「はいはい、よしよし、もう泣かないで~」


四葉先輩は背が少し低いが、意外にも母性愛に溢れていて、胸に抱かれた橋本先輩を優しくいたわっていた。


この光景を見て、みんな楽しそうに笑い出した。


ほどなくして、どら焼きが焼き上がり、香りがたちまち教室中に広がった。


「ん~、美味しい美味しい!紗奈ちゃんの腕前、すごいね!」


橋本先輩は満足そうに加藤に親指を立て、他の数人も称賛の言葉を並べた。


「はい!ありがとうございます、みなさん!松本くんはどうでしたか?」


加藤はうなずいて挨拶すると、心配そうな表情で僕の感想を尋ねた。


「ええ、味は良いですよ。とても美味しかったです」僕は心からの評価を伝えた。


「あ、本当ですか?ありがとうございます、松本くん!うふふ……」加藤はとても満足そうで、嬉しそうに笑った。


満面の笑みを浮かべる加藤を見て、僕はほっとしたように微笑んだ。


〈今日のこの活動は、きっと加藤に深い印象を残すだろう……料理の経験だけでなく、何より私たちが友達になったこと……〉


しかし、もう一つの疑問が僕の頭に浮かんだ。


〈こうなると、ますます気になる。いったい何が加藤をあんな風にしたんだ?あの日の表情とパニック……そして加藤の親友、佐藤西子……その中にどんな秘密が隠されているんだろう?〉


これらについては、とても興味はあるが、特に気にはしていなかった。


まだ時間はたっぷりあるし、僕のやるべきことは山ほどあったから……


〈あ、そうだ、帰ったら補習の時間と場所を決めないと……あのギャルコンビの性格からして、本気でやるとは思えないけど、やっぱり前もって考えておいた方がいいな〉


そう思うと、僕の思考はまた遠くへ飛んでいった。


「松本くん?どうかしました?」


加藤の声が僕を現実に引き戻した。


「いえ、別に。ただ、ちょっと考え事をしてただけです」


「そう……ですか……」加藤は少し気になったようだったが、結局は聞き出すことはできなかった。


……


その後、橋本先輩は残りのどら焼きを包んで生徒会へ持っていき、「上野会長の口を封じるため」と言っていた。


私たちは一緒に教室を後にし、学校を出る準備をした。


入り口で、四葉先輩たちに別れを告げ、加藤と僕は帰路についた。


「どうでしたか、加藤さん。今日は楽しかったですか?」


「ええ……すごく楽しかったです。今日の部活動、本当に嬉しかったです!」加藤は満足そうに笑った。


「そうですか。よかったです」僕は先を歩きながら、同じように微笑んだ。


「でも、一番嬉しかったのは……」


この言葉は加藤がとても小さな声で言ったので、僕には具体的な内容は聞き取れなかった。


「加藤さん、何て言ったの?」


「ううん……別に……」加藤は僕の歩調に合わせ、正面からは答えなかった。


夕日が私たちの影を長く引き延ばしていた……


短い沈黙の後、加藤がそっと口を開いた。


「松本くん……」


「ん?」


「……何でもない」また首を振ったが、今度は彼女の横顔が夕日の残照に柔らかく映っていた。


「ただ……今日が夢みたいだなって。西子にも見せたかったなって……」


その名前が再び出てきた。


僕はそれ以上は尋ねず、ただ歩調を緩め、風が私たちの間の沈黙をそっと吹き抜けるのを待った。


「彼女も、加藤さんのことを喜んでくれるよ」僕は最終的にそう言った。


加藤は振り返り、少し複雑だが、それでいてとても純粋な笑顔を僕に向けた。


「ええ……きっと喜んでくれる……今日は私の部活動に参加してくれてありがとう、松本くん。本当に、本当にありがとう!」


「いいえ、今日は僕も楽しかったです。あ、加藤さんがうっかりあんこを顔につけてたの、覚えてるよ……」


「そ、そんなこと……言わなくていいんです……」加藤は顔を赤くしてうつむいた。


「はいはい、もうからかわない。でも今日の加藤さんの活躍は本当に素晴らしかった。初心者なのに作ったどら焼きが意外と美味しかったし、この調子で練習を続ければ、すぐにお母さんに美味しいご飯を作ってあげられると思いますよ」


「はい、頑張ります。必ずお母さんに美味しいご飯を作ってあげます……」加藤は力強くうなずいた。


「よし、それじゃあ僕も加藤さんの活躍を期待してるよ。早くできるようになるといいね」


「はい、松本くんの励まし、ありがとうございます。頑張ります」


以前のような自信のなさはなく、加藤の変わりようは本当に驚くべきものだった。


〈あと少しで加藤も変わるだろう……〉


……


ほどなくして、僕は加藤と別れ、明日また会うことを約束した。


〈今日は本当に充実してたな……〉


沈みゆく夕日を見て、僕は一抹の寂しさを感じた。


「夕陽無限好、只是近黄昏……」僕はそう呟いた。


でも……


「太陽はまた昇るから」


人生も同じように……


素敵な時間がいつも続くわけじゃない。でも、一度でも存在したなら、それで十分なんだ。


そんな気持ちを抱きながら、僕は急いで家に帰り、今日の夕食の支度を始めた。


「ただいま!」


玄関から松本さんの声が聞こえた。仕事から帰ってきたのだ。


僕が言うのも変な話だが、一日中働いて帰ってきた松本さんに、僕はこう言った。


「おかえりなさい、お母さん!」

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