第3話 キャンパス生態の初歩的な観測

「おお、松本くん!」


教室の後ろドアに差し掛かった時、向こうからやってきた田中が声をかけてきた。


「田中くん、こんにちは」


「おーい、相変わらずクールだな」田中は冗談めかして言った。


〈そうか?普通だと思うけど……表情が乏しいからかな〉


「さっき別れてた子……彼女?」


田中は笑いを浮かべ、意味深そうに眉を動かして聞いてきた。


「いや、さっき知り合ったばかりで、B組の人だよ」


「へえ、松本もなかなかモテるじゃん」田中はからかうように笑った。


「それは田中くんの方だろう。もうクラスのみんなと打ち解けてるみたいだし、休み時間はいつも一緒にいるじゃないか」


僕も軽く返しておく。


「はは、自分から動かないとね」田中は相変わらずの笑顔で答えた。


「まあね」これ以上は深入りしない。


会話を終え、僕は自分の席へまっすぐ向かった。


田中もそれ以上は何も言わず、他のクラスメイトの方へ向き直り、賑やかに話し始めた。


〈やっぱり、田中みたいな人はあっという間に中心人物になる。もう一人は……〉


そう思いながら、反対側で注目を集めている冬雲の方を見た。


冬雲は何人かの女子たちと打ち解け、何か楽しそうに話し合っている。この距離では内容は聞き取れないが……


〈この二人がクラスの中心になっていくんだろうな〉


そう考えながら、クラスの他の人々を見渡した。


「はい、みんな席についてください」


高橋先生が教室に入ってきて、静かに着席するよう促した。


続く時間も、高橋先生は校内の諸連絡をし、その合間にはいくつかのクラブの先輩たちが教室を訪れ、クラスの雰囲気は何度も賑やかになった。


僕は特に入りたいクラブもなく、周りの人たちと適当に話をしていた。


そして、午後のメインイベントが始まった。


「それでは、これから仮のクラス委員を決めます。まずは委員長。立候補する人はいますか?」

先生の声が終わらないうちに、冬雲の手が挙がった。


「はい、いいですね。他には?」


どうやら、仮委員長を引き受けたいのは冬雲だけのようだ。


「では、冬雲さんに仮委員長をお願いしますね」


僕も周りに合わせて、冬雲に拍手を送った。


冬雲は皆の視線を浴びながら、簡潔な就任の挨拶をした。


その後も、他の仮委員の選出が続いた。


幸い、僕は何の役職にも就かず、内心ほっとした。


「はい、これで仮クラス委員は決まりました。選ばれた人は、責任を持って仕事をしてくださいね」


ちょうどその言葉が終わると、放課のチャイムが鳴った。


「では、今日のホームルームはこれで終わります。この後は大掃除です。具体的な仕事の割り振りと監督は冬雲さんに任せます。何か質問があれば職員室まで来てください。以上」


高橋先生はそう言うと、慌ただしく教室を出て行った。


「えっと……先生、どうしたんだろう?」


「さあ、急用でもあるんじゃない?」


クラスメイトが訝しげに話すが、皆は指示通りに大掃除を始めた。


大掃除が終わると、ほとんどの生徒は荷物を持って教室を後にした。


僕もその流れに乗り、教室を出た。


校門を出て、一度足を止めた。


〈まだ早いし、校内のクラブ活動でも見てみるか〉


そう思い、再び校舎に戻り、体育館の方へ向かう。


……


「こっちはバスケか……」


体育館の入口に着くと、熱気にあふれたバスケットボールの練習風景が目に飛び込んできた。


「よお!少年、バスケに興味が出たか?」


背後から突然、熱い声がかかった。振り返ると、体育着姿の女生徒が立っていた。


「いえ、その……ただ見に来ただけです」


「はは、それならさっさと中に入ってこいよ!近くで見た方が断然いいぜ」


彼女はそう言うと、僕の腕を掴んで体育館の中へ引っ張り込もうとした。


少し抵抗してみたが、彼女の手は強かった。


〈まあいい、どこみち見学するつもりだったし、案内役がいても損はないか〉


「おい少年、急に黙っちゃってどうした?」


彼女は歩みを止めず、そのまま話しかけてくる。


「せっかくの空気を冷ますんじゃねえよ」


「いえ、ただ考え事をしてました」


「お?何の考え事だ?」


少し興味を持ったらしく、振り返って僕を見た。


「あなた、先輩ですよね」


「ああ、そうだ。バスケ部副部長、二年B組の山上かっとだ」


「やっぱり」


「お?もしかして最初からわかってたのか?」


山上は足を止め、僕をじっくり観察するように見つめた。


「まあ、先輩の話し方や振る舞いから推測しました。一年生で、ここまで豪快で熱血な人はそういないでしょうから」


「はは、面白い見方だな!まあ当たってるよ。普段からこうだから、周りからの評価もお前の言う通りだ」


山上は僕の肩をポンと叩き、笑いながら言った。


「で、俺の提案を聞いてスポーツ系のクラブに入ってみる気はないか?」


「いえ、僕は結構です。普段の最大の運動は散歩ですから」


手を振って山上の誘いを断る。


「そうか、残念だな。ところで、お前一年生だよな?」


「はい、一年A組の松本悠真です」


「うーん……確かに落ち着いてるな。熱いスポーツには向いてなさそうだ」


「多分ね」僕は淡々と答えた。


「で、松本くんが来た目的は……?」


「たまたま見に来ただけです」


「マジで?何か隠してるんじゃないのか?」


山上は意味深な目で僕を見つめた。


「本当に見学だけです。時間が空いてたので」


「おーい!山上!早くこっち来いよ!」


向こうから誰かが山上を呼んだ。


「おう!今行く!」


山上も大声で返事をした。


「そんなら、勝手に見て回れよ。邪魔さえしなきゃどーにでもしてくれ。じゃあな!」


山上はそう言うと、すぐに走り去っていった。


「本当に漫画に出てくるスポーツ女子そのものだな」


山上の後ろ姿を見ながら、僕はそう呟いた。


「よし、とにかく見て回るか」


余計なことは考えず、クラブ活動の見学に意識を集中させる。


その後しばらく、様々なスポーツを眺めつつ、時折驚嘆の声を漏らした。


特に印象的だったのは、少し離れたグラウンドで田中らしき姿を見かけたことだ。どうやらサッカー部に入ったようだった。


一時間後、運動部の見学はひと通り終わった。


途中、いくつかのクラブから勧誘されたが、全て丁重に断った。


何しろ「生命は静止に在り」が、僕の大切な信条なのだから。


「よし、今日はこれで帰ろう」


ぐずぐずせず、僕はすぐにその場を離れた。


……


校門のところまで来た時、見慣れた人影が見えた。


〈あれは加藤じゃないか?まだ帰ってないのか?〉


内心で疑問が湧き、僕は足早に近づいた。


「加藤さん、まだ帰ってないんですか?」

声を聞いて、加藤は振り返ってこちらを見た。


「あ……松、松本くん……ちょうど良かった……また会えて」


「ええ、加藤さんの方はどうしてこんな時間にまだいるんですか?」


「あ、それは……先生に用事があって、少し遅くなっちゃって……」


加藤はそう説明したが、その表情はどこか奇妙に曇っていた。


「そうなんですか。じゃあ、一緒に帰りませんか?」


「えっ!?で、でも……いいんですか?」


加藤は明らかにこの提案を予想していなかった。


「もちろんです。加藤さんと僕の家が同じ方向なら、ですが」


そう言いながら、僕は自分の住む方角を指さした。


「はい……私もちょうどそっちの方です」


「じゃあ、一緒に行きましょう」


「うん……わ、わかりました……」加藤は慎ましくうなずいた。


こうして二人は並んで、家路を歩き始めた。


並んではいるものの、加藤は一度も口を開かなかった。


このままでも良かったが、沈黙と気まずさが限界に近づいたので、僕は何か話題を探すことにした。


「えーっと……加藤さんの家はここから遠いんですか?」


〈何て気まずい質問だ……最悪だ〉


表情には出さないが、内心では自分を猛烈にツッコミたくなった。


「うん……そんなに遠くないです……あと十数分くらい歩けば着きます……」


そして、場は再び沈黙に包まれた。


二人は交差点で信号を待っている。


〈まずい……完全に話題が切れた。どうしよう……〉


「そ、その……」


加藤が突然、静寂を破った。


「ん?どうかしました?」僕は内心、加藤が声をかけてくれたことに感謝した。


「松本くんは私を助けてくれたけど……一つ聞いてもいいですか?どうして松本くんは私を助けてくれたんですか?私みたいな、取り柄もないし、可愛くもないし、全然自信がなくて……」


加藤の声は小さかったが、とても頑張って話しているのがわかった。


〈なんで彼らはこんなに考えすぎるんだ……少し敏感すぎるんじゃ……〉


もちろん、面と向かってそんなことは言わない。


「そうですね、どうしてでしょうね?」とっさにどう答えればいいかわからず、彼女の言葉を繰り返すしかなかった。


僕自身もよくわかっていない。あの時の空気に流されて動いただけかもしれない。漫画の見過ぎで、つい主人公の気分になっていたのかも……


「僕にもよくわかりません。ただ、加藤さんを助けたかったから、かもしれません。あの時、加藤さんが困っているように見えたので、勝手に手を差し伸べることにしました」


僕は加藤の方を見ず、淡々と言った。


「それに僕は思うんです……純粋に人を助けたり、善意で接したりするのに、理由なんていらないんじゃないかって」


加藤の方を見て、僕は自分の考えを口にした。


「それに、さっき加藤さんが言っていたことには、あまり賛成できません。確かに、可愛いとか、自信があるとか、長所がたくさんあるとかは、人から羨ましがられるかもしれません。でも、それは他人の人生です。自分がどんな人になりたいか、何をしたいかは、自分で決めることです。誰にだって光る部分はあります。一番地味な水滴だって、朝日に照らされれば輝きを放つんです。だから、他人を羨む必要はありません。私たちには自分の生活があり、自分だけの人生があるんですから」


少し考えてから、僕はそう言った。


加藤は僕の言葉を聞き、呆然と見つめた。そしてすぐにうつむいたが、その一瞬、加藤の目が以前よりずっと輝いて見えた。


「そ……そうなんですね……松本くんって、本当に優しいんですね……」


「もし加藤さんが困っているなら、さっきの話は撤回しますよ」


「い、いえ……違うんです。困ってなんかいません……むしろ、すごく嬉しいです。松本くんが私の疑問に答えてくれたから……それに、松本くんは私に手を差し伸べてくれた二人目の人なんです……」


加藤は慌てて説明し、頬にほんのり赤みを帯びた。


「その話だと、加藤さんには信頼できるいい友達がいたんですね?」


僕は少し興味をそそられた。彼らの人間関係を観察することも、僕の調査テーマの一つだからだ。


「はい……確かに、一人いました……」


加藤は何かを思い出したように、突然少し悲しげな雰囲気を漂わせ、表情も次第に曇っていった。


「その友達に何かあったんですか?加藤さんが悲しそうなので」


加藤の傷に触れるかもしれないが、僕は質問した。


加藤はすぐには答えず、ただ寂しそうにうつむいたままだった。


「もし僕の言葉で加藤さんを傷つけたなら、謝ります」


「いえ!大丈夫です……松本くんのせいじゃありません。私が勝手に悲しいことを思い出しただけです」


加藤はすぐに手を振って説明した。どうやら周りの人の言葉や感情に非常に敏感なようだ……


「実は……その友達は、もうここにはいないんです……」


「ああ、引っ越したんですか?」


加藤はうなずいた。


「佐藤西子って言うんですが、私の一番の親友でした……」


次の数分間、加藤は自分の過去と佐藤との関係を簡単に話してくれた。


「それで……西子の両親が仕事の都合で、西子を連れて引っ越しちゃって……」


「つまり、加藤さんと佐藤さんは偶然をきっかけに友達になり、その後彼女が家庭の事情で引っ越したから、加藤さんは再び今の状態に戻った、ということですね?」


「はい……」加藤はかすかにうなずいた。


「わかりました。じゃあ、加藤さん、二人はどんなことがきっかけで友達になったんですか?加藤さんの話では、前から知り合いだったようですが、何かがきっかけで親友になったんですよね?」


加藤は答えず、ただぼんやりとその場に立ち尽くした。顔には先ほどの表情はなく、代わりに強い恐怖に駆られたような、パニックに近い表情が浮かんだ……


「加藤さん?加藤?」


僕は加藤の反応を見て、思わず手を伸ばして彼女を揺さぶった。


「あっ……ごめんなさい、急にいろいろ思い出しちゃって……すみません……」


加藤は元の様子に戻り、再びうつむいた。


「大丈夫です。加藤さんが答えたくなければ、それで結構です」


加藤も感謝の意を込めてうなずいた。


「あの……私の家、もうすぐなんです……」


加藤は少し離れた一軒家を指さして言った。


「あ、そうですか。じゃあ加藤さん、早く戻ってください。ご家族を待たせちゃいますよ」


「はい……今日は松本くん、一緒に帰ってくれてありがとうございました」


「どういたしまして、偶然同じ方向だっただけですから。じゃあ、また。さようなら」


僕は加藤に手を振り、背を向けて歩き出した。


……


〈感じ……加藤は何か嫌な経験をしたことがあるみたいだ……さっきの反応を見ると、彼女にかなり影響を与えている。そして、その事件がきっかけで、彼女と佐藤は親友になったんだろう〉


帰り道、僕は加藤の言葉をずっと考えていた。


〈でも……今はもう大丈夫なんだろう、加藤も普通の生活に戻っているし……〉


考えれば考えるほど、疑問が湧いてきた。いったいどんな事件が、それまで無関係だった二人を親友に変えるのだろう?


あるいは、どんな出来事が二人を結びつけるのだろう?

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