第2話 予想外の出会い

高橋先生の解散宣言と同時に、教室は一気に活気づき、生徒たちはそれぞれの方向へ動き出した。


何人かは教室を出て行き、また何人かは残って談笑している。


一方僕は、少しの空腹を感じたことと——お弁当を作り忘れたという、とても単純な理由で、購買部へと向かうことにした。


「確か、あっちの方だったはず……」


そう思いながら歩を進めると、階段の角で、一人の女生徒とばったりぶつかってしまった。


「あぅっ……!」


女生徒は抱えていた書類を床に散らばらせ、そのまま尻もちをついた。


「すみません、前を見ていなくて」


謝りながら、僕は彼女を手で立ち上がらせた。


「いいえ、私も荷物が多くて前が見えていませんでした」


彼女は立ち上がり、手を振ってこちらの謝罪を受け流し、逆に申し訳なさそうに頭を下げた。


僕も改めて謝りつつ、散乱した書類を拾い集めた。ちらりと目を通すと、ほとんどが生徒関連のものらしく、先生の手伝いをしているのだろう。


「あ、その……お手を煩わせてすみません。私が不注意で……」


彼女はそう言いながら、僕が手に取った書類を慌てて受け取る。


「いいえ、僕がぶつかったせいで落としたんです。手伝わせてください。でないと気が済みません」


「そ、それじゃ……ありがとうございます……」


彼女は感謝の意を込めてうなずき、僕は礼儀笑顔で応えた。


二人であれば、書類はあっという間に全て元通りになった。


「届け先まで運びましょうか?」僕は社交辞令を口にした。


「大丈夫です!拾っていただけただけでも本当に助かりました。あとは私でなんとかします!」


彼女は書類を抱え直し、首を振って丁寧に断った。


「わかりました。それじゃここまでで」


「はい、改めてお礼を言います。ありがとうございました!」


「どういたしまして。では、失礼します」


手を振り、背を向けようとしたその時、


「あ、あのっ!」


「何か?」


足を止め、振り返る。


「お名前、伺っても……?」


「松本悠真です。一年A組に在籍しています」


「あ、私は鈴木音です。一年C組です」


「そうなんですか。先輩かと思っていました。よろしくお願いします、鈴木さん」


「は、はい。松本くん、よろしくお願いします」


鈴木は軽く会釈し、笑顔を返してくれた。


「もし何か落とし物があれば、一年A組まで来てください」


「はい、ありがとうございます、松本くん!」


鈴木は礼儀正しくうなずいた。


「それじゃ、お仕事頑張ってください」


「はい!では、またどこかで……」


「ええ、また」


そう言って鈴木は小走りに去っていった。


その後ろ姿を見ながら、僕は思わず笑みが漏れた。


「本当にアニメそのままだな。エネルギッシュだ」


……いや待て、なんで俺の思考まで軽小説の主人公みたいになってるんだ?


まあ、文化の影響ってやつは大きいな……


「よし、とにかく早く食べ物を買おう」


余計な考えは捨て、購買部へ急ぐ。


……


「ごめんねー、もう売り切れだよー!もしどうしてもって言うなら、このパンだけだね」


購買部の優しそうなおばさんが、残酷な現実を告げた。


「……わかりました。そのパンをください」


諦めの入った声で代金を支払い、残りたった一つのパンを手にした。


パンを片手に、学内で食べられる場所を探す。


「アニメでよくあるけど、本当にあのパン一つでお腹いっぱいになるのかな?」


歩きながら、そんな疑問が頭をよぎった。


別にこだわりはないので、適当に静かな場所を見つけて食事を始めようとした。


その時、「どうして……私の作ったものって、こんなにまずいんだろう……」


近くで、ショートヘアの女生徒が小さな嘆息を漏らした。


どうやら、自分で持ってきたお弁当に満足していないようだ。


だが、他人に干渉するつもりはなかった。資格もなければ、その気もなかったから。


「何回も練習したのに、やっぱり失敗しちゃった……」


彼女は再び無意識のうちに呟き、僕の存在には全く気づいていない様子。


少し考えた後、僕は彼女に声をかけることにした。


「あの……よろしければ、これ、どうぞ」


「ひゃっ!? あ、あの……ど、どちらさまですか……?」


彼女は顔を上げ、驚きの声をあげた。表情には幾分かの動揺が見える。


「あ、僕は松本です。さっき、お弁当に困っているように見えたので、声をかけてみました」


「あ、ありがとうございます!私、加藤紗奈です……そ、その、お気遣い、本当にありがとうございます!」


「どういたしまして。もしよければ、これを受け取ってください」


僕は手に持ったパンを差し出した。


「で、でも……松本くんもまだ食べてないですよね?そ、それに、これだけしか……」


「大丈夫です。僕はあまりお腹が空いてないし、放課後にまた何か買いますから」


実際のところ、このパン一つでは足りないので、むしろ良い人情的きっかけになったと思った。


パンを無理やり加藤の手に握らせ、僕はその場を離れようとした。


「あ、あのっ!よ、よかったら、一緒に……食べませんか!?」


加藤は立ち上がり、僕の背中に向かって声を張り上げた。


「いいんですか?加藤さんは、人と一緒にいるのがあまり慣れていないようだし、ここには友達もクラスメイトもいないみたいだし。それに、さっきの様子からしても、加藤さんは人と話すのが得意じゃなさそうですよね」


図星だったのか、加藤はうつむいた。


しかし、しばらく考え込んだ後、再び僕を見上げて言った。


「そ、そうです……私、確かに人と話すのはあまり得意じゃありません……で、でも、松本くんは違います。だって、私を助けてくれましたから」

そう言い終えると、加藤はまたうつむき、頬にほんのり赤みが差しているように見えた。


〈これが助けたことになるのか?中国だったらごく普通のことなのに……まあ、今は中国にいるわけじゃないか〉


文化の違いを痛感し、内心でそう呟いた。


「わかりました。加藤さんが気にされないなら。隣に座ってもいいですか?」


「あ……あっ!は、はい!ど、どうぞ、お座りください!」


加藤は一瞬ぽかんとしたが、やがて微笑みを浮かべ、慌てて体をずらし、座る場所を手で示した。


「じゃあ、お邪魔します」


そうして二人は並んで座り、パンを半分に分け、質素な昼食を共にした。


座ってから、加藤は静かにパンを食べていたが、時折こっそりと僕を覗き見ては、まだ何か言いたそうにしていた。


「加藤さんは何組ですか?」僕が沈黙を破り、加藤の言葉を先回りして聞いてみた。「ちなみに僕は一年A組の新入生です」


「ま、松本くんが一年生なんて……意外です!私は一年B組です……」


「え?もしかして加藤さん、僕のことを先輩だと思っていた?」


「え、ええ……だって、松本くんって、すごく頼りになる感じがするから……つい、上級生の先輩だと思っちゃって……」


「それは褒めていただいてありがとうございます。残念ながら、先輩ではありませんけどね」


〈話し方もますますアニメの主人公みたいになってる……〉


「うん……松本くんが先輩かどうかは関係なく、私を助けてくれたことには、本当に感謝しています」


加藤は僕を見ず、ほのかな笑みを浮かべてそう言った。


「感謝の言葉は一度で十分です。加藤さんの気持ちは伝わっていますから」


加藤は今度は何も言わず、そっとうなずいただけだった。


「そういえば、加藤さんはお弁当を持ってきていたのに食べていませんでしたね。何か問題でも?」


その質問に、加藤の顔は一気に真っ赤になり、恥ずかしそうに僕を一瞥すると、すぐまたうつむいた。


「えっと……もし僕の言葉で加藤さんを傷つけてしまったなら、謝ります」


そう言いながら、僕は軽く頭を下げて詫びた。


〈なんで俺の行動までどんどんこっち流になっていくんだ……〉内心でツッコミを入れつつ。


「い、いいえ!怒ってなんかいません……ただ、ちょっと恥ずかしくて……だって、みっともないところを松本くんに見られちゃったから……」


「みっともないところ?お弁当を見られたこと?」


「はい……だって、これで五回目のお弁当作りなんです……いつもまずくて、それが松本くんにバレちゃったから、恥ずかしくて……」


加藤は説明しながら、さらに頭を深く垂れた。


「ああ……すみません、僕のせいで加藤さんを困らせてしまいました」


もう一度謝罪の意味を込めて頭を下げる。


「そんなことない!全然困ってないです。むしろ、松本くんが助けてくれて感謝してます……」


加藤は慌てて顔を上げ、手を振って誤解を解こうとした。


「そうですか?それなら良かったです」僕はゆっくりと頭を上げた。


「はい、はい!そうなんです!」加藤は忙しなくうなずいた。


「ところで……説明してくれなかったら、これが失敗作だって僕にはわからなかったと思うんだけど?」


思わず本音の疑問を口にした。


加藤は少し呆然とし、その矛盾に気づくと、ますます恥ずかしそうに顔を伏せた。


「ごめん、ただの冗談です。でも、たとえそうだとしても、別に恥ずかしがることないですよね?普通のことじゃないですか」


少しフォローしつつ、加藤の話の流れに沿って言ってみた。


「……普通?」


加藤は明らかに困惑し、僕の言っていることが理解できない様子だった。


「そうです、普通です。加藤さんは、料理の経験がそんなに多くないんでしょう?それでも自分でお弁当を作ってみようとした。その勇気と行動力だけで、もう十分すごいですよ。僕なんて、購買のパンで昼食を済ませるしかないんですから」


加藤は顔を上げ、目には少し光が宿っているように見えた。


「ほ、本当……ですか?」


まだ自信なさげな口調だが、さっきよりはマシだ。


「本当です。少なくとも、その勇気と行動力は僕にはありません」


口ではそう言いながら、内心では別の思いが巡っていた。


〈やっぱり彼らの文化は理解しきれないな。ただのお弁当なのに、まるで宝物みたいに人に見られるのを恐れて、そんなに恥ずかしがるなんて……〉


「練習を重ねれば、きっとすぐに上達しますよ」表情を変えず、言葉では励まし続けた。


「はい、わかりました。ありがとうございます、松本くん!」


加藤は微笑みを浮かべ、うなずいて感謝の意を示した。


「どういたしまして。お役に立てたなら」


その後、僕は加藤と適当に会話を続けた。


「そういえば……加藤さんはなんで自分でお弁当を作ってみようと思ったんですか?」


とても聞いてみたかった質問を投げかける。これは今、僕が調査している文化の観点の一つでもあった。


加藤は一瞬固まり、それから俯き加減にゆっくりと話し始めた。


「だって……お母さんに、私が作ったご飯を食べてもらいたくて……お母さんにも、誰かに大切にされているって感じてほしくて……」


そう言いながら、加藤は自然と笑みを浮かべた。


「そうなんですか……加藤さんは本当に優しいですね。加藤さんのお母さんも、きっととても優しい方なんでしょう!」


口ではそう言いながら、心の中では遥か遠く、中国にいる家族のことを思い出していた……


生活が落ち着いてからは、ネットを通じて家族と連絡は取れるようになったが、最初は「心ない詐欺師が傷口に塩を塗るつもりか」と、とても憤慨されていた。


しかし、彼らに関する細かい事実を正確に伝えると、ようやく僕の言葉を信じてくれた。


それ以来、ネットで連絡を取り合い、時折メッセージを送ったり電話をしたりして、互いの寂しさを紛らわせている。


とはいえ、所詮はネット上のつながり。現実と比べれば、その隔たりは非常に大きい……


彼らは「日本に引っ越そうか」とまで言い出したが、僕の説得でそれは思いとどまってもらった。もし本当に来てしまったら、どれほどの困難が待ち受けているかわからない。


その代わり、将来仕事が安定したら、必ず中国に帰って会いに行くこと、そして自分自身の思いを確かめることを約束した。


彼らは「帰ってきたら中国に残れ」とも言ったが、僕は断った。


もし本当に帰って戻ってこなかったら、松本さんはどうなる?自分の幸せのために他人の幸せを奪うことなど、僕にはできなかった。


彼らは少し不満そうだったが、それでも僕の選択を渋々認めてくれた。


実は、松本さんも一緒に中国に連れて行くことを考えたこともある。しかし、その考えは一瞬で消えた。


転生のことを説明する方法がないのはもちろん、生活習慣や文化の違いだけを見ても、松本さんにとっては非常に困難なことだろう。


だから今の僕は、新しい生活を送りながら、この転生の原因を探りつつ……


「はい、お母さんはずっと私のことを愛してくれています!小さい頃から友達が多くはなくて、いつも一人でいることが多かったけど……お母さんはいつも私を励ましてくれて、たくさんの勇気と支えをくれました。だから、こっそり料理の勉強をして、いつかお母さんに私が作ったご飯を食べてもらいたいって思ってたんです」


加藤の顔には笑顔が溢れ、その幸福感は明らかだった。それがまた、遠く離れた家族への思いを強くさせた。


「加藤さんのお母さんがそれを知ったら、きっととても喜ぶと思いますよ」


加藤を励ますと同時に、僕自身にもそう言い聞かせた。


いつか中国に帰り、彼らと再会する日のことを願いながら……


「はい、だからこそ、松本くんには本当に感謝しています。助けてくれただけじゃなくて、すごく勇気をもらいましたから」


「そんなに褒められると、天に舞い上がっちゃいますよ」


軽くジョークを飛ばすと、加藤は口元を押さえて楽しそうに笑った。


最後の一口のパンを口に放り込み、僕は加藤に別れを告げてその場を離れようとした。


加藤はそれに気づいたのか、僕の服の裾をそっとつかんだ。


「どうしました?加藤さん」その行動の意味がわからず、尋ねた。


「あの……今日は、私に声をかけてくれて、助けてくれて……本当に、本当にありがとうございました!」


加藤は立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。


「いいえ、大したことじゃありません。他の誰かが見ても、きっと手を差し伸べたと思いますよ」


「で、でも……それでも、松本くんには感謝したいんです。だって本当に助けてくれましたから……」加藤は感謝の言葉を繰り返した。


「はい、加藤さんの感謝の気持ち、しっかり受け取りました。他に用がなければ、そろそろ教室に戻りますね」


これは本心だった。この季節、外は結構寒いのだ……


「あ、はい!今日は本当にありがとうございました!」


加藤はそう言ったが、その表情には一瞬、寂しげな色が浮かんだ。


「さっきも言いましたけど、感謝の言葉は一度で十分です。でも、今日は僕も加藤さんに感謝してます。だって、ここには友達もあまりいないし、こうして充実した昼休みを過ごせたことは、とても満足していますから」


僕の言葉を聞き、加藤は明らかに驚いたように見えたが、やがてまた笑顔を見せ、すぐにうつむいた。


「それじゃあ、こんなところで。加藤さん、何かあったら一年A組まで来てください。僕はちょっと用があるので、これで失礼します」


もう一度手を振り、その場を離れようとした。


話したくないわけではないが、外の気温がそれを許さなかった。


「あ、あのっ!」


加藤の声が再び背中を追いかける。僕は足を止め、彼女の方を振り返った。


「加藤さん……まだ何か?」


「そ、その……お名前を、教えてください!」


加藤は僕の前に歩み寄り、恥ずかしそうに少しうつむきながら尋ねた。


そう言われて初めて、僕が名前を最後まで告げていなかったことに気づいた。


「あ、すみません、うっかりしてました。松本悠真です。僕の名前は」


「はい、ありがとうございます、松本くん!」


何か大切なものを手に入れたかのように、加藤は再び笑顔を見せた。


僕はうなずいて応え、改めて別れを告げてその場を後にした。


「松本くん……私も教室に戻るので、よかったら一緒に……行きませんか?」


背後から加藤の慎ましい声がかかった。


振り返ってうなずき、僕は加藤と並んで校舎へと歩き出した。


しばらくして、教室の前まで戻ってきた。


「今日は本当に、松本くん、ありがとうございました!」


加藤はもう一度、深々と感謝を伝えた。


「どういたしまして。今日は僕も楽しかったです」


同じように軽く会釈して返す。


「じゃあ、教室に戻ってください」


「はい!それじゃあ、またね、松本くん」


加藤は笑顔で手を振り、教室に入っていった。


僕も手を振り返し、自分のクラスへと向かった。

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