第2話 越えられない壁

 そのとき、私は時間に遅れそうになり、学院の回廊を思い切り走っていた。他の生徒はもう集合場所に行ってしまっているので、誰もいないと思って全速力で走っていたのだが、回廊のまがりかどで出会い頭に誰かとぶつかり、私は思い切りはねとばされるような形で尻餅をついた。

 相手は浅葱色の制服を着た男子生徒だった。胸には銀色のバッジ。

 まずい、と私は咄嗟に思った。浅葱色の制服は、魔法科。この世界では、貴族は魔法を使い、平民は魔素術を使う。つまり、魔法科に在籍するのは貴族ということだ。

 今住んでいる国には貴族制度があり、貴族相手にまずい立ち回りをすると、平民は生命の危険を心配しないといけない。前の人生ではそういうものが薄い国に住んでいたし、この世界で生まれ育った場所もそういうのがあまりない場所だったので、王都に出てきてそういうものによく接するようになった後もなかなかなじめずにいた。

 なので、私はなるべく貴族に近寄らないように気をつけていた。貴族は平民とは人間の種類が違うのだといって、こちらを人間扱いしないものだと耳にたこができるほどきいたから。

 ただ、学院の中では貴族と平民の別はないということに建前上はなっているので、対応をちょっと間違ったくらいでは命を取られることはない、と信じたいのだけど、相手がつけている銀色のバッジは相手が2年生であることを意味し、つまりは上級生で、そんなのにぶつかってしまい、もうこれは詰んだかもしれない。

「あのっ、すみません」

 腰を直角に曲げ、頭を下げる。すると、向こうが言った。

「ごめん、気がつかなかった。大丈夫?」

 私はゆっくりと頭を上げた。銀髪で、超絶綺麗な顔立ちをしている男子がそこにいた。

 彼は穏やかに笑みを浮かべながら言った。

「ごめん、本当に」

「すみません、こちらこそ。あの、私、急いでるんで」

 すぐに立ち去ろうとしたが、もう一人別の声がした。

「落ちてるよ、そこ」

 もう一人、これまたモテそうな男子が、さっきの男子の少し後ろにいた。こっちは明るい茶色の髪をしていて、陽気そうな雰囲気をしていた。その彼が指さす先を見ると、キュロットのポケットに入れていたキーホルダーが床に落ちていた。キーホルダーは学院の門を通るために使うため、入学時に生徒全員に配られたものである。

 私にぶつかった方の男子が、私がキーホルダーを拾い上げようとする前にそれをつまみあげて私に渡してきた。

「落ちた衝撃で割れたかな」

 キーホルダーにはごく小さな鏡がついているのだが、それが割れていた。私にはかなりのショックだった。三日前にもらったばかりなのに。

 ショックで言葉も出ない私をよそに、先輩たちは会話を交わしている。

「これって、職員室に言ったら新しいのに交換してもらえるのな」

「してもらえるかもしれないが、ペナルティがあるかもな」

 そうかもしれない。入学式の後にこれは配られたのだが、確かに先生はくれぐれも大事に扱うように、と言っていた。なくさないようにしないと、と思って、いつも確認できるようキュロットのポケットに入れていたのだけど、それが仇になってしまうとは。

「とりあえず、急いだら。新入生のオリエンテーリング、出発時間はもうすぐだろう」

 銀髪の彼に言われ、私はもう一度軽く頭を下げて、走り出した。本当は廊下を走ってはいけない。わかってる。でも、走らないと。

 集合場所は、回廊を抜けた先の噴水の周りだった。噴水の手前に私が所属する魔素術科の臙脂色の制服が固まっている。噴水の向こうに、浅葱色の制服の一群が。といって、浅葱色は臙脂色と比べると三分の一くらいの数しかいない。

「あーっ、シホちゃん、待ってたよ!」

 手を挙げながら声を上げているのは、同じ中等学校から上がってきたマリちゃんだ。ふわふわの橙色の髪が、日の光を受けてきらきら光っている。

「もう、本当に心配したんだよ。シホちゃん、いつも時間を守っているのに、来ないから」

「あー、うん。本当、心配かけてごめん。ちょっとやっておきたいことがあったからさ」

 そんな風に話をしていると、

「お前らって、同じ学校から上がってきたのか?」

 と、傍にいたクラスメートの男子が話に入ってきた。ゼンタという、少しばかり肩幅が広すぎる男子だ。肩幅以外は普通なので、プロポーションが少しアンバランスなことになっている。

「うん。北北森から来たの」

「うええ、そんなとこから?」

 北北森は一応王都の城壁の中にはあるが辺縁で、城壁の外にある副都心の方が王城には近いと言われるほどの場所にある。

「もしかして、寮生?」

「私はね。北北森でも城壁の傍だから、通うのは大変だろうって」

 高等学院は国に十校しかない。高等学院がない地域出身の子たちのために学院には寮があるのだ。そして私は、今言ったような理由で寮に入っている。魔素術で移動すれば簡単に通えるけれど、町中でそんなことをするなと周りの反対に遭い、あきらめたのだった。

 ゼンタはマリちゃんに訊く。

「お前は?」

「私は近くに親戚の家があるから、そこから通っているの」

「あー、そっかー。そうでもなきゃ難しいよなあ。おっ、向こうが動き出したぞ」

 ゼンタが、噴水の向こうにいた魔法科の子たちを見ながら言った。教師が数人集まって各々杖を掲げ、そしてその間に光が集まる。魔法科の生徒たちはその光の中に歩を進め、そして次々とその姿が消えた。

「あれって、転移陣?」

 初めて見た。存在ばかりは有名なのだけど、如何せん魔法使いの中でも使える人が少ないらしくて、平民が市井で普通に生活していたのでは見る機会はまずない。

「そうみたいだな。いいよな、お貴族様は。オリエンテーリングの場所までああやって送ってもらえてよ」

「仕方ないでしょ、魔法科は場所が遠いんだから」

 マリちゃんが言う。魔法科のオリエンテーリングは王都の城壁から見ても霞んで見えるようなテッサ山脈を越えた先にある森で行われるときいている。歩いて行くと数日かかる距離だ。

「そうだけどさ。俺らだってそんなに近いわけじゃないじゃん」

 魔素術科のオリエンテーリングの場所は王都の近くの森。魔法科と比べると遙かに近いけど、王都自体が広く、そこを出るまでにも時間がかかる。私たちの移動には、馬車が使われることになっている。

「おい、おしゃべりはそろそろよせ。魔法科が出発したら、次は俺たちだぞ」

 同じ班のクロウが話しかけてきた。彼は入学前の説明会のときから目立っていて、魔素術科の一年では既に有名人だった。何で目立っていたのかというと、一言で言うと「見た目」。黒い髪にきりりとした眉、身長もありながらガタイもそれなりによく、男前、という感じだ。

 私はオリエンテーリングで彼と同じ班になるとわかった瞬間に、リーダーは彼に任せよう、と決めた。旗印として皆が納得すると思ったからだ。

 クロウをリーダーにすることに反対したのは、というか賛成しなかったのは、クロウ本人とマリちゃん。マリちゃんが反対したのは意外だったけど、最終的には賛成してくれた。

 クロウ自身はリーダーに選ばれたとき渋面を作っていたけど、もともと面倒見がいい性格だったらしく、いろいろてきぱきと動いてくれている。今も皆に声かけをしていて、私は有り難くそれに従った。

 そうしている間に、浅葱色の制服の子たちは全員がいなくなった。移転完了というわけだ。

 そして、私たちが移動する番がきた。

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