第4話

 午の仙人が次に頼んだのは鍋だった。これもまた事前に電話か何かで予約されていたと見え、彼が実際に口にしたのは「次の鍋を」という短い文言だ。若竹煮、麻婆豆腐と続いた現状で、次の料理を読み切るのは至難だろう。ただ単に鍋だと言われても無数に種類が存在するだけに、趣味として料理が好きな私でも彼が頼んだ鍋料理にはまったく心当たりがなかった。

 麻婆豆腐を食べ終わるころ、食べ終わった大皿と引き換えに件の鍋が提供される。最初にカセットコンロが置かれ、その上にある程度の火が入れられた鍋が置かれた。ちらりと覗き見ると、鍋の中は渦で支配されているように見える。白と明るい緑の緻密な渦の間を埋めるように、灰色の筋が渦を巻いている。いわゆるミルフィーユ鍋というやつだろう。白菜と豚肉の他には味付けとして塩を入れるくらいで、追加の具材は何も加えない。味を重ねようとするなら幾らでも方策はあるだろうが、この料理は2種の食材の地味を味わうものだ。


「せっかくですから、鍋は一緒に食べませんか」

「ええ、わかりました。頂くことにしましょう」


 例によって大人数用で届いた鍋から自分の器へいくらかの具材をよそい取った午の仙人だったが、彼はふと私が最初に頼んだ若竹煮が空になって久しいのを見て、自分の器を私へ差し出してきた。私はといえば話に夢中で自分の皿が空になっていたことも意識しておらず、今更になって別の料理を注文するのも間が悪かったために、断る理由が無かった。実のところ、おいしそうだったというのもある。


「ん、酸っぱい? 酢で煮ているにしては刺激が少ないから、白菜が漬物なのでしょうか」

「ご名答です。大陸に酸菜という名の漬物がありまして、それは白菜を塩漬けにして乳酸発酵させたものです。こちらにも同様にして漬け込む漬物はありますが、酸菜の場合はそのまま食べるというより、鍋の具材として加えたり調味料として刻んだものを使ったりすることが多いようですね」

「ミルフィーユ鍋のように仕上げてもらいましたが、本来は酸菜鍋、あるいは酸菜白肉鍋という料理です。他にキノコや豆腐を加えてもおいしいのですが、この酸菜をおいしく食べようとするなら、この食べ方が最適だと思います。豆腐はさっき食べましたしね」


 馴染みの薄い食材だったために、大将がすぐに酸味の正体を教えてくれた。午の仙人もまた、大陸で食べた経験があるのか、酸菜の食べ方について補足してくれる。鍋の具材として使われている酸菜は漬け込み時間が少ないのか、塩漬けとしても塩味はそれほど強くなく、酸味も爽やかだ。こちらで言うところの浅漬けが近い表現だろうか。

 酸菜よりは少ないが、間に挟まれた豚肉もたっぷりと仕込まれている。使われているのはバラ肉で、旨みのある脂が全体に絡みついて良い味を醸していた。他の食材を加えていないために、ともすれば豚の脂によって食傷してしまいかねないが、酸菜を噛み締めるたびに湧き上がる涼やかな酸味が脂を舌から流してくれる。

 私は控えめに、午の仙人の彼は豪快に、鍋を食べ進めていった。そして半ば食べ終わったところで後から加えられたのは、半透明でつるつるした麺状のもの、春雨だ。こちらでは鍋の具材として少量入れる程度だが、大陸ではこういった春雨を主食にしているところもあると聞く。春雨もいいけど、うどんも合いそうだ。煮詰めた時の酸味次第では白米を入れて雑炊という手もあるだろうか。


「普段はひとりで食べることが多いのですが、こうして他の人と食べるのも良いものですね」

「ええ、昔は鍋というと一人用の食事形態だったようですが、私はやっぱりこうして何人かで同じ鍋をつつく方がしっくりきます」

「文化の変遷、ですねえ」


 しんみりと、どこか寂しそうな表情を浮かべた午の仙人は、その表情にそぐわない速度で春雨を啜り込んでいった。結局、鍋の八割方も胃に収めてしまった彼は、ジョッキ入りの焼酎を飲み干して立ち上がる。


「やあ、すっかり食べてしまいました。身体も温まって、帰りは凍えずに済みそうです」

「まだ少し鍋が残っていますが、具材だけでも包みましょうか?」

「ああ、いえ、鍋の残りは食べちゃってください。陰陽師の彼も、まだ食べられるでしょう?」


 確かに私は店に来てから通常サイズの若竹煮と、酸菜の鍋を少しつまんだだけで、ほとんど食べていないと言っても過言ではなかった。煮過ぎを防ぐためにカセットコンロの火を落とした私は、支払いを終えて店を出ていこうとする彼の方へ身体を向ける。大将は支払いの勘定を終えるとすぐに厨房から出てきて見送りへ向かった。


「ごちそうさまでした」

「毎度ありがとうございます。またよろしくどうぞー」


 入ってきた時と同様に身をかがめて店を出ていった彼は、見送る大将に挨拶をするために振り返って、律儀にも礼をする。そのとき、彼と目が合った私は小さく手を振って挨拶の代わりとする。

 店の引き戸が閉まり、外からの寒風が収まると、店内の雰囲気がどことなくほっとした。彼に威圧感があるというわけではないが、やはり歳神を店内に迎えるというのは緊張するものだ。私も少なからず緊張したが、何よりもてなす立場である大将が一番緊張したことだろう。

 大将が厨房へ戻っていくのに合わせて姿勢を元に戻し、午の仙人からたくされた鍋の残りをさらおうとした私だったが、すぐに鍋の中の異常に気付く。


「あれ、大将、鍋の具材、追加しました?」

「え、いや、見ていた通り、仙人さまのお勘定とお見送りで手一杯でしたよ」

「とすると、これは……仙術?」


 私がカセットコンロの火を落とした時は、確かに鍋の中には半人前程度の食べ残しがあっただけだった。それが、今は白菜も豚肉も明らかに増えている。それだけなら気のせいで済ませられるかもしれないが、確実に異なる変化としてうどんが加えられていることが挙げられる。

 厨房から再び出てきた大将は、仙術によって変化した鍋をしげしげと眺めていた。そして私に断りを入れつつ、取り皿に少量の具材をよそって口にする。


「お、これはいけますね」

「ええ、味付けはそのままに麺がうどんになっただけですが、歯応えのある麺のおかげで春雨とはまた違った味わいになっています」


 いつの間にかカセットコンロの火も極弱火で点いていて鍋が保温されていた。どことなくそれが午の仙人の心配りを感じさせ、私は思わず笑みがこぼれてしまう。板に付いた職とはいえ、警備とはやはり気が張る仕事だろう。陰陽師ひとりを少しからかって彼の気が休まったなら、私も悪い気はしないというものだ。

 期せずして歳神の下賜品をたまわった私は、大将と二人きりの店内で、2人して同じ鍋をつつきつつ年明けの夜を過ごすのであった。

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神仙グルメ『丙午』 青王我 @seiouga

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