第3話
「獄卒として亡者を追い回すのもしばらくは良かったんですけどね」
「今は獄卒の仕事はしていないんですか?」
「歳神として、午の仙人としてこちらに来てますからねえ。獄卒はほら、ブラック職場だから」
地獄にも職場環境改善運動とかあるのだろうか、などと思う私を、午の仙人の彼は微笑みながら見つめている。そもそもの話として、この場で当たり前のように話されている『地獄』が、死後に渡る世界のことなのか、という点も実のところはっきりしていないのだ。現在の技術力では死後の世界の存在が明らかになっていないため、実は『地獄』がどこかの知らない土地にある罪人収容所である可能性だってありうる。
当の彼は「面白い考察ですね」などと呟きながら、大将から新たに注がれた熱い焼酎を、火傷しないようにちびちびと啜っている。もはや彼は仙人の正体を隠すこともなく、私の心の中をあからさまに覗きながら会話をしていた。
「獄卒も門番も、成り手が多くてですね。次世代が育ったところで職を辞したというわけです。それで人間に混じって色々と仕事を探したのですが、結局のところ門番稼業が板に付いちゃっていて、警備員に落ち着いたと、そういうわけで」
「お話のところ失礼、麻婆豆腐出来たよ」
「ありがとうございます」
午の仙人は会話を遮った大将の方へ向きなおし、笑顔で礼を述べた。そして2、3人前はありそうな大皿一杯にたっぷり盛られた麻婆豆腐を大将から受け取り、自分の前に置く。麻婆豆腐といえばトウガラシと豆鼓や豆板醬という豆味噌によって赤黒く調理されたものが思い浮かぶが、彼に提供されたものは赤みが強いようだ。かといってがっつりトウガラシが入っているわけでもなく、舌を痺れさせる花椒も振りかかっていない。
この店の麻婆豆腐は私も食べたことがある。しかしどちらかというと大将の麻婆豆腐は辛味が強い酒飲み仕様だったはずだ。真っ赤な自家製ラー油が表面に浮き、その場で挽いた花椒の粉末が一面に撒き散らされた辛口の麻婆豆腐だ。肉とラー油とタレの濃厚な旨みと、辛味と痺れが相まって酒でも白飯でもいくらでも食べられそうな逸品である。どうやら今回は、事前に彼から味付けの要望が伝えられていたらしい。
「辛さ控えめということだったけど、味はどうかな?」
「丁度良いです。もっと辛いと食べれないでしょうが、これくらいならおいしく食べられますね」
「相方さんも辛いのは苦手なんですか?」
「丑の、ですか? 彼女は辛党ですからねえ」
丑、相方と来れば、馬頭と同じく地獄の入り口で門番を務める牛頭だろうか。まだ私もあったことはないが、彼女というからには女仙なのだろう。門の左右に彼と立つからには、彼女もまた2メートルは下らない巨躯に違いない。
「その想像は間違っていませんよ。彼女は私よりずっと荒っぽいですから、会ったときは覚悟してくださいね」
「そういうわけにもいかないのが、この職業の悩ましいところです」
「いや、白状すると、麻婆豆腐を食べ始めたのは彼女の影響なんですよ。本当は野菜ばかり食べていたかったのですが、ヒトとしての身体づくりには肉と脂が必要だとかで豆腐を食べ始めたのです」
「でも結局、気に入ったから食べてるんですけどね」と、彼はなぜか声を潜めてそう言った。それは彼が冗談めかして私に囁きたかったのかもしれないし、そのように声を潜めないと話題に出た『彼女』に聞こえてしまうからかもしれなかった。
白米も頼まず、酒だけで彼は大盛りの麻婆豆腐を平らげていく。辛くて味の濃い麻婆豆腐と相性が良いのは度数の高い米由来の蒸留酒か、白米だと私は思う。しかし彼が頼んだ甘口の麻婆豆腐に白米は、私が考えるに最適の相性とは思えない。少しだけピリッとする程度の辛味は脂っこいタレと共に食欲を進めるが、甘口のタレは白米の基礎となる甘さと被る要素だ。ここは香り高い大陸の茶か、焼酎と合わせる彼の選択が適していると言えるだろうか。
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