第3話ジョン・レノンの第二の音楽アカウント

​かつての「四人」だけが知る、あまりに巨大な秘密があった。

ポール、ジョージ、そしてリンゴ。彼らはジョンが生きていることを知り、それぞれの複雑な沈黙を守り続けていた。特にポール・マッカートニーにとって、それは生涯消えない棘のような事実だった。かつての相棒は、死を偽装して自由を手に入れ、あろうことか「別の名前」で再び音楽の頂点へ登り詰めようとしていたからだ。

​1980年代後半、ジョンは新たなアカウントを起動させる。それは、磨き上げられたポップスターの姿ではなく、擦り切れたカーディガンを羽織り、左利きでボロボロのギターをかき鳴らす、シアトルの青年「カート・コバーン」という依代(よりしろ)だった。

​「ポール、君はいつも完璧なメロディを追求した。でも、僕は今、完璧な破壊を歌いたいんだ」

​1991年、世界を震撼させた『Smells Like Teen Spirit』が放たれた瞬間、時代は音を立てて塗り替えられた。日本では依然として、黄金のメロディメーカーであるポールの支持が根強かった。しかし、世界中の若者たちは、カートの叫びにジョンの魂の残響を感じ取っていた。

​それはかつての『Strawberry Fields Forever』で見せたような、内面の混迷と美しさが同居する独特の世界観。

『Come as You Are』の不穏な揺らぎ、『Lithium』の狂気、『In Bloom』の冷笑。これらニルヴァーナの楽曲群は、ジョンがかつてビートルズという巨大なシステムの中で削り取られた、純粋な「怒り」と「愛」の再構築だった。

​驚くべきことに、90年代のチャートにおいて、ジョンの別名義であるカートは、ポールの記録を次々と塗り替えていく。それは長年続いた「レノン=マッカートニー論争」への、ジョンなりの最終回答だった。

その波及効果は日本にも及び、90年代J-POPのオルタナティブな進化にも、この「第二のジョン」が放つノイズが深く溶け込んでいった。

​『Something in the Way』を歌うとき、ジョンはかつてのダコタ・ハウスの冷たい床を思い出す。

『All Apologies』を綴るとき、彼はかつての仲間たちへの、そして自分を縛り続けた過去への決別を刻む。

​ジョンは、カート・コバーンという盾の裏で、かつてない自由を感じていた。マスコミは「新しいカリスマの誕生」を囃し立てるが、彼らにとってのカリスマは、ジョンにとっては単なる「古い魂の新しいアカウント」に過ぎなかった。

​しかし、このあまりに激しい「叫び」は、再びジョンを追い詰めていく。ジョン・レノンを殺したあの日から、彼は自由を求めて彷徨い続けてきた。だが、カート・コバーンというアカウントもまた、あまりに重すぎる名声という名の呪いに侵食され始めていたのだ。

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