お目覚めですか、ロザリア様。

「……はっ!!」


目を開ける。よく見知ったベッド。

指先を沈めれば吸い付くように沈み込む、ふかふかした最高級素材の、天蓋付きのものだ。


​雪の冷たさも、土の臭いも、背中を刺された、熱の感触もない。

肺に流れ込むのは、死の間際に嗅いだ鉄の臭いではなく、嗅ぎ慣れた薔薇の香料。


……夢だった?

私は双子の妹エミリアに裏切られ、刺されたはず。

ユリウスは…私を庇って罪を被り、処刑されてしまった。


いや、夢であるはずがない。

あの絶望も、あの怒りも、ユリウスを失った喪失感も、今もこの胸を焼き焦がしている。


体を起こし、両手を見つめる。

拷問官によって剥がされた爪は元通りになっているし、折り曲げられた人差し指は自由に動く。


「ロザリア様、お目覚めですか。」


ふと、声が響く。

​聞き間違うはずのない、不遜で、冷徹で、けれど愛おしい声。


「……ユリウス?」


そこには「彼」が立っていた。

​燕尾服に塵一つなく、完壁に整えられた身なりと、背筋を真っ直ぐに伸ばした立ち姿。

あの時、ボロボロに潰されていた指先は、今は白手袋に包まれ、優雅に銀のトレイを支えている。

何より、断頭台に転がったはずのその首が、今は確かに彼の肩の上にあった。


「ひどくうなされておいででしたよ。……まさかとは思いますが、朝食のクロワッサンを誰かに取られる悪夢でもご覧になっていたのですか?涙まで流して……。食い意地が張っているのはご健在のようで、安心いたしました」


​不遜な口調、無感情を貫く、温度の低い黒色の瞳。

間違いなく、本物のユリウスだ。

……ユリウスが、生き返った……?


​「ユ、リウス……?」


​震える声でその名を呼ぶ。

彼は、私の動揺に気づく素振りも見せず、淡々とカーテンを開け放った。

差し込んだあまりに眩しい朝陽に、私は思わず目を細める。


​「昨晩は『明日こそは日の出と共に起きる』と息巻いていた気がしますが。……ご覧の通り、太陽に完敗ですね。昨晩のあの凛とした宣言は、どこへ消えてしまったのやら。……まあ、こうして私が起こしにくるのも、もう長年の習慣ですしね」


​そう言って彼は、手元で絶妙な湯気を立てているティーポットをトレイごとサイドテーブルに置こうとした。蓋の隙間から、私の好きなアールグレイの香りがふわりと鼻先を掠める。


​いつもなら真っ赤になって枕を投げつけているような、従者とは思えぬ酷い言い草だ。けれど、今の私には、その毒舌さえもが極上の旋律のように聞こえる。


​置かれようとしていたトレイがテーブルに触れるよりも早く、私はベッドを蹴立てて彼に飛びついた。

「……っ!!ユリウス!!」


​不意を突かれたユリウスの銀のトレイが、ガシャリと音を立てて傾く。

そんなことはどうでもよかった。

私は彼の首に腕を回し、その胸板に顔を埋める。


​「……っ、ユリウス、ユリウス……!」


​トクン、トクンと、規則正しく打つ心臓の鼓動。

厚い胸板から伝わる、確かな体温。

折れ曲がっていたはずの指が、今は私の背中に戸惑うように触れている。


「……。朝っぱらから随分なご挨拶ですね。もしかして、寝ぼけて私を抱き枕か何かと勘違いされてるのですか?」


​冗談めかした声が、すぐ頭の上から降ってくる。

けれど、私が震えながら泣きじゃくっていることに気づいたのだろう。

彼の声から、いつもの意地悪な響きがふっと消えた。


​「……ロザリア様?もしや、本当によろしくない夢を?」


大きな、温かい手が、そっと私の背中をさする。

その優しさが、かえって私の涙を加速させた。

​ああ、本物だ。

意地悪で、口が悪くて、私を守って死んでいった、大馬鹿者の私の執事。


「……ロザリア様。あまり泣かれると、私の燕尾服が涙と鼻水で台無しになります。クリーニング代を請求してもよろしいですか?」

「……勝手にしなさいよ。いくらでも、払ってあげるわ」


​私が彼の胸に顔を埋めたまま、ぐすぐすと鼻を鳴らして答えると、ユリウスは短く、呆れたような溜息を吐いた。


「燕尾服が涙まみれになるのは、もう何度目でしょう。……貴女は以前から、泣くときは遠慮なく私の服を犠牲にするのがお好きでしたね。クリーニング代など請求したら、逆に私が叱られそうです」


​そう言って、彼はためらいがちに、けれどしっかりと、私の背中に掌を添える。


​「……いつまでそうしているおつもりですか? 貴女様の執事は、これでも朝から忙しい身なのですが」


​冗談めかして私の体を軽く引き剥がそうとする彼に、私はなおも力を込めてしがみついた。


​「……離さないわ。絶対に、もう二度と離さないから」

​「おや、困りましたね。これでは朝食の用意も、着替えの手伝いもできません。……もしかして、今日のお嬢様は、着替えも食事もこの私に抱きついたままこなすという、新たな難行を私に課すおつもりですか?」


​彼は困り顔を作っているのだろうが、その声には微塵の苛立ちもなかった。

腕に力を込める私に、ユリウスは短く、けれど降参したような溜息をついた。


「……まったく、貴女は昔からこうして、私を困らせるのがお上手でいらっしゃる」


低く、喉の奥で小さく笑うような声。

首に回した腕が震えるほど強く、彼の燕尾服の襟を掴む。

温かい。生きている。心臓が、確かに打っている。


​「やれやれ。……今日のロザリア様は、いつにも増して『手のかかる』ご様子で。」


彼は呆れたようにそう言った。

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