回想 -四本腕の河童-


 先輩との邂逅は、入学して間も無い春のことだった。


 学校の廊下で、何の前触れもなく、僕は先輩と遭遇した。


 なんだ、これは。


 先輩を初めて見た瞬間、痛いくらいに心臓が鼓動した。


 なんだ、なんだ、これは。


 頭が真っ白になって、息が苦しくなった。


 先輩の体はほのかに光って見えたし、その輪郭は背景から浮かび上がって見えた。


 どうして、ふつうの学校のふつうの廊下に、こんな人がいる?


 こんな、ふつうじゃない人が。


 そう。僕はそのとき、そんなことを考えた。


 一目見ただけで、先輩はふつうじゃないと解らされていた。


「ははははははははっっっっっ」


 僕の視線に気づいた先輩は、すぐに笑い声を発した。


 華奢で儚げな体躯からは想像できないほど高らかに。


「まったくまったく、なかなか見込みがあるじゃないか。そのページを読もうとするなんて」


 そう。そのとき、僕はとある冊子を開いていた。


 廊下に長机が置かれていて、その長机の上に冊子が並べられていたのだ。


「それはわたしが編んだんだ。部誌ってやつだね」

「部誌……文学部、ですか?」

「いいや神秘部だよ」

「し、神秘?」

「きみは神秘部に興味があるわけだ」

「いや、なんだろうと思って、なんとなく開いただけで、部誌だってことも知らなくて」


 たしか部誌の表紙には何も書かれていなかった。だからこそ奇妙で、思わず手に取ってしまったのだ。


「なんとなくでそのページを? やれやれ、ますます見込みがあるな」


 僕は部誌に視線を移した。


 そこには何枚かの切り抜かれた紙が貼り付けられていた。


「スクラップ、ブック?」

「そう。オカルトが関係する怪事件がスクラップされている。きみの大好きなオカルトが」

「いや、だからなんとなく開いただけで」

「まあまあまあ、きみの意見なんてどうでもいいというのは世間の常識だろう」

「違いますが」

「きみの意見は、これを禁じる」

「憲法か何かで禁じられてるんですか?」

「うん」

「うん、て」

「イェス」

「言葉の問題ではなく」


 無駄に良い発音だった。


「そのページはお気に入りさ。とくに河童の話はね。たしかW県だったかな。とある高校の文芸部が作った文集に、その話が寄稿されていたんだよ。夏の怖い話特集の中でね」


 僕はもう一度冊子に視線を移す。若干黄ばんだ紙が貼り付けられていた。


「読んでごらん」


 先輩はささやいた。


 誘い込むように。唆すように。




 ■四本腕の河童

          三年A組 結城洋平


 寄稿とかよくわかんねーし、怖い話なんて興味ねえけど、まあ、文芸部には世話になったからなぁ。

 ……でもまあ、子どものときの話でもするわ。

 オレが小三のときの話。

 親戚ん家に泊まったんだよ。祖父とか叔母とかじゃなくて、もっと遠い親戚。

 場所はJ県。めっちゃデカいお屋敷だったな。

 武家屋敷っていうのか? 周りを石垣に囲まれてて、囲炉裏とかも残ってる歴史的価値半端なさそうな家だった。

 ちなみに泊まんなきゃいけない理由というか目的はわかんねぇ。なんか急に泊まることになったんだよ。

 オレは嫌だったんだけどな、メンドイし。でも、両親はどうしてもオレも行かなくちゃダメだって半ば無理やり連れてかれた。

 オレ以外にも子どもが何人か集められていたっけ。遠い親戚らしいけど、ほとんどが初対面だったよ。

 お屋敷に着いてすぐ、オレの両親も含めて大人たちは大部屋に集まった。輪になって話し合いをしているようだった。何を話していたのかは知らん。「子どもは向こうで遊んでなさい」って追い出されたからな。

 もちろん、オレら子どもはそうしたよ。屋敷の裏には小さい山があってさ、そこで鬼ごっことか缶蹴りとかして。

 そんで、やがて夜になった。

 やけに豪華なメシを食ったあと、オレと両親はとある和室に案内された。その部屋にはすでに布団が敷かれていて、川の字で寝ることになった。

 でもな、慣れない和室に布団だったもんだから、ぜんぜん寝つけなかったよ。かといってやることもなくて、ボーッと月明かりに照らされた障子を見てたんだ。

 そしたらさ、障子に影が映ったんだよ。

 初めは親戚のうちの誰かかと思った。でも、すぐに違うと気づいた。

 だってその影には、腕が四本あったんだ。

 オレは呼吸すら止めて、布団の中でじっとしていた。影はゆっくりと歩みを進めていて、オレはいつ四本腕の化物が障子を開けるのかと気が気じゃなかったよ。

 頭の中で悪い想像がどんどん膨らんでいった。化物が牙を剥き出しにしてオレと家族にバリバリ齧りつく場面すら想像した。

 でも、化物はそのまま障子を横切って見えなくなった。

 結局、それからもほとんど寝れなかった。少しは寝たのかよって思うかもしれないが、まあ、そこは小学生だからな。

 翌朝、オレは親戚の一人に四本腕の影について訊ねた。

 見知らぬ親戚の中でも、比較的話しやすそうな穏和な雰囲気のオッサンにな。

 なんか、両親に話すのは気が引けたんだ。

 そんでな、そのオッサンはナイショ話をする音量で「それは河童だろう」と答えた。

 そのオッサンいわく、この辺の地域には河童の言い伝えが多く、中には四本腕のような異形の河童もいるらしい。

 オレは納得と同時に恐怖の感情を覚えた。

「河童の姿を見なかっただろうね?」と親戚は聞いてきた。オレが「見てない」と答えると親戚は安心したように息をもらした。

「それは良かった。河童の姿を見たものは河童に食われてしまうから。とくに四本腕の河童は凶暴でね。その腕は獲物を捕らえるまでどこまでも伸びるし、その水かきは一度張り付いたら人間の力では絶対に取れないと聞くよ。そして四本腕の河童は、捕らえた人間を頭からバリバリ噛み砕くのさ」

 背中がゾクッとした。笑うなよ? 小学生だったんだから仕方ねーよ。

「いいかい、河童の影を見たことを、誰にも言ってはいけないよ」

 オッサンの言葉に、オレはうなずくしかなかった。

 それからな、オレと両親はすぐに家に帰ったよ。

 いっしょに遊んだ子どもたちに別れの挨拶ぐらいはしたかったんだけど、マジですぐに帰った。両親が押し込むように車にオレを乗せてさ。

 あいつら、どうしてるかな。一人気になってた子がいてさ。同い年の女の子。

 オレの話に何でも笑ってくれる子だったよ。

 でも、あれから会ってないんだ。

 ……はい、これで終わり。

 誰にも言ってはいけないって言われたけど、今日ここに書いちゃったな。

 まあ、べつにいいか。

 そんじゃ、これで文芸部には借りを返したってことで。慣れないことしたから疲れたわ。




「おもしろかっただろう?」


 冊子から顔を上げると、先輩が満面の笑みを浮かべていた。


「はい、まあ」


 大しておもしろいとは思ってなかったけれど、僕はそう答えていた。


 そう答える以外に何ができるだろう?


「河童ってのがいいよね」

「はあ」

「ガタロウ、ひょうすべ、河太郎、ガラッパ、えんこう、キジムナー……仲間が多い怪異だ。日本で最もマスコット化された怪異でもある。冷静になって考えたら、カッパ巻きってのはすごい料理名だよね。個人的には冷やし中華とタメを張る。国名を冷やしてるわけだから。ちなみに雨合羽は河童由来ではなくポルトガル語由来というのが有力だ」

「あ、あなたは」

「ん?」

「あなたは、そういうのが好きなんですね?」

「うん、その通りだよ」

「河童が出てくる話が」

「あー違う。誤解があるね」

「誤解?」

「河童は好きだけど、べつに河童が出てくるからこの『四本腕の河童』の話が好きなわけじゃないよ」

「そう、なのですか?」

「そもそも、この話に河童は出てきてないしね」


 意味がわからなかった。


「ねえきみ、そこに書かれている文章、ちょっと変じゃないかな?」

「変?」

「うん。変」


 そう言って、先輩は僕をまっすぐ見つめた。その眼力から逃げるように僕は目を反らした。


「わかりません、何が変なのか」

「この話の作者――結城洋平くん、納得が早すぎないかな?」


 まだわからない。納得が、早すぎないかな?


「ここだよ」


 ――その親戚いわく、この辺の地域には河童の言い伝えが多く、中には四本腕のような異形の河童もいるらしい。


 ――オレは納得と同時に恐怖の感情を覚えた。


「ねえきみ、四本腕の河童なんて聞いたことあるかい?」

「いや……ない、です」

「うん。わたしもだ。それなのに、結城洋平くんはあっさりと納得している。それはどうしてだろうと、わたしは疑問に思うんだ」


 言われてみれば、たしかに変かもしれな

い。


「それとね、わたしはもちろん調べたよ。J県に四本腕の河童なんて伝承はなかった。このわたしが調べたのだから、つまり本当にないんだ」

「でも、それじゃあ」

「そう、結城洋平くんが見た障子の影は河童ではない」

「〝親戚のオッサン〟は嘘をついていた……?」

「なぜ嘘をついたのか、それは障子の影が何だったのかを考えれば自ずとわかる。そうだろう?」

「そうだろうって言われても」

「どうして結城洋平くんは、あっさり河童だと納得したのか」


 僕の頭に刻み込むかのように、先輩はゆっくりと話した。


「四本腕の何かを、どうして河童だとすぐに納得したのか。結城洋平くんが納得する理由があるとしたら何か。きみは、どう思う?」


 大きな瞳が、僕を捉える。


 僕の心を覗き込むように。


「……影には、四本腕以外に、特徴があったのではないですか。河童だと認識してもおかしくない特徴が」


 あまりの目力に目を逸らしつつ、僕の口は自然と開いていた。


「そう。そのとおりだよ。では、河童の身体的特徴とは何だろう。影――シルエットでもわかる特徴は」

「皿のある頭、指の水かき、尖った口――あとは、そう」


 唐突に、ひらめく。


「亀のような甲羅」

「はははっ、見込みがあるよきみは」


 先輩の目が光った。


「人間のようなシルエットに甲羅のような背中の膨らみがあったなら、ああそうか、あれはやっぱり河童だったのかと認識してもおかしくない」

「背中の、膨らみ……じゃあ、つまり、そういうことなんですね?」

「そう、人間が人間を背負っていたとしたら、背中は膨らんで見えるよね」

「じゃあ、四本腕は――」

「うん、背負われていた人間の両腕と両足、それが四本の腕に見えたのさ」

「ちょっと待ってください」

「待つよ」

「両腕と両足って、両足はわかります。背負っている人が背負われている人の足を持つから、それが腕のように見えたんだってことですよね。でも背負われている人の両腕は、ふつう肩とか首の辺りに固定されるでしょう」

「つまり、ふつうじゃなかったんだろう」


 先輩はあっさりと言い放つ。


「ふつうの状態じゃなかったんだよ。背負われていた人間の両腕は肩や首の辺りに固定されていなかった。つまり、ダランと伸びた状態だった。だから四本腕に見えた」

「背負われていた人は、意識を失っていた?」

「あるいは――だね」


 意味深に笑う先輩。


「結局、結城洋平くんが影の正体を河童だと納得したのは、納得したかったからかもしれない。人間が、人間の死体を背負っている場面を目撃しただなんて思いたくなかった。ましてや、それが自分の親戚かもしれないのだから」

「やはり、そうなりますよね」


 ――河童の姿を見なかっただろうね?と親戚のオッサンは聞いてきた。オレが「見てない」と答えると親戚のオッサンは安心したように息をもらした。


 ――それは良かった、河童の姿を見たものは河童に食われてしまうから。


「〝親戚のオッサン〟は何かを知っているのでしょうか」

「親戚の大人たちは、と言うべきかもしれない」

「ああ、そうか、大人たちが何やら部屋で話し合っていたっていう描写がありましたね」

「うん。大人たちが、子どもたちについて話し合っていた描写だね」

「え? そんな描写――」


 ありましたっけ、と言う前に気づく。


 お屋敷に、結城洋平ら子どもたちが何人も集められていたこと。


 ――ちなみに理由はわかんねぇ。なんか急に泊まることになったのは覚えてる。オレは嫌だったんだけどな、メンドイし。でも、両親はどうしてもオレも行かなくちゃダメだって半ば無理やり連れてかれた。


 子どもたちは、わざわざ集められた。


「わたしは思うんだよ。大人が子どもを背負っていたんじゃないかって。シルエットの形的に、そのほうがピンとくるんだ」

「まさか、集められた子どもたちのうちの一人が……」

「だから、結城洋平くんも最後にこんなことを書いたんじゃないかな」


 ――それからすぐにオレと家族は家に帰ったよ。いっしょに遊んでた子どもたちに別れの挨拶したかったんだけど、マジですぐに帰った。


 ――あいつら、どうしてるかな。一人気になってた子がいてさ。同い年の女の子。オレの話に何でも笑ってくれる子だったな。


「結城洋平は、薄々気づいていたんですね。河童が子どもを背負った大人である可能性に」

「うん。どこかでそれを吐き出したかったのかも」

「結城洋平の親戚たちは、何を企んでいたのでしょう」

「四本腕の河童を調べていくうちに、おもしろいことがわかったよ。結城洋平くんの親戚の屋敷があるJ県には河童はいないが、とある伝統はあった」

「伝統……」

「秘術と言ってもいいし、儀式と言ってもいい。いや、正確には儀礼――通過儀礼か。子どもを使った妖しい伝統さ」


 先輩の目がまたしても光った。陶器のようにつるんとした白い肌が、ほんのり赤く染まっていた。


 先輩は、明らかに興奮していた。


「先輩、くわしく聞かせてください」


 僕はここで初めて〝先輩〟と口にしたはずだ。上履きの色から判断するまでもなく、目の前の女子は年上だとわかっていた。


「いいのかい」


 先輩は微笑んだ。美しさの中に何かが含まれている、それこそ妖しい笑みだった。


「いいのかい? 長い話になるよ? それに、なかなかシンドイ話かもしれない」

「かまいません。昔からその手の話には興味があったんです」


 もちろん嘘だった。僕は先輩との繋がりを手放したくなかった。


「やっぱり、見込みかあるよきみは。良くも悪くも」


 妖しい笑みを浮かべたまま、先輩が手招きをする。


「おいで」


 こうして、僕は神秘部に入った。

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