【化け猫】再び神秘部部室
「ふうん、悪くない、悪くないね」
ブログを読み終えた先輩がつぶやく。控えめな言葉とは裏腹に、先輩は蕩けたような笑みを浮かべていた。〝悪くない〟は先輩がよく使う賛辞なのだ。
「よくこんなのを見つけてきてくれたね。後輩くんにはどんなに感謝してもしきれないよ。わたしに赤ちゃんができたら〝後輩くん〟って名付けよう」
「赤ちゃん可哀想でしょう」
「そうだね。赤ちゃんに〝後輩くん〟は〝交配くん〟に間違われる可能性がある」
「誰も間違えませんし、そういうことではありません」
「じゃあどういうことなんだい?」
「せめて本名を付けてほしいって話です」
「まあ、一旦持ち帰って、前向きに検討させていただくよ」
絶対しないヤツじゃん。
「ふむ。あまりにも悪くないから、ブログを全部読みたくなったな」
「え、わりと量ありますよ」
「ご忠告は痛み入るけれど、速読は得意さ。昔、強化指定選手に選ばれていたこともある」
「速読って競技化されてたんですか?」
先輩は僕を無視してブログの黙読をはじめ、前言どおりあっという間に読み終えてしまった。
「よっぽど今回の化け猫譚がお気に召したようですね」
「化け猫、化け猫ね……」
「どうしたんです、何か懸念でも?」
「知ってるかい、日本には三大化け猫騒動ってのがある」
先輩が僕を無視するのは政治家の不適切発言よりよくあることだ。
「鍋島の猫騒動、有馬の猫騒動、岡崎の猫騒動。〝三大〟があるってことは、ほかにも日本各地に化け猫伝説があるってことだ」
「ええ、まあ、そうですね」
「それに猫又、山猫、鍛冶媼、鞍掛け猫、五徳猫、猫南瓜……猫にまつわる怪異は多い」
先輩は思いを馳せるかのように天井を見上げた。
「暗闇で光る目、行動が読めないミステリアスさ、行灯の油を舐める行為――猫が魔性の存在となった要因はいくつもあるけれど、結局、人間にとって身近な生き物だったのが大きい」
「身近な」
「そう。身近にいるから怪異の題材になりやすい。ネタにされやすい。つまり、猫のせいにされやすい。はははははっ。猫にとってはいい迷惑だね」
「先輩、その言い方は」
「ん? なんだい?」
「まるで、その言い方は、猫のせいではないみたいです」
このタイミングでそれを言うなんて。まるで、清礼女学園連続飛び降り事件の原因が、猫の怨霊ではないかのような。
「そうだよ」
先輩はあっさりと言う。
「寄宿舎の生徒たちが死んだのは、猫の怨霊のせいじゃない。というか、猫の怨霊なんて存在しないのさ」
「え、先輩、何を言って……あっ、もしかして、シン・こっくりさんと同じですか? 今回の件も本物のオカルトではないと言いたいんですね? つまり、清礼女学園生徒連続飛び降り事件は、人為的で現実的な事件だったと」
「いいや違う。『松平』と『不公平』くらい違うし『吝嗇』と『薔薇』くらい違うし、『童貞』と『電卓』くらい違う。最初に言っただろう、悪くないと。このわたしが、悪くないとね」
悪くないは、先輩の賛辞。
「……じゃあ、どういうことなんですか?」
「後輩くん、きみも夏川綾菜さんのブログを読んだなら、気になる点がいくつかあっただろう?」
「き、気になる点……?」
「おいおいおい、一つも気にならなかったのかい? もっと注意力を鍛えないと。定年後に公園で日向ぼっこしてるご老人でももう少し気を張ってるよ。わたしはあったけどね。どうしてミャー子をさっさと病院に連れていかないんだとか、どうしてミャー子の写真が一枚もないんだとか」
「あっ」
そうだ、たしかにそうだ。
どうして気づかなかったんだろう。女子中学生が猫を飼ったのに、ブログに一枚も写真をアップしないなんて!
「ほかにもイニシャルなんかが気になるね」
「イニシャル?」
「正しくは登場人物のイニシャルだ。ねえ後輩くん、まずはブログに出てくる登場人物を挙げてごらん」
「えっと、夏川綾菜本人、同室のS、隣部屋のK、ダンスをやっているY先輩とT先輩、あとはK先輩、R先輩……これで全部ですね」
「続けて寄宿舎のメンバー表を見てごらん」
「はい…………ん、あれ?」
「そうなんだよ。一人足らないだろう?」
田辺胡桃。夏川綾菜。三谷琴音。渡会志帆。印田祐未。加藤朋美。権田原圭。持川涼子。
リストには、八人の名前がある。しかしブログには七人のイニシャルしか書かれていない。
「後輩くん、これは何を意味すると思う?」
「……いや、ちょっと待ってください」
「いいよ待ってあげる」
「えっと、それはべつにおかしくないのでは?」
「へえ? どうしてだろう」
「田辺胡桃、三谷琴音、権田原圭、名前のイニシャルがKの生徒は三人います。権田原圭は三年生ですから、K先輩は権田原圭でしょう。残りは田辺胡桃と三谷琴音ですが、この二人のどちらもKなんです。イニシャルだけでは区別がつかないだけで。隣部屋のKとそうじゃないKがいるってだけの話なのでは」
「うん、だから気になるんだよね」
「え?」
「ふつうさ、区別しないかい? 〝K桃〟と〝K音〟とか、あるいは〝◯◯のK〟と〝✕✕のK〟とか」
「…………」
「最初に気づくだろう。『あ、このままじゃ琴音と胡桃がKで被っちゃうぞ』って。でも、夏川綾菜さんはそれでいいやって思ったのかな? 区別なんかしなくていいやって? なんだか雑だねぇ。寄宿舎は家族みたいなものって書いてあったのに」
――わたしはダンスなんかしたことなかったんですが、ダンス経験者のY先輩とT先輩が手取り足取り教えてくれるんです。
――寄宿舎のみんなは先輩とか後輩とか関係なくみんな仲間――いや、一つのファミリーって感じ。
「先輩は、つまり何が言いたいんですか?」
「何が言いたいんだと思う?」
「先に質問したのは僕なんですが」
「あとから質問したのはわたしだね。あれ? 先に質問した人間が、絶対に質問に答えてもらえる権利を獲得するのかな?」
先輩はニコニコしているが、どことなく圧も感じる。
甘えるな、と言いたいのだろう。あるいは、僕に期待してくれているのかもしれない。
考える。考えたらわかることなのだ、きっと。先輩は解けないクイズは出さない。
「……夏川綾菜のブログには、何かが隠されている……いや、ちがう」
そうじゃない。
「夏川綾菜が、意図的に何かを隠しているんですね?」
先輩は微笑んだ。
「それとね、まだ気になる点があるんだ。日替わり当番について」
「日替わり……えっと、ああ、エサやり当番ですか」
「それと掃除当番」
――日替わりのエサやり当番も決めて(わたしは土曜日担当)、首輪も買ってあげて、いよいよミャー子飼育、本格スタートです!
――だから恩返しってわけじゃないけど、寄宿舎の掃除当番を代わってあげました。K、感謝してよね! そして火曜日はわたしの代わりにちゃんとやってね!
「気にならないかい? わたしは気になってしまうよ。七人ならちょうどいいのにって」
「あっ!」
「七人いて、一週間に一人が一日ずつって仕組みなら、ちょうどいいのにね。〝土曜日担当〟とか、〝火曜日はわたしの代わりに〟とか、そんな感じに聞こえるのにね。でも、実際は、どうなんだっけ?」
「……実際は、寄宿舎にいるのは八人」
「これは、何を意味する?」
猫の写真がない。すぐ病院に行かない。イニシャルの区別。日替わり当番。八人。猫の怨霊ではない。
頭の中で、いくつかの情報がゆっくりと、しかし密接に結びつき、やがて一つの可能性が浮上する。
先輩が何を言いたいのか、わかってしまった。
「そんな、まさか、でも」
吐き気に近い感覚。言いたくない。でも、思いついてしまった。
「僕は勘違いをしていたんですね……? 三谷ではなく、三谷と読むんですね?」
――ちなみに名前はミャー子ちゃんです。わたしが名付けたんですけど、「まんまじゃねーか」って隣部屋のKからツッコミ食らっちゃいました(笑)。
「きみは爪が甘い。まあ、そんなところが可愛いんだけれど」
先輩が微笑む。震えるほどに美しく。
「そう、三谷琴音がミャー子だったのさ。三谷琴音は、夏川綾菜たち寄宿舎で暮らす生徒たちに飼われていた。寄宿舎にいる間は、人間としてではなく、ミャー子という猫として扱われていた。写真がないのも、そりゃ当然なのさ」
「ひどいイジメが、行われていたんですね」
「いやぁ、ひどい犯罪が行われていたと言うべきだろう」
――同部屋のSは服を着せてあげようって用意しようとしてたけど、みんなは反対。
――物置部屋がうるさいと思ったらミャー子がギャン鳴きしてました。
そうだよね、ミャー子も寒いよね😭😭😭
――ついでにミャー子の体も洗ってあげました。誰かがしないといつまで経ってもクチャイままだもんね。
――K先輩がお腹をさすっても低い声で唸ったり、R先輩が口をこじ開けてエサを食べさせてもすぐに吐き出してしまったり……。
「三谷琴音は猫として扱われていて、だから寄宿舎にいる生徒は七人で、それゆえに一週間に一回の日替わり当番が成立しやすかったんですね」
「イニシャルが被ってる問題も、夏川綾菜さんにとっては問題ではなかった。〝K〟と〝K先輩〟と〝ミャー子〟で区別できるのだから」
「ブログではミャー子が体調を崩して死んだかのように書かれていました。でも、実際はミャー子――いや、三谷琴音は、学校から飛び降りて自殺してしまったのですね。おそらく、自身へのひどい犯罪行為を苦にして」
「そう、清礼女学園生徒連続飛び降り事件において、最初に飛び降りた生徒は隣部屋のK――田辺胡桃ではなく、ミャー子――三谷琴音だったんだ」
「先輩の言いたいことがわかりました。事件は猫の怨霊ではなく、人の怨霊によって引き起こされていたんですね」
「そう考えればしっくり来るんだ。寄宿舎で暮らす生徒たちは飛び降り前に猫のマネをするようになっただろう。それを猫の怨霊の仕業とするのは、なんだか変じゃないか? 一見それっぽいようでいて、よくわからない。なんで猫の怨霊が、人間に猫のマネをさせる?」
言われてみれば、たしかに。
「逆に、三谷琴音がそうさせていると考えたらしっくり来るんだ。猫として扱われた三谷琴音が、復讐として、寄宿舎で暮らす生徒たちに猫のマネをさせていた、そんな風に考えると」
「そして、その復讐は果たされたんですね」
「うん。よかったね」
「よかったねは違うと思いますが」
そもそも復讐をしなくてはならない時点で、だ。
先輩がもたらした解釈は哀しみを伴う。むしろ、猫の怨霊だったほうがよかったのではないかとさえ思う。
猫の怨霊のせいなら、ひどい犯罪行為を受けていた少女はいなかったことになるのだから。
「べつに、どちらでもいいんだよ?」
先輩は言う。僕の思考を読んだかのように――いや、確実に読んだのだろう。
「べつに、少女の怨霊でも猫の怨霊でも、あるいはそれ以外でもね。外の世界から隔離された悩める思春期の少女たちが、飼い猫の死をきっかけに集団パニックを起こし、次々に自死を試みた――案外そんなオチかもね。あるいは、夏川綾菜のブログそのものが、すべて虚構だった――なんてオチもあり得る」
「いや、あのブログは……」
日付やイニシャル、内容から考えて、虚構なんてことは……でも、たしかに、絶対にありえないとは――
「いいんだよ」
先輩はもう一度僕の心を見透かした。
「揺れなくていい。あのブログが虚構だなんて、何も本気で言ってない。わたしはただ、おもしろい解釈があって、それを味わっているだけなんだから。後輩くん、きみもきみの解釈を信じればいい」
ああ、そうか。先輩がさっき言った〝よかったね〟は、解釈のおもしろさを評価しての〝よかったね〟だったのか。
不謹慎だとか、さすがに人としてどうなんだとか、そんな風に糾弾する権利は僕にはない。
僕だって共犯だ。先輩の歓心を買うために、積極的に事件について調べ、わざわざ夏川綾菜のブログを引っ張り出してきたのだから。
「僕は……先輩の解釈を支持しますよ」
だって、そのほうがいいから。先輩の解釈が間違っているなんて、そんなの解釈違いだから。
「そうかい、それは重畳だ」
先輩は不意に手を伸ばし、僕の頬を撫でた。
「ありがとう後輩くん。きみはいつも、わたしの望みを叶えてくれるね」
わかりやすいご褒美。うまく利用されている。
それがわかっていて、それでも、うれしかった。
「先輩、もう、そろそろ、からかうのは――」
先輩の手が首に触れて、くすぐったくてたまらなかった。
「さすがに、もう……」
「大人しくしなよ」
笑う先輩の表情は完全におもしろがっていた。
観念した僕は目を閉じる。
先輩の手の感触がよりクリアになった、そんな気がした。くすぐったさに、体を震わせるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます