第9話 空を載せる船
一、艦隊決戦の限界
昭和八年初頭、海軍大学校の講堂には、いつになく重苦しい空気が漂っていた。
艦隊戦術研究会。名目上は定例の研究会だが、実際には次期建艦方針を巡る思想闘争の場でもある。
壇上では、戦艦派の将官が黒板を叩いていた。
「敵主力艦隊を捕捉し、決戦距離に持ち込めば勝利は確実である。航空機は補助にすぎん」
会場にはうなずく者も多い。
だが高城中佐は、静かに腕を組んだまま、その言葉を聞いていた。
――それが通用するのは、敵が同じ思想なら、だ。
休憩時間、山本五十六が隣に立った。
「どうだ、高城君。まだ不満そうだな」
「不満というより……時代が違います」
高城は率直に言った。
「艦隊決戦は否定しません。ただ、主役が変わるだけです」
「主役?」
「空です。艦は、そのための台になります」
二、空母という存在
当時の日本海軍において、空母はまだ「補助艦艇」の扱いだった。
赤城、加賀は存在感こそ大きいが、戦艦の前座にすぎない。
だが高城の視点は、まったく異なっていた。
「航空機は、距離を無視できます。
索敵、攻撃、防空――すべてを担える」
山本は黙って聞いている。
「問題は、艦そのものです。
今の空母は、戦艦の改造か、実験艦の延長にすぎません」
高城は、用意していた図面を机に広げた。
「最初から、空を載せるために設計された艦が必要です」
三、新しい空母の条件
高城が提示した条件は、従来の空母設計とは一線を画していた。
・高速(30ノット以上)
・防御力の強化(重要区画の装甲化)
・航空機運用を前提とした艦内動線
・整備、補給のライン化
「特に重要なのは、整備能力です」
高城は、指で格納庫を示す。
「飛行甲板に何機載せられるかより、
一日に何回発艦できるか」
それは、まさに発想の転換だった。
山本が口を開く。
「……翔鶴型、という名前はどうだ?」
高城は一瞬、驚いた表情を見せた。
「もう名前まで?」
「思想がはっきりしている艦には、名前を与えた方が育つ」
その言葉に、高城は静かに頭を下げた。
四、造船との接続
空母構想は、造船改革と密接に結びついていた。
溶接構造。
規格化部材。
ブロック建造。
「この艦は、一隻ずつ芸術品のように造るものではありません」
高城は断言した。
「同時に、複数隻建造できることが前提です」
地方造船所で船体ブロックを製造し、
中央工廠で最終組立。
その構想は、後に「空母量産体制」の原型となる。
造船官の一人が言った。
「それでは、戦艦より先に空母が揃うぞ」
「それでいい」
高城は迷わなかった。
「戦艦は逃げませんが、航空機の世代はすぐに変わります」
五、反発と理解者
当然、反発は強かった。
「空母に装甲など無駄だ」
「航空機は脆い」
「主兵装は砲であるべきだ」
だが、山本五十六は一歩も引かなかった。
「砲は届く距離でしか戦えん。
航空機は、敵が気づく前に届く」
その一言が、会議の流れを変えた。
正式決定ではない。
だが、空母を“主役候補”として扱う流れが生まれた。
六、空と海の接点
その頃、航空技術研究所では新たな課題が与えられていた。
・防弾を重視した艦上戦闘機
・整備時間短縮を前提とした設計
・着艦事故を減らす構造研究
高城は、航空技術者たちに言った。
「性能は重要ですが、生き残ることが最優先です」
それは、後の零戦改修思想へと繋がっていく。
同時に、電波を用いた探知研究も進められ始めた。
「目に見えない敵を、先に見る」
その考えは、まだ夢物語に近かったが、確実に芽を出していた。
七、静かな転換点
昭和八年の終わり、
海軍内部ではまだ誰も公言していない。
だが、水面下では明確な変化が起きていた。
・空母建造計画の優先順位上昇
・航空要員の増員
・整備、補給の再設計
高城は、自室で図面を見つめながら思う。
――戦争の形が、変わり始めている。
砲の時代から、空の時代へ。
艦は、もはや武器そのものではない。
武器を運ぶための基盤だ。
八、次への布石
山本が去り際に言った。
「高城君、君はいずれ現場に出ることになる」
高城は、静かに答えた。
「承知しています。
だからこそ、今のうちに艦を作るんです」
空を載せる艦。
その構想は、まだ紙の上にすぎない。
だが、その紙は、確実に未来へ繋がっていた。
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