第7話 鋼を繋ぐもの
――昭和七年~八年(一九三二~三三年)
■ 呉軍港・技術会議室
呉の冬は、骨に染みる寒さだった。
分厚い外套に身を包んだ技官たちが、
長机を囲んで黙り込んでいる。
机の中央には、
一冊の分厚い報告書。
表紙には、簡素な文字でこう記されていた。
「欧州造船技術調査報告(非公開)」
高城中佐は、
その表紙を静かに押さえた。
「――これが、
これからの海軍造船の分岐点になります」
■ ドイツという存在
調査団が向かったのは、
ヴェルサイユ体制下のドイツだった。
表向き、
ドイツは軍艦を持てない。
だが実際には、
商船と“実験船”の名の下に、
恐るべき技術が蓄積されていた。
「溶接構造です」
高城の言葉に、
年配の造船官が眉をひそめる。
「リベットではない、だと?」
■ 溶接の意味
従来の日本海軍艦艇は、
リベット接合
厚い外板
重量増大
が当たり前だった。
だがドイツでは、
すでに船体溶接が実用段階に入っていた。
「強度が足りないのでは?」
高城は、
報告書の一頁を開く。
「むしろ逆です」
応力集中が減る
軽量化できる
工程が短縮される
「そして何より――
熟練工への依存が下がる」
この一言に、
会議室の空気が変わった。
■ 熟練工という制約
日本海軍の造船は、
長年“匠”に支えられてきた。
だがそれは同時に、
匠が足りなければ、
艦は造れない
という致命的な制約でもあった。
「戦時、
職工が不足したらどうします?」
高城は、
あえて厳しい問いを投げた。
誰も答えられなかった。
■ 規格と溶接
溶接技術は、
高城の“規格化構想”と完全に噛み合った。
板厚の統一
フレーム間隔の標準化
配管のモジュール化
「これなら、
地方の造船所でも造れます」
「修理も、
前線で可能になります」
■ 反発と恐怖
当然、反対も激しかった。
「未知の技術だ」
「事故が起きたら責任は誰が取る」
「艦が折れたらどうする」
高城は、
一切声を荒げなかった。
「だから、
まずは補助艦艇から始めます」
■ 最初の実験艦
1933年初頭。
瀬戸内のある造船所で、
一隻の小さな艦が起工される。
全溶接構造
規格化部材
簡易武装
名目は「特設監視艇」。
だが、
それは日本海軍初の“次世代艦”だった。
■ 現場の声
造船所では、
若い職工たちが戸惑っていた。
「叩かなくていいのか?」
「火花が怖いな……」
溶接棒を握る手が震える。
高城は、
毎週のように現場を訪れた。
「失敗してもいい」
「壊れたら、直せばいい」
その言葉に、
現場の空気が少しずつ変わる。
■ 初航海
春。
その艦は、
静かに進水した。
誰も祝杯を挙げない。
見守るだけだった。
試験航海。
全速。
荒天。
急転舵。
――異常なし。
技官の一人が、
小さく呟いた。
「……軽い」
■ 結果が示すもの
報告書には、
明確な数字が並んだ。
建造期間:短縮
重量:削減
整備性:向上
何より、
同じ艦を、
何隻でも造れる
という事実。
これは、
艦隊思想そのものを変える力を持っていた。
■ 山本との再会
山本五十六は、
報告を聞き終えたあと、
しばらく黙っていた。
「……戦争が、
工業戦になるな」
高城は頷く。
「すでに、そうなっています」
「我々は、
それに備えます」
■ 静かな承認
正式な通達は出なかった。
だが、
護衛艦
補給艦
工作艦
これらに
溶接構造が“黙認”される。
海軍は、
静かに方向を変え始めていた。
■ 影で進む準備
この頃、
別の動きも始まっていた。
航空機用アルミ材の国産化研究
発動機部品の共通化
電波兵器(電探)の理論研究
まだ名前すらない技術。
だが高城は、
その芽を見逃さなかった。
1933年。
銃声も砲声もない。
だが、
鋼をどう繋ぐか
その選択が、
十年後の勝敗を左右する。
リベットから溶接へ。
職人芸から規格へ。
戦争は、
すでに静かに形を変えていた。
そして高城は、
その変化の中心に立っていた。
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