第5話 空を制する者
――昭和六年・一九三一年 冬
■ 呉軍港・曇天
冬の呉は、どこか重たい。
灰色の雲が低く垂れ込み、軍港全体が鉄と煤に覆われているように見える。
高城中佐は、外套の襟を立てながら、桟橋を歩いていた。
今日の視察対象は一隻。
だが艦種は戦艦でも巡洋艦でもない。
「……空母か」
停泊しているのは、赤城。
巨大な船体、艦橋から延びる飛行甲板。
まだ“主役”とは言えないが、確実に異質な存在だった。
■ 空母の現実
案内役の航空参謀が、やや自嘲気味に言う。
「扱いに困る艦ですよ。
整備も人員も、何もかも特別で」
高城は黙って甲板を見上げた。
発着艦設備、エレベーター、格納庫。
「この艦、
一度の損傷でどれくらい止まりますか」
参謀は一瞬考え、答える。
「……数週間は」
高城は小さく息を吐いた。
――数週間。
それは、戦争では“永遠”だ。
■ 航空機という消耗品
格納庫に降りると、
九〇式艦上戦闘機が並んでいた。
軽量、運動性重視。
だが――
「防弾は?」
「ほぼありません」
「被弾時の生存性は?」
「……正直、高くは」
高城は、はっきりと口にした。
「航空機は、消耗品です」
周囲がざわつく。
「だからこそ、
搭乗員を消耗品にしてはならない」
この発想は、当時の海軍航空にとって異端だった。
■ 航空主兵論の核心
その日の夜、
高城は山本五十六と非公式に会っていた。
「君は、
空母をどう使うつもりだ」
山本は、静かに問いかける。
「“一撃必殺”ではありません」
高城は即答した。
「継続的制空です」
山本は眉を上げた。
「制空を、海上で?」
「はい。
敵の航空兵力を削り、
水上艦を自由に動かすための空母です」
それは、
戦艦の補助ではなく、
戦艦を成立させる前提条件だった。
■ 十年計画・航空部門
高城は、準備してきた資料を広げる。
【航空十年計画(案)】
空母は「少数精鋭」ではなく「同型量産」
艦載機は防弾・生存性重視
整備・補修を前提とした機体設計
発動機・兵装の共通化
搭乗員の生存率を最優先
「航空戦力は、
“減らさない”ことが最大の攻撃です」
山本は、しばらく黙り込んだ。
■ 反発と現実
この案は、すぐに反発を招いた。
「重くなりすぎる!」
「運動性が落ちる!」
「海軍航空の美点を失う!」
高城は、正面から受け止めた。
「軽さで勝つ戦争は、
一度しか勝てません」
だが、反対派の声は大きい。
特に若い搭乗員たちは、
“軽快さ”を誇りとしていた。
■ 数で殴る発想
高城は、あえて過激な言い方をした。
「一機が十機を落とす必要はありません」
「十機で、十機を落とせばいい」
沈黙。
「生き残った搭乗員は、
次の戦いに使えます」
その言葉は、
残酷だが、現実だった。
■ 空母建造への布石
同時に、高城は造船側にも手を打っていた。
空母専用ドックの検討
民間造船所でのブロック建造
飛行甲板・格納庫の規格化
「空母は、
特別艦ではなく“量産艦”にします」
これは、
海軍造船史上、前例のない発想だった。
■ 電波という未知
さらに高城は、
別の資料を提出する。
「航空戦は、
“見つけた者が勝ちます”」
「そのために、
電波を使います」
――電波探信。
まだ研究段階の技術。
だが高城は、強く押した。
「夜でも、雲でも、
敵を捕捉できる可能性があります」
技術将校の目が輝いた。
■ 山本の決断
数日後。
山本五十六は、
非公式ながらこう言った。
「君の航空構想、
私が後ろ盾になろう」
高城は、深く一礼した。
「ありがとうございます」
この瞬間、
高城の十年計画は、
初めて“中枢”に足をかけた。
■ 静かな覚悟
呉を離れる前夜。
高城は、港を見下ろしながら考えていた。
空を制する者は、
海を制する。
だが同時に、
それは――
空を失えば、
すべてを失う戦争でもある。
十年後。
自分は前線に立つだろう。
その時、
この選択は正しかったと
言えるだろうか。
空母は、まだ補助艦だ。
航空機は、まだ脆い。
だがこの年、
日本海軍は気づき始めた。
次の戦争は、
鋼鉄ではなく、
空で決まる。
高城の十年計画は、
いよいよ
“空”へと踏み出した。
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