第4話 「長期戦」という禁句

――昭和六年・一九三一年 秋


■ 柳条湖の一報


それは、あまりにも突然だった。


「――満州で、鉄道が爆破されました」


昭和六年九月。

海軍省の一室で、高城中佐はその報告を聞いた。


関東軍が動いた。

理由はどうあれ、事態はすでに軍事行動の段階に入っている。


「……始まったな」


誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。


海軍にとって、満州は直接の戦場ではない。

だが、高城の脳裏には、別の地図が浮かんでいた。


中国

ソ連

アメリカ

イギリス


一つ歯車が動けば、

必ず連鎖する。


■ 空気の変化


それから数週間、

海軍省の空気は明らかに変わった。


「陸軍は短期で片付けるつもりだ」


「満州は資源地帯だ。すぐに落ち着く」


そんな声が大勢を占める。


だが高城は、違和感を拭えなかった。


戦争が“簡単に終わる”と言われる時ほど、

終わらない。


それは、歴史を知っているからではない。

三工廠を見てきた技術者としての直感だった。


■ 軍令部での発言


ある会合で、高城は発言の機会を得た。


「今回の事態は、

 局地戦では終わらない可能性があります」


場が静まり返る。


「海軍としても、

 長期的な消耗を想定すべきではないでしょうか」


誰かが苦笑した。


「中佐、

 “長期戦”という言葉は、今は早い」


高城は引かなかった。


「早いのではありません。

 遅すぎるより、まだ間に合うだけです」


その瞬間、

彼が“空気を読まない男”として

記憶されたのを、高城自身も感じていた。


■ 山本五十六との再会


その日の夜。


高城は、

ある将官に呼び止められた。


「君、ずいぶん思い切ったことを言ったな」


振り向くと、

山本五十六少将だった。


「事実を言ったまでです」


山本は、少し考え込むように黙り、

やがて口を開いた。


「陸軍は、

 “終わらせ方”を考えていない」


高城は、はっきり頷いた。


「だからこそ、

 海軍は“続け方”を準備すべきです」


山本の目が、鋭く光る。


「……君は、

 対米戦争まで見ているな」


高城は否定しなかった。


「可能性として、

 最悪を想定しています」


山本は、短く笑った。


「嫌な想定だ。

 だが、私も同じだ」


■ 空母という“保険”


この会話を境に、

高城と山本の距離は縮まった。


「戦艦は、抑止力だ」


山本は言う。


「だが、戦争を動かすのは航空だ」


高城は、その言葉を待っていた。


「空母は、

 最初から“消耗する前提”で

 数を揃える必要があります」


「数、か……」


「はい。

 質は、量で守らなければならない」


この考え方は、

当時としてはかなり過激だった。


■ 実験艦の初航海


同じ頃、

瀬戸内で建造された護衛艦実験艦が

初航海を迎えていた。


溶接構造。

簡素な設計。

標準化された機関。


荒天の中、

船体は軋みながらも耐えた。


帰港後の報告は、簡潔だった。


「致命的な損傷なし。

 応急修理で即日復帰可能」


その一文を読んだ瞬間、

高城は確信した。


――行ける。


■ “長期戦”という言葉の重み


だが同時に、

彼は理解していた。


この言葉を正面から口にすれば、

多くの敵を作る。


それでも、

言わなければならない。


長期戦を想定しない国は、

必ず長期戦で負ける。


満州事変は、

単なる事件ではなかった。


それは、

日本が戻れなくなる最初の分岐点だった。



1931年。


世間は、まだ戦争を実感していない。

だが、軍の内部では、

確実に何かが壊れ始めていた。


高城は、

十年計画の書類を机に並べ、静かに呟く。


「……もう、後戻りはできないな」


鋼鉄の準備は、進んでいる。

だが、人の心は――

まだ追いついていなかった。

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