第3話 標準という名の反逆
――昭和六年・一九三一年
■ 図面の山
海軍省技術会議室。
長机の上には、無骨な図面が積み上げられていた。
「――以上が、護衛艦標準設計第1案です」
高城中佐は、淡々と説明を終えた。
図面は、従来の駆逐艦に比べて明らかに“簡素”だった。
装飾的な曲線は少なく、構造は直線的。
主機配置、配管、隔壁配置までもが、極端なほど整理されている。
「随分と、味気ない艦だな」
誰かがそう言った。
高城は否定しなかった。
「はい。
量産艦ですから」
会議室がざわつく。
■ 標準設計の思想
「この艦は、“強い艦”ではありません」
高城は、わざとそう切り出した。
「ですが、“何度でも戻ってくる艦”です」
護衛艦に求める条件は、明確だった。
建造期間を短縮できること
民間造船所でも建造可能な構造
被弾後の応急修理を前提とした区画設計
部品・機関の完全共通化
「沈まないことより、
沈みきらないことを重視します」
年長の造船官が眉をひそめる。
「それは、艦の格を落とすということだ」
高城は、真っ直ぐに答えた。
「戦争で最も価値があるのは、
“格”ではなく“数と継続”です」
■ 最大の異端 ―― 溶接構造
問題は、構造方式だった。
「船体主要部は、溶接構造を採用します」
この一言で、空気が変わった。
「溶接だと?
鋲接を捨てる気か!」
「実績が少なすぎる!」
反発は当然だった。
当時、溶接は補助的な技術であり、主構造に使うのは“危険”とされていた。
だが高城は引かなかった。
「溶接は、
・軽量化
・工数削減
・水密性向上
すべてで有利です」
「割れたらどうする!」
「だからこそ、
割れる前提で設計します」
その言葉に、誰も即答できなかった。
■ 実験艦計画
会議は紛糾したが、最終的に折衷案が出た。
「……実験艦、一隻のみ」
「護衛艦一隻を、
高城中佐の設計で試作する」
それが限界だった。
高城は深く一礼した。
「十分です」
一隻あれば、
“思想”は証明できる。
■ 現場との衝突
実験艦の建造は、
瀬戸内の小規模造船所で行われることになった。
現場の反応は冷ややかだった。
「軍艦を、こんな場所で?」
「図面が簡単すぎる」
「本当にこれで戦場に出す気か」
高城は、現場に頻繁に足を運んだ。
作業員の手を止め、図面を広げ、直接説明する。
「難しいことはしません。
同じことを、何度も繰り返してください」
職工の一人が、ぽつりと漏らした。
「……やりやすい図面だな」
それだけで、十分だった。
■ 反発は、組織的になる
一方、海軍内部では別の動きがあった。
「高城は、海軍を民間化しようとしている」
「戦艦屋の伝統を壊す気だ」
陰で、そう囁かれ始める。
特に反発が強かったのは、
大型艦建造に誇りを持つ派閥だった。
「護衛艦に力を入れるなど、
主力を見失っている」
高城の名前は、
いつの間にか“危険人物リスト”に載り始めていた。
■ 山本五十六の一言
そんな中、
高城は再び山本五十六と顔を合わせた。
「随分、敵を作っているそうじゃないか」
山本は、楽しそうに言った。
「覚悟は、最初からしています」
高城は静かに答える。
山本は、溶接艦の図面を一瞥し、こう言った。
「……いい。
この艦が戻ってくれば、
君の勝ちだ」
「戻らなければ?」
「その時は、
私が責任を取る」
その言葉は、
当時の山本にとって、かなりの賭けだった。
■ 小さな進水式
1931年初頭。
実験艦は、静かに進水した。
名前は、まだ仮称。
だが高城にとって、それは――
未来の艦隊の原型だった。
装飾もなく、華やかさもない。
だが、どこか“しぶとさ”を感じさせる姿。
「……行ってこい」
高城は、小さく呟いた。
この艦が成功すれば、
護衛艦は“特別な存在”ではなくなる。
失敗すれば――
高城の十年計画は、
ここで終わる。
1931年。
満州では、不穏な空気が流れ始めていた。
戦争は、まだ始まっていない。
だが、準備の成否は、すでに試され始めていた。
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