第2話 回らない鋼鉄
――昭和五年・一九三〇年
■ 横須賀――巨大だが、遅い
横須賀海軍工廠の乾ドックは、圧倒的だった。
戦艦が一隻、まるで陸に乗り上げた山のように鎮座している。
クレーン、足場、作業員。
どれもが日本海軍の技術力を誇示しているかのようだ。
だが――
高城は、その光景に違和感しか覚えなかった。
「この艦、ドック入りして何ヶ月目ですか」
現場責任者が胸を張る。
「八ヶ月になります。徹底的にやっております」
「次の艦は?」
「……まだ決まっておりません」
高城は黙って頷いた。
――八ヶ月で一隻。
そして次が詰まっていない。
巨大な艦を完璧に仕上げる。
それ自体は否定しない。
だが、戦争になった瞬間、
そんな余裕は一度も来ない。
「回転率が、考慮されていませんね」
ぽつりと呟いた言葉に、
現場の空気が一瞬、固まった。
■ 呉――技術はある、思想がない
呉海軍工廠は、別の意味で異様だった。
職工の腕は確か。
溶接、鋲接、機関据え付け、すべてが高水準。
だが――
「同型艦なのに、部品番号が違う?」
設計担当士官が答える。
「改良を重ねておりますので」
「その結果、補修部品は?」
「……艦ごとに違います」
高城は、そこで初めて強く言った。
「それは“改良”ではありません。
孤立です」
呉は、艦を“作品”として作っている。
量産品ではない。
それは平時なら美徳だ。
だが戦時には――
修理できない艦は、沈んだ艦と同じ。
高城は、その言葉を報告書にそのまま書いた。
■ 佐世保――見捨てられた護衛艦
佐世保で目にしたのは、
さらに深刻な現実だった。
小型艦用のドック。
老朽化した設備。
後回しにされる修理予定。
「駆逐艦は、いつもこうです」
案内役の士官が苦笑する。
「主力艦が優先ですから」
高城は、そこで足を止めた。
「では聞きます。
主力艦は、誰が守るのですか」
返答はなかった。
この時代、
護衛艦は“主役ではない”。
だが高城は、はっきりと理解した。
主役を支えない舞台は、必ず崩れる。
■ 三つの共通欠陥
三工廠を回り、高城は結論を出した。
日本海軍造船の致命的欠陥は、三つ。
兵站思想が存在しない
修理と量産が計画に組み込まれていない
艦種ごとの役割分担が曖昧
特に深刻なのは、
大型艦ドックが常に塞がっていることだった。
「大型艦を作る能力が高いほど、
艦隊は回らなくなる」
この逆説は、
誰も正面から向き合ってこなかった。
■ 再び、提言
東京に戻った高城は、
再度、海軍省で意見を述べた。
「大型艦ドックの回転率を改善すべきです」
「どうやって?」
「大型艦は“完成させる場所”であって、
“育てる場所”ではありません」
会議室がざわつく。
「護衛艦、補助艦は別ライン。
民間造船所を含めた量産ラインを設けるべきです」
まただ、と言わんばかりの視線。
だが今回は、
山本五十六だけでなく、
米内光政も静かに頷いていた。
■ 敵は、静かに増える
会議後。
廊下で、ある将校が高城に声をかけた。
「君は、戦艦を軽んじている」
高城は首を横に振る。
「いいえ。
戦艦を“孤立させたくない”だけです」
だがその言葉は、
理解よりも反感を生んだ。
彼は、伝統を壊そうとしている。
そう噂され始めたのは、
この頃からだった。
1930年、日本海軍は世界有数の艦隊を持っていた。
だが高城は知っている。
強い艦隊と、
戦い続けられる艦隊は、別物だ。
鋼鉄はある。
人材もある。
技術もある。
足りないのは――
思想。
そしてそれを変えるには、
時間と、敵と、覚悟が必要だった。
高城の十年計画は、
静かに、しかし確実に
波紋を広げ始めていた。
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