第2話:夢の国の現実
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## 第?話:夢の国の現実
「きゃー!ミッキーだ!」
「パレード、早く見たい!」
ディズニーリゾートのゲート前は、開園直後から熱気に包まれていた。娘たちの興奮した声が、周囲の歓声に吸い込まれていく。詩織も健太も、久しぶりの家族旅行に心を弾ませていた。
昨今、入場料は高騰し続けているが、これはまだ「3歳以下無料」という制度が残っていた頃の話。当時、長女の杏はちょうど4歳になったばかり、次女の紬は3歳。つまり、紬は無料だが、杏は有料だ。
このわずかな年齢差が、詩織の中で悪魔的な囁きを生んだ。
「杏、よく聞いてね」
詩織はゲートに並ぶ列の中で、杏の耳元にそっと囁いた。
「係のお兄さんやお姉さんに、『いくつ?』って聞かれたら、なんて答えるの?」
杏はきょとんとした顔で詩織を見上げた。
「えっと……よんちゃい?」
「違う違う!」
詩織は慌てて首を振る。後ろに並ぶ健太が怪訝な顔で詩織を見ているが、知らんぷりだ。
「杏、あなたは**3歳**なの。わかった?」
杏は目を丸くして、それからこっくりと頷いた。
「うん!さんちゃい!」
「よし、いい子ね!」
詩織は満足げに微笑んだ。たった数千円のことかもしれない。けれど、専業主婦になった今、家族の娯楽費も、日々の生活費も、全て健太が一人で稼いできている。少しでも節約できるなら、と、つい魔が差してしまったのだ。これも、賢い母の知恵……と、自分に言い聞かせた。
いよいよ、ゲートが近づいてくる。心臓の鼓動が少し速くなる。
先頭に立ち、チケットを提示する健太。その後ろに、詩織と娘たちが続く。
「いらっしゃいませ!」
笑顔のキャストさんが、杏に屈んで声をかけた。
「ねえ、お嬢ちゃん。いくつかな?」
キャストさんは詩織と杏を交互に見ながら、優しく尋ねる。
詩織は杏の背中にそっと手を添え、アイコンタクトを送った。「ほら、ちゃんと言うのよ」という無言のプレッシャー。
杏は、きょとんとした顔から、満面の笑みに変わると、元気いっぱいに、そしてはっきりと、大きな声で宣言した。
「**よんちゃい!!**」
「……っ!!!」
詩織は、言葉を失った。
隣で健太が、はぁ、と盛大なため息をついている。キャストさんは、一瞬だけ目を見開いたが、すぐにプロの笑顔に戻り、「あら、お姉さんなんだね!楽しんでいってね!」と杏の頭を撫でた。
「おい……」
健太が小声で詩織に囁く。その顔は、呆れと諦めが半分ずつ混ざっていた。
詩織は、ただ「ごめん……」と力なく呟くことしかできなかった。
夢の国へようこそ。
財布を襲う、高額な入場料の重みが、詩織の肩にズシリとのしかかる。
それでも、目の前で「やったー!」と跳ねる娘たちの笑顔を見ていると、まあ、いっか、と思えてしまうのだから、不思議なものだ。
今日一日、めいっぱい楽しんでくれれば、それで。
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