第7話
家に娘の夫のエリックの車が到着した時は、夜十一時を過ぎていた。
「突然来てスミマセン。お義母さん、具合は大丈夫ですか?」
エイミーの夫、エリックは早くに両親を亡くしていた為、まるで自分の親のように義両親を大切にしてくれる。
なんとか落ち着いた母親は義理の息子と穏やかに話していた。
「それで、あの子ったら、ヤバいかもしれないって言うのよ。そこから先は何が、どうヤバいのか、まだ聞いていないのだけど」
「ママー、シュバルツカッツェ、もう一本開けていい?」
エイミーがキッチンから声をかけてきた。
「いいわよ。またパパがダースで買う…」
言いかけた母親を目から涙が零れた。
「お義母さん…」
エリックがレスリーの震える手からグラスを、そっと外してテーブルに置いた。
──何処に行ったのか、無事なのかすら解らないのに…あの人が帰ってきて、また好きなワインをダースで注文したりする日がくるのかしら…。
「ああ、ごめんなさいね。本当に私ったら…泣きっぱなしで」
エイミーがカナッペを数種類とサラダとトマトとキュウリのサンドウィッチを運んできた。
「晩ごはん食べてなかったでしょう。ごめんなさいね。野菜食べてね、エリック」
「ありがとう」
既に夜中を過ぎていた。
食事してワインを飲んで、誰も言葉を発しないまま、壁に掛けた時計が夜中の一時を告げた。
「…ねぇ、エイミー、さっき言っていた、ヤバいかもしれないって、どういうことなの?」
ヤバいかもしれないと言われて聞くことが怖かったけど、このまま黙っていても何も解らない。
娘は何か手掛かりを知っているのだろうか?
「ああ、ごめんね、ママ…そのう…」
隣に座っているエイミーの夫が手を握って頷いて見せた。
エイミーは勇気を出して話した。
「あの、ね…ママ、呪いとかって信じる?」
「え?」
「その、黒い封筒の出所、解るかも」
「何処なの?」
「街外れにある、って言われているお店なんだけど、不思議な店で晴れている日は絶対に行かれないらしいの」
「どうして?」
「解らないけど、行こうとした人から聞いた話ではお店が見つからないらしいの…そのお店には呪いの黒いタイプライターと言われている物があってね。それは売り物じゃなくて、店内でしか使えないの。…それで想う相手に手紙を打って送ると、どんな相手でも自分の所に呼び寄せる、あるいは行くことができるって…初めて聞いた時は、嘘っぱちなおまじないの類いの噂とか思っていたけど…私が高校生の時に、使った子がいて。噂だけど、ね。隣のクラスで片想いの相手に送って呼び出したのは成功したらしいけど…ほら、生徒二人が行方不明になった事件あったでしょう?その先の話は先生方が固く口を閉ざして真相は今でも解らないけど、ただ、そのお店の黒いタイプライターを使ったんじゃないかっていう噂は、しばらくは流れたの」
母親が身を乗り出した。
「明日、その場所に連れていってくれる?」
「友達の友達から聞いただけで大体の場所しか解らないけど、探してみよう。でも、聞いた話だと晴れていたら見つからないらしいよ?」
「曇りか雨が降るのを呑気に待っているより行動したいわ」
「さすが、ママ!じゃあ、とりあえず今夜は、もう寝よう?」
娘夫婦が来てくれて、親身になってくれて、食事もして、だいぶ気持ちは落ち着いたけど。
呪いの黒いタイプライターで想う相手に手紙を送って呼び寄せることができる?
文明が進化してAIが発達した、この2025年に、呪い?まじない?
いや、いつの時代でも、その時の狭間に、そうした物は実在してきたのかもしれない。
エイミーの同級生が行方不明になったことがあったのは確かだった。
その生徒は拐われたのかもしれない、確かなことは解らないけど当時、学校側にも解らなくて少ない情報の中で保護者達はピリピリしていた。
あの頃、私も暫くはエイミーの送り迎えをしていたっけ。
本当にあるのなら夫を取り戻せるのなら黒いタイプライターを使ってみたい。
だけど…ターゲットは私の夫だと?本当に?何故?それならば呼び戻すことだってできる?
──私の夫に一体、誰が、なんの目的で黒い封筒を送ったのか。
何故?
確かに夫は少数派でも人気があったバンドのシンガーだ。
街に出れば声を掛けられることもある。
だけど誰もが知っている大スターというわけではない。
それでも夫に執着する見境のない人間は存在するのかもしれない。
レスリーは混乱しつつも、とにかく明日の予定の為に横になろうとベッドに腰掛けた。
ノックがしてエイミーがカモミールとラズベリーが仄かに香る甘いカクテルを運んできた。
「ママ、明日は夕方に出発しようね。さっき、元同級生に連絡してみたんだけど、夕方遅くなると見つかることもあるんだって」
「そうなのね」
「高校生の時代に聞いた時は、実物見られなかったから黒いタイプライターなんて、おまじないとか噂って思っていたけど。うちに黒い封筒が届いたなら…。本当にあるんだよね。パパ、人気あるもんね。問題は誰が、どんな目的でパパを呼び出したのか、だよね」
レスリーは頷いて娘からカクテルを受け取り、一気に飲み干した。
「美味しかったわ。ありがとう」
「良かった。おやすみなさい、ママ。また明日ね」
そうだ、今は、とにかく眠ろう。
レスリーはベッドに体を横たえた。
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