第3話
木製のアンティーク調のテーブルに温かいコーヒーが置かれた。
良い香りが漂う。
「どうぞ、お召し上がりください」
ダニエルはコーヒーを飲まないで女性を見つめた。
四十歳…くらいだろうか。黒い髪は肩より少し長い。
上品な黒いAラインのドレスを着ていて大きな目は茶色い。
「コーヒーは、お好みではありませんか?あなたの好みの飲み物を教えて頂ければ御用意致します」
女性は立ったままでダニエルに言った。
外国人のようだが美しい発音で話す声は彼女の実年齢よりも若々しく聞こえる。
女性は、向かい側の木製の椅子に、ゆっくりと腰掛けた。
「何か、他のお飲み物を用意致しましょうか?」
彼女の濃い茶色の瞳がダニエルをじっと見つめた。
──ここは、何処なんだ?貴女は誰なんだ?
そんな簡単な質問を言うことが出来なかった。
唇が動かない。
女性が微笑んだ。
「貴方は、今、飲みたいと思う飲み物だけを答えることができます。そして、それを飲む動作はできますけど、立ち上がることはできません。コーヒーがお好みでなければ、お好みの飲み物を仰ってください」
呑気に飲み物を飲む気にはなれなかった。
──家に帰らせてくれ!
女性は、やや前に身を乗り出してダニエルを、じっと見つめた。
──一体、なんなんだ!助けてくれ!家に帰りたい!
「何も、飲みたくないですか?喉は渇いていませんか?」
──いらない、何も飲みたくない!
だが、喋れない。
立ち上がることもできなかった。
女性がクックックッと笑いだした。
──笑いごとじゃない!何故、私は何も話すことが出来ないんだ?さっき、この女性は飲み物しか言えないと言った…何故?そんなことあるはずがない。
「困りましたね。せっかくのコーヒーが冷めてしまいました」
女性は手を伸ばすと彼の前に置かれたコーヒーカップを持って、クイッと飲み干した。
「貴方の為に極上のコーヒー豆を入手しましたのに…ああ、まだコーヒー豆はありますから飲みたいと仰って頂ければ御用意致しますので」
彼は立ち上がることも話すこともできなかった。
「今は飲み物は要らないのですね…それでは、ひとつだけ、質問をできるようにしましょう。よく考えてください。ひとつだけしか質問できませんから」
──質問は、ひとつだけ?ふざけるな!訊きたいことは、ひとつだけでは済まない。だけど何を、どう訊いたらいいんだ?
壁掛け時計の秒針がカチコチと時を刻む。
女性がチラリと時計を見た。
「質問、ないのですか?」
女性の表情が悲しげになったが泣きたいのは彼の方だった。
「お話をしたいのですけど、もう遅い時間ですから、また明日にしましょう。今夜は、ゆっくりと、おやすみください」
彼が窓に目を向けると外は真っ暗だった。
──嫌だ!嫌だ!帰らせてくれ!
彼の意思は全く関係なく、立ち上がり歩き、客間に通された。
食事が運ばれてきた。
柔らかく煮たキャベツとオニオンが、たっぷり入った温かいコンソメスープとライ麦パンにチキンステーキにニンジンサラダ。
彼の手は否応なしに勝手に動き、食事を口に運んだ。
食事をする気分ではなかった。
だけど彼の歯は食べ物を咀嚼した。
──せめて、妻に連絡を…
だが、携帯電話に手を伸ばそうとしても、それも体が言うことを利かなかった。
彼の足は勝手にバスルームに向かい、彼の手は服を脱ぎ、シャワーを浴びた。
──ああ!神よ!
彼は用意されていたパジャマに着替え、ベッドに横になり、目を閉じたのも彼の意思とは正反対だった。
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