いつか猫を飼うその日まで

1103教室最後尾左端

001

 裸で街を徘徊する明日香の姿を見かけるようになったのは、彼女が死んでから半年ほど経ったころだった。


 初めてその姿を見たのは、住宅街の塀の上だった。確か、会社に行く途中だったと思う。

 なんの変哲もない平日の朝、裸の女性が幅の狭い塀の上を器用に四つ足で近づいてくる様子には、当然ながらまったく現実感がなかった。


 最寄りの交番までの距離と到着までの所要時間はどのくらいか、110番通報するべきか、119番に電話すべきだろうか、状況を正しく伝えると僕のほうが入院を勧められるのではないだろうか等々、様々な思考が脳内を駆け巡った。


 しかし、近づいてくるその女性が明日香であるとわかると、思考はすべて消え去った。


 おかしくなっているのは、自分であるということを、はっきりと知覚した。


 すれ違いざま、ニャーという鳴き声が聞こえた。

 どうやら、ただの猫らしい。


 遠ざかっていく彼女の後ろ姿を見て、僕は喜びに似た温かい感情が、心臓の周りに広がるのを感じた。自分の口角が自然と上がっていくのさえ分かり、頭を強く振って意識を切り替えた。


 職場にたどり着いても、その感情は収まらなかった。仕事中は不審がられないように意識的に無表情を維持しようとしていたが、気を抜くと表情が緩んでしまいそうになった。


 猫は、その日からずっと明日香に見えるようになった。それは僕にとって、まったく悪いことではなかった。


 ようやく、僕はおかしくなることができた。

 そのことに僕は安心していた。

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