お姫様と家庭教師
『龍門会』組長の孫娘、龍門ヒカリの下校後スケジュールというものは、芸能人もかくやというほど厳密に管理されている。
それは墨田区を支配する一次団体の姫君として相応しい英才教育を施すためであったが、それ以上に、親夫婦を襲撃により失っている彼女の安全を守るための配慮であった。
聡明なヒカリであるから、祖父やリュウカの配慮は痛いほどに分かる。
分かるのだが……。
「……退屈だな」
ぽつりとつぶやいてしまうほどに不満は膨れ上がっており、マンツーマンで授業をしてくれている家庭教師――浦井ヤスカの苦笑いを買うこととなってしまった。
「私の授業は、退屈でしたか?」
スカートタイプのスーツをビシリと着こなし、細縁の眼鏡が、下手なインテリ系のヤクザよりも知性の輝きを放っているセミロング茶髪の女性……。
女性家庭教師という職業の最大公約数を体現しているかのような人物が、この浦井ヤスカである。
彼女に課せられている役割は、そのまま家庭教師。
この龍門ビル最上階は、基本的に組長と親子盃を交わした者しか立ち入ることを許されないフロアであるが、物事の必然として例外はあった。
例えば清掃を任されている若い衆や出入りの業者がそうで、浦井もまた、そういった特別待遇の一人である。
私立聖黒百合学園初等部にヒカリが入学して以来、平日の放課後に必ず個人授業を行なってくれているのが彼女。
つまり、ヒカリからすれば、リュウカの次に日頃接する時間が長い人物であると言えた。
「ううん、ごめんね。
浦井さんの授業がつまらないわけじゃないの。
ただ、勉強しながら考えてたことが、つい口に出ちゃったっていうか……」
ゆえに、ヒカリとしては例外的なほどにくだけた口調と表情で、鉛筆片手に答えたのである。
「それで、出た言葉が“退屈”……?」
「……ごめんなさい。
でも、なんていうか言葉の綾で……」
「分かりますよ。
それに、ヒカリさんの年齢で、お勉強が大好きという方が珍しいですからね」
用意はしてあるものの、個人授業という性質もあって使うことは滅多にないホワイトボードを背にしながら、浦井がニコリと笑った。
その笑みはいかにも社交的なもので、きっと彼女は、これまでの人生で様々な人間と交流があったのだろうと思わせられる。
自分とは、大違いだ。
「……時々、思うんだ。
普通のおうちに生まれていたら、どんな生活だったんだろうって。
少なくとも、毎日、学校帰りに組のビルに立ち寄って、自分だけのために用意されたお部屋で勉強はしてないと思う」
この小さな部屋は、ヒカリが勉強するためだけに用意された勉強部屋であった。
放課後、祖父が屋敷へ帰宅するまでの間はこの龍門ビルで過ごす必要があるため、特別にあつらえたのだ。
「恵まれてるっていうのは分かるし、リュウカちゃんが日頃から言ってる通り、お勉強が大切なんだってこともわかってる。
それでも、普通の子がそうしてるみたく、学校帰りに一緒に遊んでみたりとかしたいって、どうしても思っちゃうの」
隣の芝生は青いもの。
きっと、一般家庭の子供からすれば、大の大人にかしずかれるヒカリの立場は、うらやましく思えるはずだ。
そうと分かっていても、思考とはとめどない。
「分かりますよ。
それに、学校が終わってすぐに、こんな狭い部屋へ閉じこもる毎日だと、ストレスも溜まってしまいますよね」
穏やかな笑みを浮かべながら、浦井が同意してみせる。
誰かに分かってもらえると、それだけで心の負担は軽くなるもの。
だから、ヒカリとしてはそれだけでも十分だったのだが、彼女は続いて驚くべき提案をしてきたのだ。
「それなら……ちょっとだけ、抜け出てしまいましょうか?」
「抜け出す?」
「ええ、そうです。
二人でこのビルから抜け出して、マルイに新しくできたミスタードーナツへ行くの。
……どうかしら?」
初めて見せる茶目っ気に満ちた表情で、そう提案される。
「……面白そう!」
ヒカリは目を輝かせながら、そう答えたのであった。
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極道エルフ ~墨田抗争録~ 英 慈尊 @normalfreeter01
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