第9話
「あれ……先輩……?」
病院の待合室で、思いがけず、視線がぶつかった。
消毒液の匂いと、空調の低い音。
午後の光が、白い床に淡く反射している。
何人もの知らない人が座っている中で、なぜか、すぐに分かった。
「やぁ、君かい」
先輩は、少し驚いた顔をしたあと、すぐに、昔と同じように笑った。
「まさか、病院の待合室で会うとはね。
……しかし、本当に久しぶりだな」
声の調子は変わっていない。
けれど、どこか丸くなったようにも感じた。
「……先輩は……最近、どうですか……」
そう聞きながら、私は無意識に、先輩の左手に視線を落としていた。
薬指で、指輪が光っている。
それは、もう隠す必要のないものの光だった。
「ぼちぼちかな……」
先輩はそう言って、肩をすくめる。
「まぁ、幸せだよ。それなりにね……」
その言葉に、誇示する響きはなかった。
そう言いながら、先輩は自分のお腹を、やさしく撫でた。
「妊娠、三ヶ月になる」
一瞬、言葉が出なかった。
頭では理解しているのに、心が、少し遅れて追いつく。
「……書いていますか」
やっと、それだけを聞いた。
「物書きになるって、一時期、言っていたような気がして……」
あの頃の、保健室の窓枠の上の背中が、一瞬だけよぎる。
「あぁ」
先輩は、あっさりと頷いた。
「とっくに辞めたよ。今は、事務の仕事をしてる」
それ以上は、何も付け足さなかった。
言い訳も、後悔も、そこにはないように感じられた。
「……」
私は、少しだけ迷ってから、口を開く。
「……あなたが残した問いかけが、ずっと引っかかっているんです」
先輩が、こちらを見る。視線が合う。
けれど、昔のように踏み込んでこない。
「一冊のラブレターが……私の中で、生きてしまっている」
言葉にしてしまうと、取り消せない気がした。
しばらくの沈黙。
待合室のテレビの音と、誰かがページをめくる音だけが流れる。
「……過去の話だろ」
先輩は、静かに言った。
「君」
その声は、責めるでも、突き放すでもなく。
ただ、もうそこを通り過ぎた人の声だった。
「……」
ちょうどそのとき、待合室に名前が呼ばれる。
「あぁ」
先輩は、ゆっくりと立ち上がった。
「呼ばれたみたいだ。私は、もう行くよ」
一瞬、何か言いかけて、やめたような顔をする。
それから、いつものように軽く手を振った。
「……じゃあね」
そう言って、背を向ける。
私は、その背中を見送りながら、胸の奥に沈んでいた言葉を、ようやく言葉にした。
「……残されたのは」
声は、誰にも届かない。
「……私だったのか」
先輩は、振り返らなかった。
けれど、不思議と、それでよかった。
問いはもう、誰かに返すものではなく、私の中で生きている気がしたから。
文芸部員は青春ごっこがしたいようです!?陰キャ女子校生の日常はどきどきがいっぱい😍 @punipuni_0123
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