オタマジャクシくんこんにちわ、カエルくんはどこいった?

AKTY

オタマジャクシくんこんにちわ、カエルくんはどこいった?

 私が子どもの頃、遊びの中心はもっぱらVS生き物だった。


 我が家は田舎の町の小さな山の中腹にあった。現在では開発も進んで住宅地のようになってしまったが、80年代の当時、民家はまだまだまばらだった。あたりには森や竹林、畑などがたくさんあった。


 そんななかを我々ちびっこは野良猫を追い回したり、トリモチで小鳥を捕まえたり、ザリガニを釣ったり、ダンゴムシを焚き火にくべたりして遊んでいた。現在のコンプライアンスでは到底許されないようなことも散々やった。昭和の子どもとはそういうものであった。


 さて、そんな遊びのなかでちょっと不思議に思っていることがある。たしかあれは森のなかの小さなため池でだったと思うが、カエルの卵を大量に見つけた。ゼリー状の透明なやつに黒い目玉みたいなツブツブがたくさん入ってるあれだ。私はすぐさま家に取って返して、それをすくうためのバケツを持ってきた。


 そんなに要らないだろってほどすくって、それを家に持ち帰った。大きなタライに井戸水を張って、そのなかに取ってきた卵をぶちまけた。いまそれを見たら気持ち悪いと思うだろうが、当時の私はすっかり満足していた。それからしばらくの間、朝晩それを観察して過ごした。


 数日経つと卵の形が変わり、ピクピクと動いたりする。それからまた数日後、たぶん取ってきてから1週間くらいだろうが、卵の膜を破ってオタマジャクシが飛び出てくる。タライのなかは生まれたてでピチピチのそいつらが無数に泳いでいた。


 餌は金魚を飼っていたのでその餌を流用した。子どもだから分からなかったが、あの数のオタマジャクシだ。けっこうな消費量だっただろう。当時はインターネットなどなかったから、飼い方なんかはいいかげんなものだった。これは飼育したすべての生き物に当てはまることだ。図鑑くらいは調べたかもしれないが、当時の私がその辺をちゃんとしたとは思えない。


 それでもオタマジャクシたちはスクスク育ち、後ろ足が生えてきた。これはもう大興奮であった。足が生えたよと両親や祖母に報告したものだ。


 さて、問題はここからである。このオタマジャクシに後ろ足が生えて以降、こいつらがどうなったのかの記憶がないのだ。あれほど興奮したのだから以後も私は観察を続けるだろう。カエルになって跳ね回る日を心待ちにした覚えはある。


 しかしそれはあくまでも想像で、実現したという記憶がない。どうしたことだろうか?もしかしてあの後何かが起こって全滅でもしただろうか?だがそれならそれで、苦い記憶として残るはずだ。現に飼っていたバッタを放置して共食いのあげく全滅した記憶はハッキリ残っている。


 どうにもわからない。私はしばらく記憶を探ってあれこれ検討した。その結果、ひとつの推論を思いついた。


 あれは母が始末したのではなかろうか?


 私の母は農家の長女で、生き物に妙に懐かれるところがある。近年飼っているハムスターやモルモットなど、慣れないうちは血が出るほど噛みつかれたりしたのだが、母は初見時からそいつらを巧みに手懐けてみせた。野鳥の類も私は近寄ることすらできないのに、母が近づいても平気で餌をついばんだりしている。


 そんな母ではあるが、爬虫類などは苦手なようで、ヘビを見かけてキャアキャア言っていた。テレビなどで見ても気持ち悪いとチャンネルを変えてしまう。


 カエルについては確認したことはないが、ヘビがダメならカエルも苦手であっても不思議ではない。両生類もヌメヌメしているではないか。


 母はあのタライにたくさんのオタマジャクシたちがカエルになったところを想像したのではないか?私にとってそれはワクワクする光景だが、母にとっては悪夢だったかもしれない。それで父に頼むか、自分でかは分からないが、処分することにした。近くの小川にでも捨ててしまえば心も痛まないだろう。自然へお帰りよってわけだ。


 飼い主である私への対応は簡単だ。興味を惹く別のものを与えるだけでいい。もともと移り気な私である。母ならば容易に手玉に取れるだろう。


 しばらくしてオタマジャクシのことを思い出したとしても、一度気持ちが逸れた後ならば、あんたがほっといたからみんな死んでたとでも言えば済むだろう。それを片付けておいたと言われれば、感謝こそすれ文句を言ったりはしないはずだ。


 当時の私は生き物の死には慣れていた。飼ったものはたいてい死んでしまうのだ。バッタのように無惨なさまを目の当たりにしなければ、すぐに忘れてしまっただろう。


 実際どうだったかは分からない。あれこれこねくり回してないで、直接尋ねればいいのだが、まあそれはよしておこう。いまさら真実などはどうでもいいのだ。納得できる物語さえ見つけてしまえばそれでいい。


 あのオタマジャクシくんたちは自然に帰って苦難に直面しながらも、何匹かはカエルになった。がんばれよカエルくん、遅ればせながら応援しているぞ!

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